歴史の証人に遭遇? 昭和最大のミステリー「三億円事件」を辿ってぶらり散歩

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歴史の証人に遭遇? 昭和最大のミステリー「三億円事件」を辿ってぶらり散歩

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カベルナリア吉田

紀行ライター、ビジネスホテル朝食評論家

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1968年に発生、世間を震撼させた大事件「三億円事件」。その現場となった府中市を紀行ライターのカベルナリア吉田さんが歩きます。

国分寺街道を南へ下り、学園通りへ

 JRそして西武線国分寺駅で降り、北口から外に出ると駅前は大開発中。タワーマンションが立ち並び、そのふもとには更地が広がり、さらに何か大規模なものが造られる様子です。

 バス停には人が大勢並び、バスが来ると一斉に乗り込んでいきます。一瞬、人はいなくなりますが、また人が並びバスが来て、車が途切れずに走り――駅前の喧騒は収まる気配がありません。

 ロータリーの一角から道幅の狭い商店街が延び、店がひしめいています。唐揚げハイボール酒場、コンビニエンスストア、携帯電話ショップ――かつてこの辺りに、日本信託銀行国分寺支店があったはずですが、残像は見えません。

かつて日本信託銀行があった商店街(画像:カベルナリア吉田)



 商店街の入口を国分寺街道が横切り、大きくカーブして南へと延びています。JR中央線の高架をくぐり、多喜窪通りを渡って少し進むと――歩道が途切れました。道沿いは一戸建ての家が多くなり、古い商店も残っています。

 続く交差点の信号に「一里塚」の表記も。道ばたに立つ古い「東元町商店会」の看板。「お買い物は地元商店街」の一文が歴史を感じさせ、時が少しずつ遡っていきます。

「お鷹の道」への方向を示す案内板に誘われ、小川沿いに延びる脇道にそれてみます。流れる小川は野川。「名水100選」「カワニナを取らないで」「ホタルの住む川」の看板が次々に現れます。

どこまでも続く高さ4mほどの白い塀

 道ばたに緑が茂り、花も咲いています。児童遊園の滑り台で子どもたちがはしゃぎ、歓声が響きます。駅前の喧騒も、ここまでは届きません。この辺りは江戸時代から徳川家の御鷹場(おたかば)に指定され、野川に注ぐ清流沿いの道は、いつからか「お鷹の道」と呼ばれたそうです。

 市指定重要文化財「旧本多家住宅長屋門」を横目に見つつ進むと、国分寺楼門が見えてきます。どっしりと分厚い木造の門は、風格が漂いひたすら荘厳。そして近くに緑地が広がり「武蔵国分寺跡」の看板も立っています――史跡の一角に、現金輸送車は乗り捨てられていたそうです。

どっしりと分厚い国分寺楼門(画像:カベルナリア吉田)



 国分寺街道に戻ると、再び喧騒。車、車。轟音を響かせトラックが通過。南へ進み、市境を越えて府中市へ。左に交番、右に牛丼屋。午後3時すぎ、ランドセルを背負った制服姿の子どもたちが、バス停に大行列。その先の明星学苑前交差点を右折して、西へ。

 道の名は「学園通り」。しばらくは中華料理店にクリーニング店など店も並びますが、ほどなく店は途切れました。そして道の南側に、高さ4mほどの白い塀がどこまでも続いています。塀の向こうは――府中刑務所です。

 塀を見上げつつ、西へ進みます。今度は私服の小学生が、前方から大勢やってきます。近くに小学校があるようで、また途中に府中高校もあります。刑務所こそありますが、なるほど「学園通り」です。

 白い塀が続いています。

雨の朝、事件は起こった

 1968(昭和43)年12月10日の朝。日本信託銀行国分寺支店を出発した現金輸送車は、雷鳴とどろく土砂降りの雨の中、国分寺街道を南へと進んでいました。向かう先は東芝府中工場。輸送車には従業員約4500人分のボーナス計2億9430万7500円が、ジュラルミン製のトランク3個に分けて保管され、運ばれていました。

 実はその4日前の12月6日に、同じ日本信託銀行国分寺支店の支店長宅に脅迫状が届いていました。300万円を払わなければ、支店長宅をダイナマイトで爆破する!……輸送車に乗る行員の心の隅に、恐怖の残影があったかどうか定かではありません。

 輸送車は府中市に入り、交差点を右折して「学園通り」と呼ばれる道を進んでいきます。府中刑務所の裏手にあたり、道の片側には塀がどこまでも延びています――前方に立ち進路をふさぐ、白バイ警官?

「その車にダイナマイトが仕掛けられている」

 男に命じられるまま、輸送車に乗っていた4人の行員は、車から降りました。すぐさま男が車の下に潜り、そして煙が!

「爆発するぞ、逃げろ!」

 行員たちが慌てて離れ、そして男は運転席に乗り込み、車は走り去りました――え?

 雨降る路上に残された、煙を上げる発煙筒。わずか3分の間に、3億円を乗せた現金輸送車は、強奪されました。

 ほぼ1時間後、輸送車は現場から1.5km離れた、旧国分寺史跡内で発見されました。犯人が現金を積み替え、逃走に使ったと見られる濃紺のカローラが、事件から4か月後に発見されました。車内にはカラのトランク3個が残されていたそうです。

武蔵国分寺跡(画像:カベルナリア吉田)



 当時としては想像を絶する高額「3億円」盗難事件は、報道を連日大いににぎわせました。犯人のモンタージュ写真が公開され、10万人以上の容疑者が捜査線上に浮かび、中には限りなく黒に近いと思われる者もいたそうです。

 しかし誤認逮捕にメディアの暴走など、事態は解決どころか大混乱。のべ約17万人の捜査員を投入し、100点以上もの遺留品があったにも関わらず、事件は時効を迎え迷宮入りとなりました。

 その後も「犯人は女子高校生説」や、「自分がやった」と名乗り出た男の珍妙な振る舞いが世間をたびたび騒がせました。いっぽうで銀行は保険に入っていたため、ボーナスは東芝社員に予定通り支給されたそうです。

 結局銀行は損をしていないため、実はジュラルミンのトランクの中はカラだったのでは? という推測もされましたが――事件はいつしか人々の言の葉に上ることも減り、忘れられていきました。

「東芝前」で一杯飲む

 学園通りをそのまま進むと、南北に通る府中街道と交差。街道に沿いJR武蔵野線の電車が、ガタンゴトンと走っていきます。

 街道を南へ。道の片側は引き続き刑務所のフェンスが延び、反対側には工場と倉庫ばかりが並んでいます。通行人は少なく、車だけが何台も走り抜けていきます。

 道の西側に、武蔵野線の北府中駅が見えてきます。駅前に立つバス停には「東芝前(北府中駅前)」の表示が。駅西には今も、東芝の事業所があります。

東芝前バス停(画像:カベルナリア吉田)



 駅前で一杯、といきたいところですが、ロータリーがあるわけでもなく周辺は殺風景。それでもアパート1階に店が固まる一角を見つけ、適当な1軒に入ってみました。

「おっ、いらっしゃい」と微笑むご主人、ではなくカウンターに座る先客のオジさん。生ビールを注文し、一気に飲む僕を見て「1杯目はおいしいよねー」と言って笑います。

「北府中駅前は、居酒屋は少ないですね」

「そうだね。東芝の人もみんな(京王線)府中駅のほうに行っちゃうから。この辺じゃ府中駅前を〈マチ〉って言うよ」

 その後も何度か「マチのほうじゃ」「マチのほうじゃ」と言うオジさん。「この店もマチも東芝でもっているから」とも言います。

「田舎から15で出てきて東芝に就職して、その年にあの事件が起こったよ」――はい?

「今日はボーナスだからって、朝からみんなウキウキしていたなあ。俺は昼間は学校に通っていて、そしたら学校の先生が言うんだよ。(ボーナスが)盗まれたから、今日は出ないって」「ビックリしたけど、翌日ボーナスは出たよ。袋詰めが5000人分くらい? 大変だったんじゃないかなあ」

 オジさんはむしろ淡々と話してくれましたが――まさか当時、東芝にいた人に話を聞けるとは思ってもいませんでした。散歩を続けていると、時にはこんなこともあるのです。

謎と闇に満ちていた昭和という時代

 昭和は不思議な時代でした。未解決の事件が多く、どれもスケールが大きくて、計り知れない謎と闇に満ちていました。

北府中駅(画像:カベルナリア吉田)



 記憶の片隅に埋もれがちな、昭和事件史をたどるぶらり散歩。事件の現場を歩きながら、ときには素人推理を巡らせつつ、昭和という時代に想いを馳せるのも一興でしょう。ただし事件による犠牲者がいる場合は、追悼の気持ちも併せ持ちたいですね。

「1杯おごるよ」とオジさん。いいんですか?

「こうやって酒飲んで、1日無事に終わればそれでいい」

 ありがたく追加のビールをいただくと「府中に来たら、また寄って」と、オジさんは笑って言いました。

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