下町だからじゃない! 月島の名物が「もんじゃ焼き」になったワケ
「もんじゃ焼き」と言えば月島 東京のローカルフード「もんじゃ焼き」と言えば、中央区の月島を思い浮かべる人が多いでしょう。エリア内の月島西仲通り商店街には多数のもんじゃ焼き店が軒を連ね、「月島もんじゃストリート」の通称で知られています。 実はこのもんじゃ焼き、月島で生まれた食べ物ではありません。江戸時代から明治時代にかけての文献によれば、小麦粉を鉄板や焙烙(ほうろく。素焼きの土鍋)の上で水に溶かして焼く「文字焼(もじやき)」がなまって、もんじゃ焼きになったと言います。 明治の小説家・斎藤緑雨(りょくう)の作品「門三味線」(1895年)には 「文字焼の屋台を囲み居たる小さいのが認けて」 という一文を確認できます。 1950年代中盤から大人の食べ物に もんじゃ焼きは長らく、駄菓子店の鉄板の上で下町の子どもたちに食べられていました。茶わん一杯の小麦粉を水で溶き、ソースと青のりを振りかけるだけのシンプルな作り。お金があるときには桜エビや紅しょうがも振りかける――といった具合でした。 もんじゃ焼き(画像:写真AC) この、もんじゃ焼きが大人の食べ物へと進化し始めたのは、1950年代の中頃だと考えられています。 「月島最古」を掲げる近どう(中央区月島3)の開店は1950(昭和25)年で、「月島元祖」を掲げる好美屋(よしみや。同)の開店は1954年。少し遅れて、いろは(同)が開店。上州屋は1965年の開店です。 他のローカルフードにも見られるように、「最古」と「元祖」が並立しています。最初はお好み焼きを出しており、その後、もんじゃ焼きも徐々に扱うようになったというのが背景にあるようです。 月島もんじゃの発祥は諸説あり?月島もんじゃの発祥は諸説あり? もちろん、別の説もあります。情報系雑誌『Hanako』1993年3月11日号で、当時の近どうの女主人がそのルーツについて、 「大人のための店として最初に開いたのは、月島観音入口のいろは」 と語っています。 そして1980年頃、清澄通りにスーパーマーケットのフジマート(月島1)ができたのをきっかけに、いろはの成功を見た商店主たちがもんじゃ焼き店に商売替えをして、現在のもんじゃストリートが生まれたとのこと。 多数のもんじゃ焼き店が軒を連ねる月島西仲通り商店街(画像:写真AC) つまり、月島もんじゃの発祥は諸説あるのが正しい判断のようです。 10年をかけて大ブームに こうして始まった大人向けのもんじゃ焼きですが、キャベツは当然のこと、そこに豚肉やイカ、そばなどが入り、現在に続くもんじゃ焼きへと進化していきます。こうした「具材を工夫する」という発見こそが、もんじゃ焼きの革新だったわけです。 月島のもんじゃ焼きは商売替えによる店舗の増加で、次第にその知名度を上げていきました。 1980年頃の月島周辺の様子(画像:国土地理院) 女性週刊誌『女性自身』1981年10月1日号のコラムでは、「もんじゃって知ってる? 昔、下町の駄菓子屋さんにはよくあったらしいんだけど、このもんじゃがリバイバルブーム」と取り上げています。 この後、月島のもんじゃ焼きは約10年をかけて、電車やバスを乗り継いでわざわざ月島まで足を運ぶほどの価値ある食べ物として、ブームになっていきます。 当時の東京は再開発が加速し、昔ながらの下町の風景が消えていました。そんななかで下町の風景を残す佃島・月島は注目され、もんじゃ焼きは下町の伝統的な食べ物として興味を引いたのです。 漫画『こち亀』にも登場 男性週刊誌『週刊プレイボーイ』1989年4月11日号では「キミはもんじゃギャルを見たか?」というタイトルで、もんじゃ焼き店の前に若い女性が長い行列をつくっている風景を取材しています。 ここでは、もんじゃ焼きを次のように解説しています。 「これを食べられるか食べられないかでその人間の東京人としての一生が左右されてしまうという、いわば現代の踏み絵とも呼ぶべき恐ろしい食べ物なのである」 テレビなどで放送されるもんじゃ焼きを見て、東京に憧れる地方の若者は驚いたことでしょう。外見は同じように見えて、大阪風お好み焼きとも広島風お好み焼きとも、焼き方がまったく異なっていたからです。 漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(画像:集英社) 漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』では、作中にたびたびもんじゃ焼きが取り上げられ、「最初に土手をつくる」という知識だけを得て、初めてのもんじゃ焼きに挑んだという人たちもたくさんいました。 しかし彼らが成功したという話は聞いたことはありません。やはり、お店の人に「食べ方を教えてください」と聞くのが、もっとも正しいやり方だったのでしょう。 こうして、もんじゃ焼きは月島の文化として定着していきました。 もんじゃ焼きより古い伝統食があったもんじゃ焼きより古い伝統食があった ちなみに、月島にはもんじゃ焼きより古い伝統食・レバーフライがあります。レバーフライは牛レバーをトンカツのように油で揚げて、ウスターソースとからしを塗って食べるもので、「肉フライ」と呼ばれていました。 レバーのような内臓肉が日本で積極的に食べられるようになったのは、戦後とされていますが、月島のレバーフライは大正時代に存在していたことが確認されています。 レバーフライの人気店「ひさご家 阿部」(画像:(C)Google) もともと月島西仲通り商店街は近くにあった石川島造船所(現・IHI))の工員を相手に繁盛しており、栄養価の高さから彼らに好まれていたと言います。 かつてはレバーを血抜きせずにそのまま揚げていたそうで、なかなかワイルドな滋養食だったことが想像できます。 そんなレバーフライですが、もんじゃ焼きを食べに月島に足を運ぶ際、ぜひ一緒に楽しんでみてください。
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