矢沢永吉『恋の列車はリバプール発』――品川区発のバカテク早熟プレーヤーたち 品川区【連載】ベストヒット23区(10)

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矢沢永吉『恋の列車はリバプール発』――品川区発のバカテク早熟プレーヤーたち 品川区【連載】ベストヒット23区(10)

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スージー鈴木

音楽評論家。ラジオDJ、小説家。

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人にはみな、記憶に残る思い出の曲がそれぞれあるというもの。そんな曲の中で、東京23区にまつわるヒット曲を音楽評論家のスージー鈴木さんが紹介します。

日本のロック史を彩るプレーヤーを多く輩出

 前回の葛飾区から、京成線 → 都営浅草線 → 京急線とスイスイ直通で移動して、青物横丁駅あたりで下車。今回は「ベストヒット品川区」。

 品川区と言えば品川駅――のはずですが、すでにお知らせしたとおり、品川駅は実は港区。京急で言えば、北品川からが真の品川区となります。その代わりと言ってはなんですが、目黒駅が品川区。

 品川区と言っても、イメージが希薄で、特に音楽のイメージは一見、あまり感じません。ただ調べてみると、日本のロック史を彩る名プレーヤーが多く生まれた街だったのです。

高校時代から大活躍のChar

 今回は、品川区出身の名プレーヤーを3人、ご紹介したいと思います。共通点はふたつ。「早熟」と「バカテク」(「バカほどうまい」の意味。念のため)。

 まずはChar。品川区戸越出身。1955(昭和30)年生まれで今年65歳。開業医のご子息。スタジオミュージシャンとしてのデビューは何と15歳。都立大崎高校(品川区豊町)在籍時代から、ギタリストとしてケタ外れのギャラを稼いでいたといいます。レコードデビューも早く、18歳。「バッド・シーン」というバンドのメンバーとして。

Charにもなじみ深い戸越銀座の様子(画像:写真AC)



 その後、伝説のバンド「スモーキー・メディスン」を経て、ソロデビュー。70年代後半には、バカテクのギターと甘いルックスで大人気となり、世良公則&ツイスト、原田真二とともに「ロック御三家」というミもフタもないネーミングで語られることになりました。

英国のロックキッズをとりこにした後藤次利

 次に後藤次利。品川区五反田出身。1952(昭和27)年生まれですから今年63歳。ベーシストとしてのデビューは19歳ですから、こちらも早い。

 初めはギターを弾いていたのですが、フォークデュオ「ブレッド&バター」が岸部シロー(あまり語られませんが、高音が魅力の、とても優秀なボーカリストだったのです)と全国ツアーのバックを担当することになり、ベースがいないということで、急きょ、ベーシストに任命されました。

後藤次利の地元である五反田駅周辺の様子(画像:写真AC)



 後藤次利はその後、加藤和彦率いるサディスティック・ミカ・バンドで名をはせ、イギリス公演では、そのスラップ(チョッパー)奏法で現地のロックキッズのドギモを抜きます。「後藤のベースに対しては口からアワを吹き、絶賛の声を投げかける聴衆の姿が見られた」と現地紙(サウンズ紙 1975年10月18日)に書かれたほどで、何だかすごい。

 80年には、沢田研二『TOKIO』で編曲家としても脚光を浴び、その後、おニャン子クラブやとんねるず、工藤静香の楽曲で「ギョーカイ」っぽい成功を収めたのはご存じの通り。

バカテクでも顔立ちが憎めない高中正義

 品川区出身名プレーヤー列伝の最後は高中正義。品川区大井町出身。実家はマージャン屋「三元閣」。1953(昭和28)年生まれで今年62歳。後藤次利同様、ギターを弾いていたものの、つのだ☆ひろ、成毛滋とバンド「フライド・エッグ」でデビューしたときはベーシスト。この人も早熟で、このときまだ18歳。

高中正義の地元である大井町駅周辺の様子(画像:写真AC)

 ただ高中正義はギタリストに復帰。後藤次利と並んで、サディスティック・ミカ・バンドで一躍有名に。その後、ソロギタリストとして楽曲『BLUE LAGOON』(1980年)や、アルバム『虹伝説 THE RAINBOW GOBLINS』(1981年)などで人気が爆発します。

 他の品川区名プレーヤーと違うところはルックス。昭和的に言えば「ハンサム」なCharや後藤次利に対して、憎めない顔立ち。87年のクリスマスイブに放映された日本テレビ『メリー・クリスマス・ショー』(Charも出演)で、司会の明石家さんまが、高中正義のサングラスを突然無理やり取り外して「ラッシャー板前君です」と言ったのが忘れられません。

今回のメンツは「ほぼ品川区」

 と、「品川区名プレーヤー列伝」を見ていきました。「ベストヒット品川区」は、この3人絡みで言えば、高中正義と後藤次利在籍時のサディスティック・ミカ・バンドの曲から選べればと思ったのですが、有名な曲が無いので却下。

 そこで今回は、変化球で決定します。矢沢永吉『THE STAR IN HIBIYA』(1976年)という、極めて初期のライブアルバム(at 日比谷野外音楽堂)があるのですが、そのライブで、矢沢永吉のバックとして、サディスティックスが起用されているのです。

矢沢永吉『THE STAR IN HIBIYA』の舞台となった日比谷野外音楽堂の様子。ちなみにこちらは千代田区(画像:写真AC)



 サディスティックスはサディスティック・ミカ・バンドの後継で、メンバーは後藤次利、高中正義、高橋幸宏、今井裕。残念ながらCharはいませんが、代わりに高橋幸宏が品川区近隣の目黒区出身ということから「ほぼ品川区 featuring 広島(矢沢永吉)」として、このアルバムに注目します。

「ベストヒット品川区」はアルバム冒頭の『恋の列車はリバプール発』。99年9月15日(矢沢永吉50歳の誕生日翌日)に行われた横浜国際競技場でのコンサートで、後藤次利、高中正義、高橋幸宏が23年ぶりに再結集、「品川区 featuring 広島」の形でこの曲が演奏されたこと敬意を表して。

大田区のシャネルズより……?

 最後に、Charのインタビューから興味深いフレーズを引用します。

――世田谷のほうは今でもそうだけどオシャレな音楽やってて、(中略)こっちの京浜方面では結構悪いのをやってて、グランド・ファンク(・レイルロード)とか、あまりキーボード関係ないグループ(『日本ロック体系1957-1979』白夜書房)

 世田谷出身のギタリストとして、鈴木茂を置いてみるとはっきりします。世田谷よりは悪そう。だけれども、同じく京浜地区 = 大田区大森のシャネルズよりはスタイリッシュ、そんな絶妙なイメージを持つのが、品川区出身の名プレーヤーたちなのです。

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