絶海にそびえる高さ100mの岩柱! 伊豆諸島の最南端にある「孀婦岩」とは何か

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絶海にそびえる高さ100mの岩柱! 伊豆諸島の最南端にある「孀婦岩」とは何か

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大島とおる

離島ライター

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到達困難な島として知られる伊豆諸島の「青ヶ島」。同島よりさらに南の場所に位置する岩「孀婦岩」について、フリーライターの大島とおるさんが解説します。

こんなところまで東京都なのか

 東京都は、世界でも珍しい土地を含んでいる自治体です。とにかく広い。その島しょ部は、はるか南の海まで広がっているのです。

 そんな島しょ部の中でも「なんだこれは……」と、好奇心を刺激されるのが伊豆諸島の最南端に位置し、東京から南へ650㎞に場所にある「孀婦岩」(そうふがん)です。

 孀婦岩は、あの到達困難な島「青ヶ島」よりも南にある「岩」です。

 島か岩かというのはとても微妙な問題で、200カイリの排他的経済水域を主張するためには、「水面から出ているものは、みんな島だ」と言わなければならないためです。

 国によっては、人間が到底住めないような岩まで、周囲を埋め立てて島にしています。そうした国際法上の問題点を無視すれば、孀婦岩は名前の通り岩なのです。

標高99m、東西84m、南北56m

 その姿には、思わず目を見張ります。

 標高99m、東西84m、南北56m。周囲に水平線しかない太平洋の中から突然垂直の岩が突き出たような姿をしているのです。なお一番近い島である鳥島から約80kmも離れています。

孀婦岩(画像:海上保安庁)



 この孀婦岩は、伊豆諸島のほかの火山島と同じく火山の一部です。カルデラ式火山の外輪山の一部が地上に飛び出したのが孀婦岩というわけです。

 これまでの調査で、孀婦岩の南西2.6km、水深260mのところに活火山の火口があることがわかっています。火山全体は海底から2500mの高さがあり、巨大な火山が自然のいたずらでこのような地形を生み出したことがわかります。

発見は約230年以上前

 しかし、その独特の地形が持つ神々しさに人類は魅せられました。

 孀婦岩を最初に発見したのは、イギリス人のジョン・ミアーズという人物です。ミアーズは1788年、交易の船団を率いてアメリカに向かう途中で孀婦岩を目撃しました。

 その迫力に彼は、

「その岩に近づくにつれ、われわれの驚きはより大きくなった。船員たちは何か超自然的な力が、この岩の形を現在の形に突然変えたのだ、と強く信じたがっていた」

と記録を残しています。

孀婦岩の鳥瞰図(画像:海上保安庁)



 孀婦岩を発見したことで、歴史に名を残したミアーズですが、この時に自分が目撃した岩を「Lot’s wife」と名付けています。これは「ロトの妻」という意味です。

 これは『旧約聖書』に出てくる、ソドムとゴモラという都市の滅亡のエピソードに関係しています。ロトは天使から神の意志を告げられ、滅亡の前に逃げ出すのですが、このときに神は「後ろを振り返ってはいけない」と命じました。しかし振り返ってしまった妻は塩柱になってしまいました。

 西洋なら誰でも知っているエピソードをほうふつとさせる姿が、「Lot’s wife」という名前をつけさせたのです。余談ですが、その塩柱は現在、死海のほとりの観光地となっています。

アクセスだけなら釣り船が現実的?

 さて孀婦岩ですが、その目で直接見たいと思っても決して容易ではありません。

 当然、公共交通機関でたどり着くことができるわけもなく、現実的な手段といえば、付近のルートをコースに組み込んでいるクルーズ船に乗ることです。たいていは見せてくれます。

孀婦岩の海底地形図(画像:海上保安庁)

 また岩の周囲は漁場として知られているため、漁船に乗せてもらうという手段もありますが、釣り船のチャーターが現実的でしょう。実際に大物を狙って釣りに向かう人もいるようですが、果たしていくらかかるのやら……。

一般人には登頂はおろか上陸も不可能

 このような不思議な姿を見ると、やはり上陸したり、頂上まで登ったりしたくなるでしょう。

 しかし、容易ではありません。なにしろ周囲はすべて海。それに島に近づくには小型の船に乗り換えなければなりません。島の周囲は海流も複雑で、常に高さ4~5mの波が押し寄せています。

 さらに、揺られる船で島に近づき、タイミングを合わせて飛び出して上陸しなければならないのです。

 小さな港しか持たない離島では波の荒いとき、巡航船から岸壁に向かってジャンプしなければならないことがあります。しかし孀婦岩はさらにハードルが高く、ジャンプした先は崖。クライマーとしての相当な技術がなければ、登頂はおろか上陸も不可能なのです。

孀婦岩の地質構造図(画像:海上保安庁)



 到達困難なこともあり、孀婦岩への登頂記録が知られたのは21世紀になってからのことです。この登頂は山岳専門誌『山と渓谷』2003年8月号に掲載されました。

 藤原一孝さんと3人のメンバーからなる「孀婦岩洋上登山隊」は三浦半島の油壺からヨットで孀婦岩を目指します。

 ちなみに、この藤原さんは後に家が火事で全焼したのをきっかけに、作家の角幡唯介(かくはた ゆうすけ)さんらとヨットで太平洋を横断し、ニューギニアの山にロッククライミングで登るというすさまじい探検をしたことでも知られています。

すでに登頂者はいた

 そんな冒険家をしても登頂は困難を極めます。

 なにしろ、天気のよい日を狙って島の周囲にとどまっていても、油断すると船は流され島から遠ざかってしまいます。ようやく上陸し、3人はロッククライミングで頂上を目指します。

 そしてたどり着いた頂上――。そこで登山隊が目にしたのは驚くべきものでした。

「なんとそこには錆びついた3本のハーケンと50センチほどの長さの塩ビ管があるではないか。それで旗でも掲げたのであろうか、ハーケンは1本だけがわずかに原型をとどめ、無情の時の流れと、人間の非力さを物語っていた。孀婦岩の名前の由来が「未亡人」であることを思い出した」

 そう、初登頂を目指して登った登山隊ですが、既に人が登った痕跡があったのです。当時は知られていなかったのですが、実は1972(昭和47)年に早稲田大学の学生が挑み、登頂に成功していたのです。

孀婦岩(画像:海上保安庁)



 藤原さんらの登頂後も、孀婦岩は知る人ぞ知る岩でした。それが変わったのは2018年です。

 NHKスペシャル『秘島探検 東京ロストワールド』が、孀婦岩を取り上げたのです。

 この取材は登頂だけでなく、それまであまり行われてこなかった調査も実施。孀婦岩が海面下の深いところまで垂直になっていることをも、このときに確認されました。

 NHKでも取り上げられた話題のスポット……という触れ込みで人が押し寄せる観光地は数多くありますが、残念ながら(?)孀婦岩だけはそうもならなそうです。

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