コロナ禍で鬱屈した日々を全部吹っ飛ばしてくれる「見晴らしの良い坂」が都内にあった【連載】拝啓、坂の上から(5)

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コロナ禍で鬱屈した日々を全部吹っ飛ばしてくれる「見晴らしの良い坂」が都内にあった【連載】拝啓、坂の上から(5)

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立花加久

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コロナ禍の東京は閉そく的になりがちです。今回はそんな気分を一新できるような、見晴らしの良い坂をご紹介します。フリーライターの立花加久さんが解説します。

世田谷区岡本「富士見坂」

 マスク着用の外出は、今や当たり前の作法となりました。また、以前より手洗いやうがいを意識する人も増えていることでしょう。いずれにしても換気の悪い密閉空間や密集場所、さらには密接して会話をする“3密”は極力避けることが肝要とされています。

 ということで今回は3密にならず、見晴らしの良い坂散歩コースをふたつご紹介したいと思います。最初は世田谷区岡本にある「富士見坂」、通称「岡本三丁目の坂」です。

世田谷区岡本「富士見坂」(画像:立花加久)



 岡本周辺は多摩川を始めとする大小の河川が流れ、その浸食により川岸が削られる、いわゆる河岸段丘によって形作られた田園住宅地で、住宅の合間にブドウ狩りができる果樹園があるなど、地方ののどかな高原地の趣も漂います。

自動車が下へ落ちていくような坂

 周辺の駅からバスに乗って「岡本三丁目」のバス停で降りると、ちょうどそこは坂上近くです。坂を目指してしばらく歩いていると、視線の先が地上と空にいきなり分かれ、走り去る自動車が下へ落ちていくような場所を見つけました。そこが目指す「富士見坂」です。

 ワクワクしながら坂に近づいていくと、突然住宅の間を抜け視界が広がります。いきなりビルの屋上にでも出たかような見晴らしの良さ。見下ろせば、遠く坂下に流れる多摩川の支流・仙川にかかる西谷戸橋に向かって一直線に150m程の坂が下りています。

 坂上から見て左側には歩行者用の階段も設置されており、この坂が急であることが伺えます。

「富士見坂」に設置された歩行者用の階段(画像:立花加久)

 ちなみに勾配は約22%。傍らには「富士見100景」の案内プレートが設置されています。晴れた日などは、今でも遠くに丹沢山系を抜け、富士山を見ることができるといいます。

 都内にある「富士見坂」の中でも、こちらは電線が多少うるさいですが、高層ビルなどに視界を邪魔されることもなく、江戸当時とほぼ変わらぬ富士見ができる坂かもしれません。

 こうしてしばらく絶景を楽しんだり、坂下から坂のボリュームを体感したりした後は、そのまま坂上から足を伸ばして「砧(きぬた)公園」(世田谷区砧公園)を散策することをオススメします。

 ベンチや芝生に腰を下ろして持参の弁当を開けてもよし、そのまま園内をウオーキングしてもよし、開放感あふれる坂散歩を締めくくっていただければと思います。ちなみに砧(きぬた)公園の最寄り駅は田園都市線の「用賀駅」です。

豊島区高田「のぞき坂」

 さて次にご紹介する豊島区高田にある坂も「富士見坂」と同じ勾配22%の急坂。その名も「のぞき坂」です。江戸の昔は周辺が木に覆われ昼間でも暗く、まるで崖っぷちの様に上からこわごわとのぞいたというのが名前の由来とか。

 さてのぞき坂の場合、手っ取り早く坂上に到着するには、地下鉄「雑司が谷駅」3番出口が便利です。

 駅から地上に出て信号を渡り、目の前の路地に入ると、すぐそこは坂上です。しばらく進むといきなり目の前が開け、視界の遥か先には新宿の高層ビル群が見えます。こちらも坂下の「学習院下」まで一直線。およそ280mにおよぶ雄大なランドスケープを楽しめます。

豊島区高田「のぞき坂」(画像:立花加久)



 坂下から自転車で上る人が途中から自転車を押して上り、バイクが苦しそうにうなる様はまさにモンスター坂。街中に突如として現れるこの非日常的空間は格別です。

 この坂も坂下から見上げたり坂上から見下ろしたりと坂を堪能した後は、次に坂上から少し足を伸ばしたところに鬼子母神(きしもじん)堂(豊島区雑司が谷)があります。

 大通りから表参道に通じる商店街を抜けると、やがて都指定の天然記念物のケヤキが並ぶ、趣ある並木道の表参道に入ります。

 参道を抜けると目指す「聖地」に至ります。入り口左右にはお堂を守る石像の仁王さまが迎え、さらに都の天然記念物に指定されている、樹高30m、幹回8mの大イチョウの木と対面することになります。

さまざまな神仏が宿る鬼子母神堂

 この場所はもともと平安時代(810年)に建立された古寺・法明寺(豊島区南池袋)の飛び地境内でした。そこに室町時代(1561年)にこの周辺の地から掘り出された鬼子母神像が巡り巡って、祭られるようになるのが安土桃山時代(1578年)とのこと。

 当時はこの周辺は、土地や屋敷を守る地主神・倉稲魂命(うけみたまのみこと)を祭る「稲荷の森」と呼ばれており、この鬼子母神境内に稲荷神社がある由縁ともなっています。

都の天然記念物に指定されている、樹高30m、幹回8mの大イチョウ(画像:立花加久)



 そもそも平安時代は真言宗で源氏の祈願所だった「法明寺」が、鎌倉時代(1312年)に日蓮(にちれん)宗へ改宗した経緯もあり、敷地内には大国さまの「大国堂」や、不動明王を祭る「法不動堂」、さらに鬼子母神本堂の裏手には、北辰(ほくしん)妙見大菩薩(だいぼさつ)を祭る「妙見堂」があり、さまざまな神仏の宿る神仏混合の聖地となっています。

 ちなみに鬼子母神のご利益は、安産と育児に家内安全や厄払い学業成就などですが、他に祭られる神仏のご利益もありますから、当然のこと多岐にわたっています。

 そんな聖地での思い出に、境内の老舗駄菓子屋「上川口屋」で駄菓子を買ったり、大国さまの祭られる大国堂前の茶店で一休みしたりして、お団子を頂きながら、坂散歩を丸く収めていただくのも良いかもしれません。

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