消えゆく「デパートの大食堂」、昭和の香りとテーブルの上に置かれた半券の記憶をたぐり寄せる
2019年9月4日
知る!TOKYO昭和に一世を風靡した、デパートの大食堂。その歴史と魅力について、法政大学大学院教授の増淵敏之さんが解説します。
存在意義が薄れるデパート
「昭和10年代、阿佐ヶ谷に住んでいた私たち家族が、ちょっと改まった買物に出かけるのは新宿だった。母のお供は、たいてい末っ子の私だった。新宿にはデパートが二つ、向かい合っていた。三越と伊勢丹である。買物は三越でもしたし、伊勢丹でもしたが、終わってアイスクリームを食べさせてもらうのは、いつも三越の大食堂だった」(久世光彦『昭和恋々』)
筆者(増淵敏之。法政大学大学院教授)は札幌市で育ったため、「丸井今井」の大食堂が記憶の片隅に残っています。久世とは異なり昭和30年代で、デパート黄金期ともいえる時代でした。なお久世光彦とは、人気ホームドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などを手掛けた、東京生まれの演出家・小説家です。

デパートは都会を象徴する「装置」でしたが、子どもたちにとって買物よりも大食堂が魅力的に映ったことでしょう。札幌には当時、東京資本の三越や地元の五番舘もありましたが、やはり「丸井さん」と呼ばれた丸井今井が市民にとって地域一番店でした。
しかし現在、地方や都市郊外、そして大都市とデパートが次々に姿を消しています。近年は名古屋の丸栄、函館の棒二森屋、八王子そごう、伊勢丹府中店、松坂屋銀座店などです。
久世が語るように、デパートは昭和初期における「文化生活」の象徴で、平成に入るまでは存在感はまだ大きかったと言えます。しかし郊外に大規模モールやアウトレットができ、消費者がアマゾン、楽天などの電子商取引(EC)で買い物を楽しむ現在、その存在意義が薄れています。
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