都内の約40か所で祭られる閻魔さま像
新年を迎える今日このごろ。元旦のおめでたい気分で、神社やお寺の初詣へと向かう人たちも多いでしょう。しかしその後には、ひとひねりして「おめでたくない」初詣をするのもいいかもしれません。
それはずばり、地獄の大王・閻魔(えんま)さまへのお参りです。そんなの縁起でもない? いいえ、これも理由あっての提言なのです。
実は、東京には昔から「閻魔信仰」が根付いていました。現在も約40か所で閻魔さま像が現存し、祭られています。
また、閻魔さまの縁日とされるのは、1年のうち1月16日と7月16日。これは商家の奉公人たちの休日である「藪入り」と同日です。そんな日には地獄も休業するため、閻魔さまもぶらりと地上に出てこられる……という発想なのでしょうか。
東京各所で祭られている閻魔さま像も、この2日間にご開帳(公開)されたり、お祭りが行われるパターンが多いのです。
「ハイテク閻魔」もいる
まず縁日のお祭りが盛んなお寺といえば、「こんにゃく閻魔祭り」の源覚寺(文京区小石川)と、「閻魔開き」の勝専寺(足立区千住)でしょう。前者は参拝客にこんにゃくがふるまわれ、後者は門前通りにずらりと屋台が並びます。
その他の場所はどうでしょうか。先ほど閻魔さまを祭るスポットは約40か所ある、と言いましたが、そのスケールは大がかりなところからこぢんまりしたところまでさまざま。初心者が参拝しやすいところをオススメするなら、「深川ゑんま堂」の法乗院(江東区深川)、「つけひも閻魔」のいる太宗寺(新宿区新宿二丁目)の2か所がオススメです。
●法乗院(江東区深川)
今ではほぼ道路に埋め立てられていますが、深川はその名の通り、河川が多く入り組んだ土地でした。区画の名残を見れば、「深川ゑんま堂」のある法乗院も川に囲まれた地区と察することができます。
橋を渡っての参拝は、さんずの川を越える黄泉(よみ)行きを思わせたでしょう。徳川家光の世から、閻魔さまは庶民に親しまれてきたのです。
こちらの由緒正しい閻魔さま像ですが、残念なことに一度、1923(大正12)年に発生した関東大震災で消失してしまいました。現在の像は1989(平成元)年に造られたもの。しかしその「新しさ」こそ、数ある他の閻魔さまとは一線を画す個性があります。
実はこの閻魔さま、知る人ぞ知る「ハイテク閻魔」。新しいだけにさまざまな機能が充実しており、音や光とともにスピーカーからお説教が流れる仕組みになっています。
さらに現代的なホスピタリティも充実。「息災祈願」「浮気よけ」など、祈願内容は19種類にも小分けされています。さらにそれぞれのさい銭口から小銭を入れれば、それぞれのお祈りに応じた閻魔さまの口上が、スピーカーから流れるという仕組みで、手持ちの小銭が許せば全説教をコンプリートしたくなるほどです。
「つけひも閻魔」の由来とは
しかもそのアドバイスも、罪人を裁く地獄の大王らしからぬ穏やかな文言。「細かいことを気にするな」「健全に生きなさい」と、閻魔さまにしては口調が優しすぎる気がしなくもないのですが……。
こちらのご開帳日は「毎月」1日・16日と他より多め。その日はお堂内に入れるので、閻魔さま像の裏にも回って地蔵菩薩(ぼさつ)も拝んでおきましょう。この地蔵菩薩も願いに応じた護摩木(ごまぎ)が用意され、それを投入すればスクリーンに極楽浄土が映写されるなど、ハイテク機能満載です。
●太宗寺(新宿区新宿二丁目)
こちらは都内で最もアクセスしやすい閻魔さまかもしれません。寺のお堂にでん、と座る巨大な閻魔さま像には「赤ん坊を食い殺した」という恐ろしげな逸話が残されています。
江戸時代、太宗寺の境内でひとりの乳母が赤子をあやしていました。一向に泣きやまない赤ん坊に、乳母はこんな小言をつぶやきます。「悪い子にしていると、閻魔さまに食べられてしまいますよ」。
そのとたん乳母の背中がやけに軽くなり、振り向けば消えている赤子……慌ててあたりを見回すと、なんと閻魔さま像の口からおんぶひもがダラリとぶらさがっているではありませんか。何の気なく発した言葉の通り、赤ん坊は閻魔に食べられてしまったのです……。
それ以降、この像は「つけひも閻魔」と呼ばれるようになったとのこと。この近辺はもともと宿場町、そして風俗街として栄えた場所でもあります。そこでは「飯盛女」と呼ばれた女性たちが、過酷な労働を強いられていたのです。赤子をあやしていた乳母も、そうした奉公人のひとりだったのでしょう。
この怪談、あるいは赤子を食らう閻魔さまに、女性や子どもを食い物にする暴力的な男性たちを象徴させたのかも……などとというのは、深読みしすぎでしょうか。
縁日でなくても参拝可
閻魔の横にはさんずの川のほとりで、亡者たちの服を脱がすという老婦人・奪衣婆(だつえば)の像もあります。こちらは「服をぬがす」というつながりから、飯盛女たちに閻魔さまよりもあつく信仰されていたそうです。同じ地獄の住人でも、老女である奪衣婆の方にこそ、女性たちの共感が寄せられたのでしょう。
閻魔さま、奪衣婆ともに暗いお堂に安置されていますが、スイッチを押せば1分間だけ明かりが点灯。ご開帳日でないタイミングでも、金網ごしにその姿をのぞくことができます。
こちらを参拝した後は、飯盛女たちの墓がある成覚寺(新宿区新宿二丁目)や、綿をかぶったもうひとつの奪衣婆像がある正受院(同)も訪れてみましょう。どちらも太宗寺から歩いてすぐの場所にあります。
都内には他にも多くの閻魔信仰が残されています。もちろん縁日でなくても金網ごしだったり、ガラスごしだったりと少し遠くから参拝することは可能です。ただ、せっかく身近に接することのできるご縁日。ちょっと遅めの初詣として、1月16日の閻魔参拝などはいかがでしょうか。