手塚治虫とトキワ荘が残した、知る人ぞ知る「もうひとつの遺産」
2020年1月13日
ライフかつて豊島区椎名町(現・南長崎)にあり、名だたる漫画家たちを輩出したアパート「トキワ荘」。豊島区が文化発信拠点「トキワ荘マンガミュージアム」を2020年3月にオープンさせるなど、再び注目を集めています。トキワ荘の住人だった手塚治虫らが残した功績とは、何もその作品の数々にとどまらない――編集者の中川右介さんが、そのレガシーに迫ります。
手塚・藤子・赤塚・石ノ森が暮らした、伝説のアパート
かつて東京・豊島区に「トキワ荘」というアパートがありました。
手塚治虫、藤子・F・不二雄、藤子不二雄A、赤塚不二夫、石ノ森章太郎といった、今ではレジェンドとされるマンガ家たちが、若い頃に暮らしていた4畳半ひと間のアパートです。

老朽化して1982(昭和57)年に解体されてしまい、そのときもマンガファンたちは「惜しむ声」をあげましたが、当時の行政はマンガの価値を理解していなかったので、あっさりと解体されました。
それから40年近くが過ぎて、マンガは日本文化の代表となりました。海外へ輸出されるコンテンツとしてもてはやされたため、豊島区がマンガのミュージアムとしてトキワ荘を再建し、2020年3月にオープンする予定です。
最初にトキワ荘に暮らしたマンガ家は手塚治虫でした。入居したのは1953(昭和28)年1月のことで、当時24歳。デビュー8年目で『ジャングル大帝』『鉄腕アトム』『リボンの騎士』という、生涯を通しての代表作を含む9作を月刊誌に連載していた時期にあたります。
手塚治虫がトキワ荘で暮らしたのは2年弱で、1954年秋に雑司ヶ谷へ引っ越します。
その手塚治虫がいた部屋に、藤子・Fと藤子A(当時は、ふたりでひとつのペンネーム「藤子不二雄」を名乗り、コンビを組んでいました)が入居し、1956(昭和31)年に石ノ森と赤塚が入居したことで、トキワ荘は本格的な「マンガ・アパート」となりました。皆、すでにデビューしていましたが、まだヒット作はない、駆け出しのマンガ家でした。
1961年秋に、藤子不二雄のふたりと赤塚がトキワ荘を出て、翌年初めに石ノ森も出て行くので、4人がそろっていたのは6年弱でした。
トキワ荘には、彼ら以外にもマンガ家が暮らしていました。
寺田ヒロオ、鈴木伸一、よこたとくお、森安なおや、水野英子といった人たちです。鈴木はアニメーションの世界へ行き、森安だけはメジャーな雑誌には描きませんでしたが、こんなに成功率が高いグループは、ほかにないでしょう。無名のまま消えていった人がいないのです。
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