廃線跡からレトロ団地まで 東京で唯一鉄道が通らない「武蔵村山市」を巡る【連載】多摩は今(1)

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廃線跡からレトロ団地まで 東京で唯一鉄道が通らない「武蔵村山市」を巡る【連載】多摩は今(1)

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鳴海侑(まち探訪家)

都内の「鉄道のないまち」として知られる武蔵村山市。そんな同市の魅力について、まち探訪家の鳴海侑さんが解説します。

なぜ鉄道がないのに「市」なのか

 東京は、高密度で複雑な鉄道網が特徴的な都市です。都心部から郊外まで複雑に絡み合いながら鉄道路線網が広がり、路線図を見て目が回る思いをした人は少なくないでしょう。しかしながら、そんな東京都でも鉄道の通っていない自治体があります。伊豆諸島にある2町7村と多摩地域にある武蔵村山市、西多摩郡日の出町、西多摩郡檜原村の1市1町1村です。

 このうち武蔵村山市は、「市」であるにも関わらず鉄道の通っていない自治体なのです。

赤枠で囲まれた部分が武蔵村山市(画像:(C)Google)



 では、なぜ鉄道がないのに「市」になれるほどのまちの規模なのでしょうか。そしてどんなスポットがあるのでしょうか。市内をめぐりながら探っていきたいと思います。

かつて2万人以上が暮らした都営村山団地

 武蔵村山市は立川市の北に位置し、人口は約7万2000人(2020年9月現在)です。

 アクセスは、立川駅からバスまたは多摩都市モノレールを利用します。多摩都市モノレールを利用すると、立川北駅から乗ること約15分。終点の上北台駅からすぐ北を走る新青梅街道を西に600mほど歩くと武蔵村山市に入ります。「鉄道が通っていないまち」といっても案外市境のすぐ近くに鉄道路線が通っているのです。

 新青梅街道沿いをさらに西に歩いて行くと、上北台駅から10分ほどのところで左手に大きな空き地と団地が見えてきます。ここは都営村山団地で、1966(昭和41)年に424棟の住棟が建てられ、一時期は約2万3000人が生活していました。

 武蔵村山が「市」になったのは1970年と団地ができた4年後ですから、都営村山団地は武蔵村山「市」を生み出す大きな要因となった場所といえるでしょう。

 現在は古くなった住棟の建て替えが進められている途中で、人口は約6000人と減少はしているものの、現在も多くの人が住んでいます。

 広大な団地の中には建て替え前の中層住棟と建て替え後の高層住棟の双方が見られ、また団地内と団地西側に商店街があります。団地内にある「村山団地中央商店街」は両側の建物の間隔が西へ行くほど狭くなっており、最寄りバス停の「店舗前」バス停からみると奥行きがあるように感じられる構造になっています。

都営村山団地内の商店街(画像:(C)Google)

 商店街には昔懐かしい個人商店も多く、八百屋や肉屋などがあるほか、住民の高齢化に伴う移動ニーズの変化に応えるための送迎自転車のステーションもあります。レトロな雰囲気と住民の生活が見える場所です。

都内最大のイオンモールの存在感

 団地の西側にある商店街も飲食店をはじめ多彩なジャンルのお店があり、スーパーを中心に多くの近隣住民がやってきている様子がみられます。

 そして団地の敷地を取り囲むようにある道路を立川駅や玉川上水駅との間を結ぶバスが走り、朝は毎時8本程度、昼は毎時3~4本とそれなりに高頻度にやってきます。

 この村山団地のある「緑が丘」地区を中心に、隣接する「学園」地区、「大南」地区に住宅地が広がっています。現在この3地区で武蔵村山市の人口の約4割を占める2万7000人が暮らしています。また立川駅や玉川上水駅から来るバスもおおむねこのエリアを通過しています。

 村山団地の南側を走る道路には「イオンモールむさし村山」(武蔵村山市榎)に向かうバスが走っています(平日昼間は毎時2本、土日祝日の昼間は毎時4本)。「イオンモール」と聞くと、東京よりも地方に縁のありそうなものに聞こえますが、東京都内には4か所のイオンモールがあります。

「イオンモールむさし村山」(画像:(C)Google)



 中でも「イオンモールむさし村山」は東京都のイオンモールの中で最も大きく、延べ床面積は約15万平方メートルもあり、実質的な武蔵村山市の中心の商業施設となっています。バス系統も多くが敷地に併設されたバスターミナルに乗り入れており、武蔵村山市内を移動するには便利なバス乗り継ぎ場所ともいえるでしょう。

区画整理事業も進行中

 また武蔵村山市は、イオンモールむさし村山の北側で現在区画整理事業を行っています。現在は農地の中に真新しい住宅と作りかけの道路があるだけですが、将来的には武蔵村山市の核とする計画です。

 区画整理事業が行われているエリアの北側には新青梅街道が東西に走っています。先ほど村山団地についてとりあげた際も少し話題にでたこの道路は、武蔵村山市の東西を貫く4車線の幹線道路です。新宿から青梅を結ぶ重要幹線道路で、日中は多くの車が行き交います。

 そして新青梅街道があれば「新」がつかない青梅街道もあります。新青梅街道から北に500mほどいくと東西に走る2車線の道路が青梅街道で、沿道には古くからありそうな民家が軒を連ね、武蔵村山市役所(武蔵村山市本町)もすぐ近くにあります。

武蔵村山市役所付近の様子(画像:(C)Google)

 このあたりは古くからの市街地で、東京都とは思えないようなまちの雰囲気を感じることができます。

在日米軍横田基地の由来となった村

 そんな旧市街地の中にある武蔵村山市役所の前から青梅街道を西に250mほど歩くと「横田」というバス停があります。

 この「横田」という地名は在日米軍横田基地の「横田」の由来となったといわれています。元々は1908(明治41)年に合併でなくなった村の名前で、現在はバス停、トンネル、公園の名前に残るのみです。

明治初期の迅速測図。「横田村」の表記がある(画像:国土地理院)



 青梅街道の北側は狭山丘陵の一部で、丘陵地に緑が広がります。都立公園としても整備されており、都立野山北・六道山公園が西隣の瑞穂町との間の約260haに広がり、豊かな自然を楽しむことができます。

 丘陵の向こうには多摩湖(村山貯水池)、狭山湖(山口貯水池)と急増する東京の人口と水道使用量に対応するために作られたふたつの貯水池があります。

 水は羽村にある取水堰(せき)から貯水池へ導水管を経由して送られており、導水管を敷設するために敷設された軽便鉄道が現在の武蔵村山市内を通っていました。

武蔵村山にもかつては鉄道が通っていた

 導水管完成で一度は役目を終えた軽便鉄道ですが、山口貯水池のダム建設と村山貯水池のダムかさ上げのために度々復活し、現在もその廃線跡が武蔵村山市内に残っています。

 横田バス停の300m北を北西から南東に通るまっすぐな道がその廃線跡で、廃線跡は一部が自転車道として整備されています。

 横田バス停近くの自転車道を北西に歩くと「横田トンネル」があり、その先にも3本のトンネルがあります。トンネルを抜けた先は自然公園となっており、そこから先の廃線跡はたどることはできませんが、武蔵村山に鉄道が通っていたことを知ることができる重要な施設です。

「横田トンネル」(画像:(C)Google)

 なくなった鉄道の話をしてきましたが、実は武蔵村山には近い将来に再び鉄道が通る計画があります。最初に紹介した多摩都市モノレールの上北台駅(東大和市)からモノレールを延伸する計画です。

 モノレールは武蔵村山市を通って西隣の瑞穂町にある箱根ヶ崎駅まで建設される計画です。この計画について、東京都は2018年に設けた「東京都鉄道新線建設等準備基金」の対象としており、優先的に事業化の検討を進める路線として位置づけており、2020年に入り、事業化に向けた調査費用を予算として計上、12年後の開業を目指すことになりました。

今こそ「鉄道のないまち」を楽しむチャンス

 計画では新青梅街道を拡幅してできた用地にモノレールの線路と駅を設けます。まだ都市計画決定されたものではありませんが、武蔵村山市のマスタープラン(基本計画)では市内に5駅を新設する構想が描かれています。

 構想の中では先ほど紹介した村山団地やイオンモール近くの区画整理エリアにもそれぞれ隣接した駅が作られることになっています。すると、今後また武蔵村山のまちの姿は大きく変わる可能性があり、いまの「鉄道のないまち」の姿も過去のものになっていきそうです。

多摩都市モノレールの延伸想定ルート(画像:武蔵村山市)



 鉄道路線が集中する大都市・東京にある「鉄道のないまち」、武蔵村山。鉄道のない場所でどのようにまちの構造ができているかという点では非常に興味深い場所です。

 ぜひ鉄道がないうちに今回紹介したようなスポットを巡ってみて、鉄道のないまちの姿や自然の豊かさを感じてみてください。

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