正気か?狂気か? 90年代の渋谷に世にも奇怪な「ヤマンバ」が誕生したワケ
1990年代、渋谷を中心に一世を風靡したヤマンバファッション。ブームの背景について、フリーライターの本間めい子さんが読み解きます。男の目線を気にしない、それがヤマンバギャル 今となっては信じられませんが、二十数年前の東京には「終末感」があふれてました。この世が終わってしまうという危機感とは異なる、これまで誰も考えつかなかったことが起こるのではないかという、不安と期待の入り交じった雰囲気――。 そんな「終末感」は、さまざまな文化やファッションを生み出しました。なかでもひときわインパクトがあったのは、10代女性が中心となったヤマンバファッションではないでしょうか。 2000年『egg』45号(画像:大洋図書) ヤマンバファッションが世間の目を集め始めたのは、1999(平成11)年の7月を過ぎた頃のことでした。 その肌は日焼けサロンで1日に数時間かけてこんがりと焼かれた、当時のメディアで「ブリの照り焼き」と称されるほどの黒さ。髪の毛は白髪でボサボサ、口紅は白のリップペンシルで唇の色が見えなくなるまで塗りたくるのが当たり前でした。 アイラインは二重まぶたの幅の約2倍。それでも足りなければ、油性ペンで肌に直接書くのもOK。つけまつげは2cmもあるため、インパクトは絶大……。そんなファッションの女性たちが渋谷などを闊歩(かっぽ)していたのです。 なおこのブームをけん引したファッション誌『egg』では、「ブリテリ」というニックネームの女子高生スターも活躍していました。 1990年代は、女子高生が文化の担い手として幾度も注目されていましたが、ヤマンバファッションを身にまとったヤマンバギャルたちはそうした文化の延長にありながら、極めて異質でした。 その最大の特徴は、本人たちが 「男性にはウケない」 を、一種のステータスにしていたことです。 混迷する時代への反抗と存在証明混迷する時代への反抗と存在証明 そんなヤマンバファッションは確かに目立ったものの、世間からは奇異の目で見られていました。 親世代からの拒否反応は当然で、バイトの面接は通らず、電車に乗っていると知らない人に説教をされることもあったといいます(『女性自身』1999年10月26日号)。それでもヤマンバファッションの女性が増えたのは、既成の価値観に対する反発がありました。 1990年代に限っても、流行する女性のファッションには 「男性からどう見られるか」 という意識が必ずついて回りました。 1990年代には、美容研究家・鈴木その子に代表される「美白ブーム」もありました。いわばガングロと対になるブームですが、根底には「男性受け」という要素があったのです。 現在の渋谷センター街(画像:(C)Google) 当時は「顔がガンガン黒い」ガングロギャルから始まり、その上の「ゴンゴン黒い」ゴングロギャル、そのまた上のヤマンバギャルに別れていましたが、いずれも既成の 「女性はこうでなくてはならない」 という価値観への反発であり、「男性受け」要素から逃れられないファッションへの反発でもありました。いわば、若者たちの社会に対する「新たな反抗スタイル」がヤマンバファッションだったわけです。 1970年代までの若者たちの反抗は学生運動、あるいは暴走族として展開されていました。しかし、1980年代末のバブル期を経て、冷戦終結や経済成長の終わりとともに世の中の価値観は大きく変容します。 1990年代の混迷は誰も予測できず、よもや世界は滅亡するのではないかと錯覚させるにふさわしいものでした。なにしろ1991(平成3)年のソ連崩壊に始まり、バブル景気の終息で終身雇用制度が崩壊、リストラという言葉があちこちで使われるようになります。 また1995年の地下鉄サリン事件など、想像しえなかった陰惨な事件も次々と発生。そんな混迷の時代のなかで、自分の存在証明のひとつがヤマンバギャルだったといえます。 コロナ禍という「終末感」が生む新たな文化コロナ禍という「終末感」が生む新たな文化 ヤマンバファッションが女性から支持を集めたことは、ヤマンバ化した女性の年齢層幅を見ればわかります。 1999年に登場し始めた頃、一部の女子高校生にはやっているレアな文化で、季節の変わる頃には消滅していると見る人が多数派でした。ところが、1999年の秋が終わり、冬になる頃にはブームが終わるどころか、さらなる広がりを見せていました。 既に高校を卒業した、20歳から23歳までの女性がヤマンバファッションに身を包み始めていたのです。週刊誌『SPA!』2000年1月26日号では、こうした女性たちに取材。ファッションを変えたくないので会社を辞めたと話す女性などが登場しています。 コロナ禍のその後のイメージ(画像:写真AC) いずれも、自ら選んだファッションを貫き通す、意志の強い女性ばかりですが、インタビューに添えられた高校時代の写真がいずれも地味なのが印象的でした。 たとえ世間から奇異の目で見られても、自分の価値観を信じて突き進む女性たち。それは確かに新たな時代を生み出す要素のひとつでした。 翻って、現代のコロナ禍は1990年代とはまた違う形の「終末感」がまん延しています。果たしてこの先には、どんな文化やファッションが登場するのでしょうか。意外とそのヒントは、ヤマンバブームのなかにあるかのもしれません。
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