裏参道 = 北参道?
全ての物事には「表」もあれば「裏」もある――とよく言われますが、明治神宮(渋谷区代々木神園町)の周囲に伸びる参道「表参道」には、もしや「裏参道」があるのでしょうか。皆さん、疑問に思ったことはありませんか?
結論から言うと、裏参道はあります。
表参道が原宿駅側にあるのに対して、裏参道は北の代々木駅方面にあります。JR代々木駅を出ると都道414号の脇に「明治神宮北参道口」という石碑があり、そのまま南下して首都高速4号新宿線をくぐると、明治神宮内苑(ないえん)の「北参道入口」交差点に到着します。
交差点の東側にある山手線のガード下には「裏参道ガード」というプレートが設置されています。というわけで、裏参道は確かに実在するようです。では、
「裏参道 = 北参道」
なのでしょうか? いえいえ、物事はそう単純ではありません。
裏参道が千駄ヶ谷駅方面から延びているワケ
裏参道とは、現在の都道414号線・明治神宮外苑(がいえん)から千駄ヶ谷の駅前を通過して北参道の入り口までの道路のことです。
では、なぜ裏参道は千駄ヶ谷駅方面から延びているのでしょうか。理由はその用途にあります。
裏参道は元々、明治神宮内苑(ないえん)と外苑をつなぐ道路でした。『明治神宮外苑志』(明治神宮奉賛会)によれば、
「内苑北参道入口と外苑西北隅とを連結せる道路にして、青山六丁目より神宮橋に至り内苑南参道入口に達する道路を表参道と称するに対して、一に之を裏参道と言ふ」
とあります。
裏参道とはあくまで通称であり、正式名称は用途に即した「明治神宮内外苑連絡道路」でした。
内苑と外苑は裏参道で一体化していた
通称も「裏」で、現在の様子を見ると「通用口の類いかな」と思いがちですが、それは大きな間違いです。戦前の裏参道は、今からは想像できない威容を誇る道でした。
その道幅はなんと約36m。木で区切って車道と歩道、乗馬道を並べた幅の広い道路で、内苑と外苑は裏参道を通じて一体化していたのです。現在、内苑と外苑は分断されているように見えますが、これは本来の姿ではありません。
ところが1964(昭和39)年の東京五輪を前に、首都高速道路の建設が進みます。
首都高速道路の建設は買収による遅れをなくすために、川の上や公共用地などを積極的に利用しました。そうしたなか、裏参道の大部分も首都高速道路の用地として利用されることになってしまいます。
資料に書かれていない開発の詳細
ここには、どういった事情があったのでしょうか。
『明治神宮外苑七十年誌』などの資料を読んでも、詳細な事情はわかりません。おそらくは国家プロジェクトである東京五輪の成功は、裏参道よりも重要だったのでしょう。
こうして裏参道は、存在はしているものの誰も言及しないマイナーな道になってしまったのです。
東京人であれば知らない人のいない表参道の道幅は、裏参道より14m短い約22m。表参道も十分に広い通りですが、それよりもはるかに広かった裏参道が、いかに存在感のあるものだったか、容易に想像がつくというものです。
言うまでもなく、表参道は明治神宮内苑の南参道の入り口まで延びる道路を意味しています。
表参道付近にもなぜか「裏参道」が登場?
それはさておき、副都心線の北参道駅が2008(平成20)年に開業した後、裏参道一帯は少々面倒くさいことになっています。
北参道駅の駅名は近くに北参道があることに由来しているのですが、裏参道に面した辺りも北参道駅から距離が近いため、開業後に「北参道」の名前を使った建物が多くできてしまい、誤解を生みやすくなっているのです。
さらにこの記事を書くために周辺地図を眺めていたら、表参道付近に「裏参道」の名前をつけた施設を見つけました。いったいどのような意図で、この名前を使ったのでしょうか。もしや、「表参道から道を数本隔てた裏」にあるから?
かつての裏参道の存在は、これからますます薄れてしまうのかもしれません。
おすすめは北参道からのアプローチ
裏参道からつながる北参道、表参道からつながる南参道――これが、明治神宮のメインの参道のように見えますが、もうひとつ忘れてはいけないのが西参道です。
西参道は、小田急線の参宮橋駅からすぐのところにある鳥居から入る参道で、明治神宮の中でももっともひっそりとしており、人のいない参道として人気です。
個人的におすすめなのは、雑然とした風景がいきなり神聖なものに変わる、代々木駅から北参道に直接入るルートです。
そして参拝後、西参道から出て南に歩き、代々木八幡駅周辺の一風変わった下町感を味わうのも楽しいですよ。