マツコの発言で一躍有名に セレブが集う港区「天現寺」とはどのようなエリアなのか

タレントのマツコ・デラックスさんがセレブタウンとしてその名を出して注目が集まった港区・天現寺エリア。同エリアの歴史について、ライターの近藤ともさんが解説します。


マツコも注目するエリア

 恵比寿と広尾から少し離れたところに、天現寺(港区)というエリアがあります。このエリアは、タレントのマツコ・デラックスさんがテレビで

「(エルメスの)バーキンを持ってヒールの高い靴を履き、犬を連れたマダムが300人くらいいる」

と発言したことで、一躍全国に知られるようになりました。

 そんな天現寺ですが、なぜセレブタウンと思われるようになったのでしょうか。その理由と歴史、そしていまを探りました。

ドライバーにはおなじみの名前

 天現寺の名は、自動車に乗る人には以前からなじみがあるかもしれません。

「天現寺入口」は首都高速道路2号目黒線の出入り口(上り方向のみ)で、東京都道416号古川橋二子玉川線(明治通り)に接続しています。歩いているとき、「天現寺」と書かれた方向看板を目にした人もいるのではないでしょうか。ここは「天現寺ランプ」の呼び名でも知られています。

 一方、歩行者にとっては決して便のよい場所ではありません。恵比寿駅からは徒歩で20分ほど、一番近い広尾駅からも5分ではたどりつけず、7~8分ほどはかかります。

首都高速道路2号目黒線「天現寺入口」(画像:(C)Google)



 天現寺と呼ばれているのは、明治通りと外苑(がいえん)西通りが交わる天現寺交差点を中心とした辺りです。

 しかしこの交差点には横断歩道がなく、歩道橋を渡らねばなりません。この天現寺交差点の東南角にあるのが慶応義塾幼稚舎(渋谷区恵比寿)。広尾というセレブの街と幼稚舎の存在が、天現寺を「マダムのいる街」とイメージづけているのかもしれません。

 実際に足を運んでみると歩行者の通行量はわりと少なめで、閑散とした場所です。広尾のほうに行けば聖心女子大学(同区広尾)や有栖川宮記念公園(港区南麻布)があってセレブ感を漂わせる人たちがいるのも確かで、人も多くなります。

 ただし、有栖川宮記念公園方面には大使館や海外製品を多く取り扱うナショナル麻布スーパーマーケット(同)があり、外国人も多く優雅に散歩を楽しむ人が多い反面、聖心女子大学方面の商店街は意外に下町っぽいのが実情です。

近くにはアメリカ海軍管理のホテルも

 天現寺交差点に戻りましょう。

 慶応義塾幼稚舎のほかに目立つものは、はす向かいの東京都立広尾病院(渋谷区恵比寿)くらいでしょうか。広尾を背に目黒方面にしばらく進むとおしゃれ系の飲食店などがちらほらあり、威容をほこる大きな建物が目に入ってきます。ニュー山王ホテル(港区南麻布)です。

港区南麻布にあるニュー山王ホテル(画像:(C)Google)



 このホテルはアメリカ海軍が管理しており、アメリカ軍関係者が東京訪問時の宿泊施設として使われています。また、在日米軍勤務者の保養所、社交場として機能し、駐日アメリカ大使館関係者も利用していますが、一般の日本人は立ち入ることができません。

 天現寺を特殊な場所に見せている要素のひとつであるといえるのではないでしょうか。とはいえ、肉のハナマサも近くにあるのが天現寺のおもしろいところです。

由来となった「天現寺」はどこにある?

 天現寺という地名は現在は存在していません。

 このエリアのいまの地名は、港区南麻布あるいは渋谷区恵比寿がメイン。しかしよく見るとさらに複雑で、例えば慶応義塾幼稚舎は正門や本館は渋谷区恵比寿ですが、校内に区の境界があって、港区白金に属する場所もあります。

 ただ、名前の由来となった寺は現存しています。天現寺交差点の一角にある臨済宗の多聞山天現寺(港区南麻布)は1719(享保4)年、文京区小日向にあった寺が移転して現在の名前に改められました。本尊として毘沙門天(びしゃもんてん)の像が祭られていますが、決められた日にしか公開されない秘仏とされています。

 当時は田畑が広がるばかりだったこの地で、民間信仰を集めた天現寺には徳川吉宗以来、代々の将軍が訪れたと伝わっています。しかし、現在に至るまでには火災や戦災で燃えてしまうなどの苦難もありました。

 境内には松尾芭蕉の「一里は みな花守の 子孫かや」の句碑などがあり、愛好家が訪れることもありますが、付近は静かで、この地にしっかりと存在しつづけています。

 また明治の初めごろ、福澤諭吉は好んで天現寺かいわいを散歩し、「狸蕎麦(たぬきそば)」という店でそばを食べていたといいます。そうしているうちにこの風景を気に入り、土地を購入し、広尾別邸としたのが慶応義塾幼稚舎の端緒。

明治初期の天現寺周辺の様子(画像:国土地理院)

 その後、和田義郎という人物が慶応義塾の年少者を自宅に集めて塾を開いたものを前身に、変遷を経て現在の場所に置かれました。

 江戸時代の後期にはいくつか武家の下屋敷があったとされますが、明治にはまだ「広尾が原」と呼ばれるほどの田園地帯だったため、福澤諭吉にとっても広尾の別邸は名の通り「別荘」という扱いだったと考えられます。いまの都会的な雰囲気とはまるで違う場所だったのです。

川があり、橋のある場所

 交差点付近に「天現寺橋」という名前のバス停があります。名前の「橋」はどこから来たのでしょうか。大きな交差点の雰囲気から歩道橋を想像させますが、実は違います。

 歩道橋を降りて広尾病院に進む手前にひっそりと「てんげんじばし」とひらがなで書かれた碑がいまでも残されています。気をつけて歩いていないと見落としてしまいそうな小ささです。

「天現寺橋」バス停(画像:(C)Google)



 この天現寺橋は青山方面から南下してきた笄(こうがい)川が渋谷川に合流し、古川と名を変える起点となる場所です。笄川は暗渠(地下水路)となっていますが、渋谷川・古川は水量は少なく暗い川であるものの、渋谷駅付近とは違ってこのあたりでは姿をしっかりと見せています。

 1911(明治44)年、 東京市電の天現寺橋~赤羽根橋間が開業すると、天現寺橋に鉄道橋が加わります。市電ですが、当時はまだ橋の存在が大きかったことがうかがえます。その後、大正年間には外苑西通りが都市計画道路として決定されましたが、なかなか整備が進みませんでした。

1933(昭和8)年に市電の路線が開通

 詩人・英文学者として知られた西脇順三郎は慶応義塾大学(港区三田)の教授でもあった人物ですが、職に就いたばかりの1920年代後半(昭和初期)からしばらくの間、天現寺に居を構えていました。

 天現寺の西脇宅には学生や詩人仲間が集まって議論を交わし、「西脇スコラ」と呼ばれたといいます。そのため、文学好きの間では天現寺はかねてより知られた地名だったのです。

 西脇は西脇スコラのメンバーであり、美術評論のほか画家や詩人としても活躍した瀧口修造(1903~1979)にささげるように書いた詩「テンゲンジ物語 ―滝口修造君へ」を残しています。シュールレアリスムの大家として知られた西脇らしく、一般の読者には難解な一編です。しかし

「マルタの橋を/ナナセンの『ゴールデン・バット』を/すいながらまだあまり笑わないで/わたって行つた」

という部分から、当時の天現寺橋をたばこを吸いながら渡る詩人の姿が読み取れるように思えます。

1967(昭和42)年に発行された地図。天現寺橋駅(画像:国土地理院)

 西脇が住んでいたころも、天現寺はまだ広尾が原の雰囲気を色濃く残した地でした。

 1933(昭和8)年には市電の天現寺橋~恵比寿間の路線が開通、笄川に新たな鉄道橋が加わりますが、第2次世界大戦でその鉄橋も壊されて鉄材として供出されています。また、空襲でかいわいは被災しました。そのため、天現寺かいわいが本格的に開発されたのは戦後ということになります。

 一方で都電(かつての市電)は1969(昭和44)年に廃止され、天現寺を渡る鉄橋も廃止。橋は現在のような「知る人ぞ知る……」といった場所になってしまったのでした。そして市電の廃止はこの地を若干交通の便が悪い場所とするに至ったのです。

天現寺マダムは本当にいるのか

 繰り返しになりますが、天現寺は恵比寿、広尾、白金のそれぞれの延長として存在するエリアであり、この地にあるおのおのの施設が密接にかかわりあっているわけでもありません。

 むしろ首都高の防音壁が高く、空気のよどみを感じる人も多いでしょう。ではなぜ冒頭のマツコさんの発言にあるような「セレブが闊歩(かっぽ)する街」のイメージがついたのでしょうか。関連する港区や渋谷区の自治体史類で探ってみましたが、残念ながらその手がかりを見つけることはできませんでした。

 一方、インターネット上では2018年に「東京カレンダー」で小説「天現寺ウォーズ」が連載されています。「婚活の先に待ち受けている港区妻究極の総決算。それは、慶応義塾幼稚舎受験である」というまがまがしいフレーズのもとに繰り広げられる港区のセレブ妻の究極の使命「慶応義塾幼稚舎合格」を書いたこのストーリーは、まさに「バーキンを持ったセレブ」を描いたものでした。しかし、マツコさんの発言はそれより以前の2010年ごろだとされています。

 代々この周辺に居を構える資産家、慶応義塾幼稚舎……。いくつかの要素が重なりつつこの数年で天現寺はセレブタウンとして全国区になりつつあるようです。

渋谷区恵比寿にある慶応義塾幼稚舎(画像:(C)Google)



 たしかに、慶応義塾幼稚舎に出入りするエレガントな保護者の存在だけでも、じゅうぶんにセレブさがあるといえるかもしれません。しかし実際は表立った主張のない静かな街。背負わされるイメージと実際の街の雰囲気がことなるこうした場所は、東京中にまだまだたくさんあるのではないでしょうか。


【地図】「天現寺エリア」を見る

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