新駅開業で話題の「高輪」にミニチュアのようなかわいい建物があった いったい何?

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新駅開業で話題の「高輪」にミニチュアのようなかわいい建物があった いったい何?

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黒沢永紀

都市探検家・軍艦島伝道師

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高級住宅地として知られる港区高輪に一風変わった形の消防署があります。その名は「高輪消防署 二本榎出張所」。同出張所について、都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。

高輪が高級住宅街になったワケ

 山手線の駅としては久しぶりの新駅となる「高輪ゲートウェイ駅」。2020年に暫定開業の予定地から西へ歩いて約10分、二本榎(えのき)というちょっと変わった名前の通り沿いに、まるで模型の様な建物が突然姿を表します。高輪消防署の二本榎出張所(港区高輪2)。今回は、とても珍しいルックスをした消防署の話です。

 高輪消防署二本榎出張所(以降、二本榎出張所)は港区の南端、住所でいうと高輪のほぼ真ん中に位置し、小綺麗な低層ビルと大きめの住宅が混在する閑静な街並に囲まれています。

模型のようなかわいい外観の高輪消防署二本榎出張所(画像:黒沢永紀)



 高輪は江戸時代に大名屋敷が軒を連ね、明治になってからその敷地の多くが皇族や富裕層の邸宅として転用されました。都内のあまたの大名屋敷が軍用地に転用された中、宅地転用されたことが、国内有数の高級住宅街となった一因といえるでしょう。

 周囲には高野山の東京別院(高輪3)や、近代建築3巨頭のひとり、フランク・ロイド・ライトの愛弟子である岡見健彦氏設計の高輪教会(同)、そして隣接する白金台には明治学院大学などがあり、歴史と文化の香り漂う街並みです。

 また消防署の名称である二本榎は、江戸期からの界隈の通称で、かつて榎の大樹があったことからと言われます。

昭和モダン建築の生き証人

 そんな閑静な街の一角に佇む二本榎出張所は、警視庁の営繕課に所属していた越智(おち)操氏の設計による1933(昭和8)年竣工のモダン建築。交差点に接する角に大きく弧を描く1階と2階、円形講堂の3階、その上に細長く立ち上がる火の見櫓(やぐら)を兼ねた望楼が4階から7階というように、とても特殊な外観をした建物は、ともすると艦橋(かんきょう)にも見紛うそのルックスから「海原をゆく軍艦」といわれていたようです。

 この特殊なデザインは、ドイツ表現主義と呼ばれる当時世界を席巻した建築様式の流れをくむもので、建物全体のみならず、細部にいたるまで流行りの建築装飾がこれでもかといわんばかりに散りばめられています。いまなお現役で使われる二本榎出張所は、いわば昭和モダン建築の生き証人のような存在と言えるでしょう。

右書き文字の消防署名やマホガニーの観音扉が時代を伝える玄関(画像:黒沢永紀)



 なんといっても、聳え立つ望楼にまず目を奪われます。角地に建つ望楼を併設した建物は、東京に限らず国内の多くの地域にありますが、ここまで望楼が強調された建物は、数少ないのではないでしょうか。

 特に明治から昭和の戦前まで、国内で数多く建造された洋風な望楼を持つ建物は、現代ではあまり見かけなくなりました。上階へ行けばそのまま見晴らしのいい、ガラス張りの高層ビルにとってかわられ、わざわざ望楼を追加するまでもありません。

「岸壁上の灯台」とも呼ばれた

 また、高層タワーが各地に建設されたことも、望楼建築が造られなくなった一因でしょう。もはや望楼が付随する建物は、過去の遺物になってしまいました。

 もともと建物に併設された望楼は、眺望のためだけに造られるものではありませんでした。時には権威の象徴であったり、時には寄港する船からの目印であるなど、さまざまな役割を併せ持っていました。

 そして、もっとも実用的だった望楼といえば火の見櫓ではないでしょうか。高台に建つ二本榎出張所は、かつて東京湾まで見渡せたことから「岸壁上の灯台」とも呼ばれたようです。

 塔屋部分のうち、4階から6階までは階段室で、下の2階を方形の窓、6階を丸窓にするなど、設計者の遊び心と細やかな気配りが見てとれます。

 3階の円形講堂に施工された縦長の連続アーチ窓もまた、ドイツ表現主義の象徴的なデザイン。全部の窓を方形にせず、ここにアーチ窓を並べることで、より一層強く建物を印象付けます。また、外壁をクリーム色の磁器タイルで覆い、1階の腰壁に白い花崗岩を使うことで、官公署にありがちな重苦しい雰囲気を払拭しています。

使われなくなった塔屋

 館内も、小学校の流し台などによく使われる研ぎ出しの人造石を腰壁に使い、壁面上部には蛇腹状の装飾を施し、受付窓をアーチ型にするなど、シンプルな中にも昭和モダンのエッセンスをしのばせ、官公施設としての堅実さと親しみやすい軽快さの両立に成功しています。

 二本榎出張所でもっとも特徴的なのは、3階の消防資料館として使われているかつての円形講堂。外からも確認できるアーチ型の窓から差し込む日差しに照らし出される、天井に施工された放射状のデザインは、火事を鎮火する水流のようなイメージをも連想させ、直線と曲面の見事な融合で、いつまで見ていても飽きません。

アーチ型の連続窓が昭和モダンな、消防資料館として使われているかつての円形講堂(画像:黒沢永紀)



 消防資料館には、江戸時代からの消防器具や二本榎出張所の変遷写真が展示されています。特に竜吐水(りゅうどすい)という、江戸から明治に使用された木製の消防ポンプや、丸太梯子と呼ばれる、収納して1本の丸太になる木製の梯子(はしご)などは貴重な展示といえるでしょう。

 残念ながら4階以上の塔屋部分は老朽化のため、現在では署員も立ち入らないとのこと。望楼が使われたのは1971(昭和46)年までで、今は中央管理による通達で出動するため、もはや望楼からの監視は必要なくなったと言います。

大戦間時代を今に伝える、昭和モダン

 また、署内には本格的な国産第一号の消防車といわれる「ニッサン180消防ポンプ車」が静態保存され、道端からも見ることができます。

消防資料館に展示されている、折りたたむと1本の棒になる丸太梯子(画像:黒沢永紀)



 1941(昭和16)年に配属され、特に戦中は空襲による火災消火で大いに活躍した消防車。23年間稼働したあと、久しく四谷の消防博物館に展示され、2013年に庁舎落成80周年を記念して里帰りしました。

 現代の消防車と比べると2分の1くらいの大きさで、とても可愛い印象です。木製の梯子や木製の柄が付いた鳶口(とびくち)などの火消し道具がむき出しで装備され、ボンネット型のフロントや腕木式の方向指示器が懐かしさを誘います。

 なお、二本榎出張所は、申し込により内覧も可能。もちろん外観はいつでも見学できます。激動の大戦間時代を今に伝える、昭和モダンが凝縮した二本榎出張所。ぜひ一度、ご覧になってはいいかがでしょうか。

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