「新」渋谷駅の真価はこれから
若者の街として知られる渋谷は現在、再開発の真っ最中です。2019年末、東京メトロ銀座線の渋谷駅ホームが移設工事を実施。年末年始の6日間、銀座線渋谷駅は使用中止になりました。
1938(昭和13)年に銀座線渋谷駅が開業して以来、ビルの地上3階から発着していた銀座線の光景は見られなくなりました。新たに生まれ変わった銀座線渋谷駅は慣れない動線、JRとの乗り継ぎに時間を要する使い勝手などから、現時点での評判はあまりよくありません。
「新」渋谷駅の真価はこれから問われることになりますが、銀座線渋谷駅のホーム移転は単に地下鉄ののりばが変わったという意味だけにとどまりません。ホーム移設は渋谷再開発駅の一環であり、渋谷という街全体にその効果が波及します。
ハチ公像と並ぶ駅前広場のランドマーク
時代によっても異なりますが、渋谷駅かいわい、特に若者を多く魅了してきたのはハチ公口から広がるスクランブル交差点とそこに続くセンター街です。
ハチ公口のスクランブル交差点は、日常的に往来している人たちにとっては何の変哲もない交差点です。しかし、初めて渋谷に降り立った訪日外国人観光客の目には新鮮に映るようです。スクランブル交差点の雑踏は、初めて目にする人にとって“クレイジー”であり、“アメイジング”であり、“サプライズ”な光景でもあるのです。
その名前の通り、渋谷駅ハチ公口は、忠犬・ハチ公の銅像があることで知られています。そして、ハチ公像は待ち合わせのランドマークにもなってきました。
そして、ハチ公像とともに2006(平成18)年からランドマークの役割を担ってきたのが、駅前広場に保存・展示されていた東急電鉄の初代5000形車両です。
エポックメイキングな車両だった
「初代」とつくのは、東急の5000形は2種類あり、2代目は2002年から田園都市線で走り始めているからです。それらを区別するため、「初代」と言われています。
初代5000形は、1954(昭和29)年から東横線で走り始めました。当初、3両編成で運行されていましたが、大井町線や新玉川線(現・田園都市線)などでも走るようになり、編成数も増加していきます。そのルックスから、初代5000形は鉄道ファンや沿線住民から“青ガエル”と呼ばれて親しまれました。
東急の歴代車両の中でも、青ガエルは特にエポックメイキングな車両として知られています。それまでの鉄道車両とは、比べものにならないほど高性能車両だったからです。そのため、青ガエルはすぐに東急のエース車両として活躍するようになります。
地方の鉄道会社から熱いラブコール
高性能だった青ガエルですが、歳月とともに新しい車両が次々に東急に登場しました。そのため、青ガエルは東急で活躍の場を失います。
東急線で活躍できなくなっても、青ガエルが高性能電車であることは鉄道業界・関係者の間では広く知られていました。中古車両として魅力的なこともあり、経営的な事情から新しい車両を製造できない地方の鉄道会社は、東急にラブコールを送り、使われなくなっていた青ガエルを譲り受けます。
青ガエルの新天地は、福島県の福島交通、静岡県の岳南鉄道(現・岳南電車)、長野県の長野電鉄と上田交通(現・上田電鉄)、松本電気鉄道(現・アルピコ交通)、熊本県の熊本電鉄など全国にわたりました。こうして、1977(昭和52)年から青ガエルは東急線以外で第二の人生を送ることになりました。
渋谷からハチ公のふるさとへ
1986(昭和61)年、すべての青ガエルが東急線での運用を終えました。しかし、地方に移籍した青ガエルはその後も活躍を続けます。2016年、最後まで現役として頑張っていた熊本電鉄でラストランを迎え、姿を消しました。
青ガエルはエポックメイキングな車両だったため、東急は上田交通で運用を終えた車両を引き取り、渋谷区をはじめとする諸団体の協力を得て、2006年から渋谷駅ハチ公口に保存・展示。オブジェではなく、車内にはチラシなどが置かれるなど、観光案内所として活用されました。
渋谷駅の再開発に伴い、ハチ公口も大幅なリニューアルが計画されています。そのため、青ガエルの処遇問題も浮上しました。そして、関係者の尽力もあって、青ガエルはハチ公のふるさと・秋田県大館市に引き取られることが決まったのです。
ハチ公像で知られる渋谷区とふるさとの大館市の両自治体が、今度は青ガエルで友好を深めることになります。
東急線で活躍し、第二の人生を上田交通で過ごし、渋谷に戻って第3の人生を送っていた青ガエルは、2020年7月をメドに大館市で第4の人生をスタートさせる予定です。