「新選組」唯一の生き残りは、なぜJR板橋駅前に石塔を建てたのか?

「新選組」唯一の生き残り・永倉新八は、晩年、北区滝野川に立派な碑を建てました。かつての盟友、近藤勇と土方歳三の名を刻んだ供養塔。新八はどのような思いで建立したのか、ノンフィクション作家の合田一道さんがその軌跡をたどります。


13年ぶり、小樽への帰還

 やがて供養碑が完成しました。見上げるような立派な碑でした。

新八が建てた近藤、土方の供養塔。現在のJR板橋駅近く(画像:合田一道)

 安堵した新八は、京阪へ足を延ばし、ここでひとりの女性と会います。新選組時代に芸者との間にもうけた娘の磯子で、尾上小亀と名乗る舞台女優になっていました。

 新八が小樽に戻ったのは1899(明治32)年。家を13年間も留守にしていたことになります。すでに61歳になっていました。

 以後、新八は家族に囲まれて穏やかな日々を送りながら、新選組時代の同志の氏名や消息を書き続けました。

 また札幌で開かれた剣道大会に顔を見せたり、招かれて札幌農学校の剣道部の練習に出掛けています。

 武士の魂は老いてなお燃え続けていたのです。

 そんなそき、小樽新聞の加藤眠柳(かとう みんりゅう)記者がやってきて、連載記事を掲載したいと伝えます。

 新八は快諾し、加藤は日参して話を聞いてまとめ、1913(大正2)年3月から6月にかけて「新選組永倉新八」の表題で70回にわたり連載しました。

 あの新選組の永倉新八が北の果てに生きていた! 新聞で知った人たちは驚きの声を上げたといいます。

新選組ブーム、再び浴びた脚光


【画像】「新選組」唯一の生き残り、貴重な遺品(2点)

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