三井・三菱は男爵止まりも 渋沢栄一だけがワンランク上の子爵になれたワケ【青天を衝け 序説】

“日本資本主義の父”で、新1万円札の顔としても注目される渋沢栄一が活躍するNHK大河ドラマ「青天を衝け」。そんな同作をより楽しめる豆知識を、フリーランスライターの小川裕夫さんが紹介します。


後半生は資本主義に遠い存在だった渋沢

 2020年は、日本全土が新型コロナウイルスに震撼(しんかん)した1年でした。緊急事態宣言が発出されたことで、1年を通じて放送される大河ドラマ「麒麟(きりん)がくる」もスケジュール変更を余儀なくされ、年をまたいで放送されるという異例の事態になっています。

 その影響で、2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は2月14日(日)からのスタートになりました。

「青天を衝け」の主人公・渋沢栄一は埼玉県の血洗島(現・深谷市)の出身で、徳川慶喜に仕えます。慶喜の弟である昭武がパリ万博(1867年)に派遣されるのに随行し、渋沢もパリに渡りました。長いパリ滞在で、渋沢は日本とは違う文化・経済・政治に大きな刺激を受けました。そして、それが帰国後に大いに役立ちます。

 渋沢は設立・経営・支援など生涯で500もの企業に関わりました。そのため、現在は資本主義の父と呼ばれます。しかし、1916(大正5)年に第一銀行(現・みずほ銀行)の経営から退き、以降は福祉・医療・教育といった非営利事業に傾注しました。

 渋沢の前半生は実業家であり、まさに資本主義をけん引するような活動が主になっていました。他方、後半生は非営利事業に奔走して資本主義は遠い存在だったのです。

生活困窮者支援などにも注力

 近年、渋沢の業績は見直されることが増え、単なる実業家ではないという見方が強まっています。特に後半生、つまり渋沢が傾注した福祉・医療・教育といった非営利分野が注目されているのです。

渋沢栄一(画像:深谷市、日本経済新聞社)



 長らく資本主義の父というイメージで語られてきたこともあり、渋沢と聞いても福祉・医療・教育のイメージを抱くことは難しいかもしれません。

 しかし、渋沢は難病や生活困窮者を支援する東京養育院(現・東京都健康長寿医療センター)の院長を長らく務めただけではなく、東京慈恵会や済生会などといった病院の設立・運営にも協力を惜しみませんでした。

 渋沢は2024年に改刷される新1万円札の顔になりますが、同じく新1000円札の顔になる北里柴三郎とも縁があります。北里が理事長だった日本結核予防協会の運営にも協力をしているのです。

 渋沢の非営利事業への関わりは、そのほかにも非行少年の更生・社会復帰施設として井之頭学校を立ち上げたほか、商業教育を普及させるために東京高等商業学校(現・一橋大学)、女子教育を充実させるために日本女子大学校(現・日本女子大学)、技術者を養成するために工手学校(現・工学院大学)、科学振興のために理化学研究所など、幅広い分野に及んでいます。

 埼玉県出身の渋沢は、同じく埼玉県出身だった林学者・本多静六に請われて埼玉県出身者の進学をサポートする埼玉学生誘掖会にも協力。晩年には、民間外交使節団を率いて諸外国との国際親善・交流にも力を入れました。

明治政府に疎まれた実業家

 これだけを見ても渋沢が単なる実業家ではないことがわかります。そうした渋沢の活動は経済界のみならず政界にも浸透し、政府の首脳陣たちも実感していました。

 明治新政府は1884(明治17)年に、

1.公爵
2.侯爵
3.伯爵
4.子爵
5.男爵

の五爵を制定しますが、これら爵位は国家に貢献した人物に与えられることになっていました。公家出身の岩倉具視(ともみ)は公爵、伊藤博文は伯爵を授爵されています。伊藤は、その後の功績から公爵へと陞爵(しょうしゃく。爵位制度での昇進)しています。

 こうした国家に貢献という理由から政府は政治家や官僚などへ爵位を授けていましたが、その一方で実業家に対しては「私利私欲に走り、国家に貢献しない」ことを理由に爵位を与えませんでした。

 そうした方針の例外とされたのが渋沢です。

板橋区栄町にある東京都健康長寿医療センター内の渋沢栄一像(画像:小川裕夫)



 前述したように、渋沢は企業の立ち上げだけではなく福祉・医療・教育分野でも大きく貢献しています。これら福祉・医療・教育といった分野は国家の土台でもあり、本来なら政府・行政が整備するものです。しかし、当時の政府はそうした福祉・医療・教育といった分野の充実までに手を回すことができませんでした。

 渋沢は資金・人材など自身のリソースをフル活用して福祉・医療・教育の充実を図ります。こうした渋沢の取り組みが、政界から評価されることになるのです。その結果、1900年に渋沢は男爵を授爵されました。

 こうして実業家で爵位を得た渋沢でしたが、その後の社会情勢の変化により、政府の爵位に対するスタンスは変化します。当初は実業家に爵位を与えることに消極的だった政府でしたが、日清・日露戦争というふたつの大戦で政府の財政が逼迫(ひっぱく)したことから大きく方針を転換。

 政府は、「金銭的に国家に貢献するなら爵位を与える」と呼びかけて寄付を求めました。多大な財産がある実業家にとって、政府の求める寄付金は大した出費ではないのです。

 実は、政府が財政逼迫を理由に寄付を呼びかける前から、三井・三菱は率先的に寄付していたこともあり、渋沢より早い1896年に男爵を授爵されています。

男爵から子爵へ異例の昇進

 三井・三菱(岩崎家)が男爵となり、つづいて渋沢も男爵を授爵されたことで実業家たちは色めき立ちました。金を捻出すれば爵位を得られることがわかったからです。

 こうして実質的に爵位を金で買えることになったわけですが、政府は「実業家の爵位は男爵まで」という方針をかたくなに守りました。

 五爵の最下位とはいえ、これまで手に入らなかった爵位が手に入るようになったのです。実業家たちは競うように寄付をし、鴻池・住友・大倉・古河・森村といった実業家の男爵が続々と誕生していきます。

 江戸時代から大名だった島津家・毛利家・鍋島家・前田家・蜂須賀家などは明治期以降も事業で財を築いていましたが、そうした大名家をルーツとする実業家と商人から興隆した実業家たちは明確に区別され、後者は財閥華族と呼ばれることもありました。渋沢も財閥華族と見ることができます。

 実業家でありながら、渋沢は公益性のある非営利事業を多く手がけてきました。金にものを言わせる実業家たちと渋沢が同列であることに違和感を抱く政治家も多く、渋沢の地位向上を求める声は強まります。

 1920年、長年にわたる公益事業への功績が認められて渋沢は男爵からワンランク上の子爵へと陞爵。実業家でありながら異例の子爵となりました。渋沢がほかの実業家とは別格であることが明確になったのです。

2021年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』のウェブサイト(画像:NHK)



 渋沢を主人公とする「青天を衝け」は、間もなく放送が始まります。資本主義の父として語られがちな渋沢ですが、後半生の福祉・医療・教育といった取り組みを知ると、また違った目で大河ドラマを楽しむことができるかもしれません。


【画像】渋沢が院長を務めた「旧東京養育院」を見る

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