いつ生まれた呼び名なのか
東京が便利な都市です。電車で移動すれば、何かしら必要な店にすぐたどり着くことができます。
例えば明日、急にデートすることになり「大変だ~!着る服がない」と気づいたときも、ビームスやシップス、ユナイテッドアローズあたりの「セレクトショップ」に駆け込めば、なんとかなりますよね。
東京を代表するセレクトショップ・ビームスのロゴ(画像:ビームス)
私たちは服を買うとき、セレクトショップという言葉を当たり前に使っていますが、いったいどのような店か、皆さんご存じでしょうか。
セレクトショップとは、特定のブランドだけでなく、さまざまなメーカーが作った商品を置いている店のこと。というわけで、特定のブランドを掲げているショップ以外はすべてセレクトショップと呼ぶことができます。
しかし、店のバイヤーが独自のセンスで選んだ商品を並べる店は、古くから存在していたはずです。その中でも特に、ファッション分野の店をセレクトショップと称するようになったのは、一体いつごろからなのでしょうか。
筆者(星野正子。20世紀研究家)が早速調べて見ると、セレクトショップという言葉が定着したのは1990年代ということが判明しました。
1996年時点の温度感は
1990年代の新聞記事では、まだセレクトショップにちょっとした説明を加えています。
現在のセレクトショップのイメージ(画像:写真AC)
例えば、ファッション業界のバイヤーを取材した『日刊スポーツ』1996年9月7日付の記事には、こんな記述があります。
「新ブランドを見いだすのが、いわゆる商品を買い付ける『バイヤー』と呼ばれる人たちだ。そして、優秀なバイヤーがいるのが、百貨店、『オンワード樫山』などのアパレル会社、総合商社などと伍(ご)して、インポート(輸入)ブランド商品を扱う『セレクトショップ』と呼ばれる高級専門店。その代表的存在が大手化粧品メーカー資生堂グループの「THE GINZA」で、これまで、プラダ、ダナ・キャラン、ジョンガリアーノ、アライアなどを真っ先に日本に紹介した実績がある」
文中の「ブランド商品を扱う『セレクトショップ』と呼ばれる高級専門店」という説明的な書き方をしていることからも、セレクトショップという言葉がまだあまり定着していなかったことがわかります。
国際色豊かだった「南青山Uゾーン」
しかし、この言葉は急速に普及していきます。
特定のブランドで全身をコーディネートすることが主流だったバブル期と比べて、ファッションの潮流は1990年代半ばから大きく変わっていきます。
とりわけ注目を集めたのは、「南青山Uゾーン」です。南青山Uゾーンとは、表参道から根津美術館(港区南青山)へと続く「フロムファースト通り(みゆき通り)」と六本木方面に通じる「骨董(こっとう)通り」を結ぶ、根津美術館前のU型に広がった地域を指します。
青線が「フロムファースト通り」、赤線が「骨董通り」(画像:(C)Google)
この周辺は、バブル期に世界の有名ブランドショップが並び、「インターナショナル・ブランド・ストリート」と呼ばれていました。それが、1997(平成9)年頃になると様子が様変わりします。
周辺に店舗を構えていた「ボールルーム」などのセレクトショップが活況なことを受け、海外のセレクトショップの出店も目立つようになっていったのです。
バブル期を通じ、ファッションで自己主張をすることを学んだ日本人はその後、ブランド自慢ではなく、独自のセンスで主張することを覚えていったのです。そのための手段としても、セレクトショップは極めて有効だったというわけです。
セレクトショップの真価とは
これらのセレクトショップの隆盛に感謝したのは、やはり地方から出てきた若者たちでしょう。
筆者が上京し、大学に入学したのは1994(平成6)年のことです。入学ガイダンスの終了後、クラスで集合写真の撮影が行われ、その後に配布されました。
卒業時期になって、その写真を引き出しからたまたま見つけたときには、がくぜんとしたものです。地味な学生が比較的多い学部だったことを差し引いても、決しておしゃれとは言えませんでした。
当時のファッションの基本は、灰色か黒。奇妙なロゴが付いているトレーナーを着た学生がいたり、チェック柄のシャツをズボンにインしたりしている学生もちらほら。その写真1枚で、いかに学生たちが4年間の大学生活でファッションセンスを磨いたのかが、痛いほどよくわかりました。
現在のセレクトショップのイメージ(画像:写真AC)
地方から出てきたばかりの田舎っぽさを拭い去るために役だったのは、間違いなくセレクトショップだったのです。
「おすすめなのがセレクトショップだ。オーナーが自らの目でチョイスし、選りすぐったブランドの数々。おしゃれ感覚を身につけたいビギナーにとって、一定のセンスでセレクトされたアイテムは気負わないおしゃれができること請け合いだ」(『東京生活どうする?』マガジンハウス 1995年)
そうやって、ファッションセンスを磨く場だったセレクトショップ。今でも、その価値は変わっていません。