テトリスがきっかけ? 大人がゲームをやっても恥ずかしくなくなったのはいつ頃か

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テトリスがきっかけ? 大人がゲームをやっても恥ずかしくなくなったのはいつ頃か

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出島造

フリーライター

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コロナ禍の「おうち時間」でゲームが注目されていますが、そもそも大人がテレビゲームをプレイしても違和感がなくなったのは、いつ頃からなのでしょうか。フリーライターの出島造さんが解説します。

ゲームユーザーは老若男女さまざま

 コロナ禍の東京では、「おうち時間」をいかに過ごすかが話題になっています。

 なかでもテレビゲームに時間を費やしている人は少なくないでしょう。現在は通信対戦可能なゲームタイトルも増えているため、皆で1か所に集まらなくても一緒に楽しめ、とても便利です。

 近年のテレビゲームは、子どもから大人まで楽しめる趣味となっています。

 かつてはファミリーコンピュータ(ファミコン)が「子どものおもちゃ」扱いされていましたが、それも遥か昔のこと。現に東京でゲーム関連の行列ができるとき、並んでいるのはだいたい大人です。

「謎の国」からやってきたテレビゲーム

 さて東京で、大人がテレビゲームをプレイしても違和感がなくなったのは、いつ頃からなのでしょうか。資料を調べてみると、大人が遊ぶテレビゲームとして最初に登場するのは『テトリス』でした。

 日本上陸当初から、『テトリス』は新聞や雑誌でよく取り上げられていたタイトルです。ソ連のアレクセイ・パジトノフが1984(昭和59)年に開発、その後、世界のさまざまなゲーム制作会社にライセンスが許諾され、広まりました。

ファミリーコンピュータ版『テトリス』(画像:任天堂)



 80年代後半は冷戦がようやく終わろうとしていた時代です。「鉄のカーテン」の向こうにある「謎の国」からやってきたテレビゲームだったこともあり、『テトリス』は注目を集めました。

 日本では1988年にセガ・エンタープライゼス(当時)がアーケード版を、任天堂がファミコン版を発売(ゲームボーイ版は1989年)。一方、世界規模では版権許諾が面倒な状況になっており、たびたび新聞報道がなされました(現在は1996年設立のザ・テトリス・カンパニーが管理)。

 このため、当時の関係者は大変な苦労を強いられましたが、逆にこうした報道を通じて「ソ連が開発したすごいゲームがある」ということが知られていったのです。

嫁入り道具にもなったゲーム

 当時、『ドラゴンクエストIV』発売日(1990年2月)に子どもが学校を休んで行列することが報じられていましたが、テレビゲームは着実に大人にも普及し始めていました。

『読売新聞』1990年8月17日の朝刊では「すそ野広がるテレビゲーム OL、熟年層にも」というタイトルで、ゲームが子どものためだけのものではなくなっている状況を報じています。

ビッグカメラ池袋本店(画像:(C)Google)



 記事では池袋のビックカメラ東口店に取材し、ゲーム機本体の購入者にOLや40~50代のサラリーマンが目立つことに触れています。売れているタイトルは『ドラゴンクエストIV』と並んで『テトリス』が挙げられています。また、職場などで話題になったことがきっかけで購入する大人が増えていることにも言及しています。秀逸なのは任天堂のコメントです。

「ゲーム開発は、面白いものをと目指しているだけ。ターゲットは絞っていない。年齢、性別が広がり、嫁入り道具の一つとして持っていく話も聞く」

 ファミコンが「嫁入り道具」として認識されていたかどうかは定かではありませんが、大人がテレビゲームで遊ぶことに違和感を持たない人が増えていたのは明らかです。

『テトリス』は報道でも取り上げられる機会が多く、かつゲーム初心者にもわかりやすかったことから、大人も遊べるタイトルとして人気になったのがうかがえます。とりわけ、東京のような都市部では大人がテレビゲームで遊ぶことへの違和感のなさは、早々と醸成されていたようです。

 当時の大手ゲーム制作会社・ハドソンは1990年、東京など大都市圏の中高生を対象にした調査を行っています。この調査で「お父さんはテレビゲームをしますか」という質問に対して、「する」が51.7%となっています。

 さらに子どもがテレビゲームで遊んでいることに対して「怒ったりどなったりする」は18.5%と低め。この時期には既に、父親がテレビゲームで遊んでいるのは当たり前だったことがわかります。

「ブリッジ」としての『テトリス』

 では、当時の父親世代は一体どのようなゲームで遊んでいたのでしょうか。

 それは「マージャンゲーム」が33.9%ともっとも多く、次いで「ゴルフ」11.9%、「野球」10.5%となっています。この調査を報じた『朝日新聞』1990年5月9日付の記事では『テトリス』も父親世代が遊ぶタイトルとして人気が高いことに触れています。

 こうしてみると、最初はマージャンやゴルフなど大人でも違和感のないタイトルで遊んでいた父親世代が、ゲームに熱心になっていく「ブリッジ」として『テトリス』が存在していたことがわかります。

テトリスのイメージ(画像:写真AC)



 かつて『テトリス』には、西側諸国の生産性を落とすためにソ連が開発したという陰謀論がありました。実際は逆に生産性が向上しているのではないでしょうか。というのも、普及が著しかった1990年代に青春期を送った人に聞くと、大学サークルの部室にファミコンが置いてあって、皆で遊んでいたといいます。

 とりわけ、人間関係が希薄な新入生の間では『テトリス』で対戦しているうちに次第と気心が知れていく、カップルになるという出来事があちこちで起きていたといいます。

 この当時の東京には『テトリス』カップルが無数にいたはずですが、その実態は定かではありません。ともあれ『テトリス』が不安な東京での新生活を助けるアイテムになったのは確かといえるでしょう。

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