原宿・竹下通り発 80年代にタレントショップとファンシーグッズが全国に広まった理由
平成の最初の頃の竹下通りは凄かった 私(山下メロ。平成文化研究家)は平成の文化を「平成レトロ」と呼び、特に現在と大きく文化が異なった平成初期を専門的に研究しています。1989(平成元)年の頃はちょうどバブル絶頂期で、都内に新しい名所が次々と誕生しました。さっそく、そんな平成初期に盛り上がっていた東京を見ていきましょう。 現在の竹下通りの様子(画像:山下メロ) 今回は原宿・竹下通りを振り返りたいと思います。原宿は長い間ファッションの発信地として人気のスポットですが、平成の最初の頃には観光地となっていました。今でも竹下通りは平日の昼間でも人がたくさんいますが、当時は歩けないほどの大混雑だったのです。 ローマ字で「HARAJUKU」と書かれた商品 現在の竹下通りには「原宿」と書かれたTシャツや、外国人観光客向けの「JAPAN」と書かれたアイテムを売っているお店があります。しかし当時の原宿は今よりもっと土産専門店がありました。 「HARAJUKU」と書かれたファンシー(画像:山下メロ) 当時観光地で流行していた「ファンシー絵みやげ」と同様に、ローマ字で「HARAJUKU」と書かれた商品を売っており、原宿は観光地化していたのです。しかし、「そこでしか買えないもの」として地方に持ち帰ると喜ばれた本当の「原宿みやげ」は、ファンシー絵みやげでなく、芸能人によるタレントショップで売られていた商品でした。 人気テレビタレントがこぞって出店 竹下通りに多数あったタレントショップは、所ジョージさんの「TOKORO’S」、田代まさしさんの「MARCY’S」、山田邦子さんの「KUNY」、酒井法子さんの「ノリピーハウス」とんねるずの「バレンタインハウス」など、挙げたらキリがありません。バブル景気の中、当時の人気テレビタレントがこぞってショップを出店・運営していたのです。 当時発売されたタレントショップ本。このような書籍が発売されるほど、タレントショップが注目されていた(画像:山下メロ) それらタレントショップで売られていた商品は、かつて商店街などに存在したキャラクター文具などを扱うファンシーショップや観光地のファンシー絵みやげと同じように、実用的な商品にタレントをデフォルメしたイラストをプリントしたものが主流でした。 キャラ雑貨、サンリオがけん引キャラ雑貨、サンリオがけん引 このように、キーホルダーや文房具に限らず、食器や服飾品などさまざまなアイテムを展開していったのは、まさにファンシーショップの影響が強いでしょう。 ハローキティやマイメロディを生み出したサンリオ(品川区大崎)を筆頭に、自社で作ったキャラクターイラストをさまざまな生活雑貨に展開していったのです。 ファンシーグッズのバリエーション(画像:山下メロ) サンリオにはギフトゲートと呼ばれる専門店も数多くありましたが、1980年代ごろには学研やコクヨ、ユーカリなどさまざまなメーカーもキャラクター商品を作るようになっていました。 それらのブランドの商品を置く小売店は、当時「ファンシーショップ」と名乗っていて、さまざまな町にあったのです。 イラスト商品が多産された理由 ファンシーショップの商品に印刷されたイラストは、小動物や子どもをモチーフにして、動物は擬人化し、二頭身にデフォルメをほどこして、漫画風でありながらデザインとして多用されたアルファベットとも調和する洗練されたものでした。 ファンシーショップの外観(画像:山下メロ) タレントショップで売られていた、いわゆる「タレントグッズ」のイラストは、これらファンシーショップの商品の多大な影響を受けていたと考えられます。 タレントグッズ以前は、ブロマイドなどの写真を販売することが多かったのですが、その場合は飽きさせないように何パターンも写真を撮影しなくてはなりませんし、少しでも時間がたつと古く見えてしまいます。 その点イラストの場合は古い印象になりづらく、そしてサンリオのキャラクターのようにしっかりしたデザインで作り、価値を付与すれば、同じイラストを何度も、何種類も商品化し続けられるのです。 写真撮影と違ってタレント本人が稼働する必要もありません。たまに店頭に立って「タレントショップに行ったら、もしかしたら本人に会えるかも!?」と思わせておけばいいのです。 「実在の偉人」がファンシー化 同じころ、全国の観光地では、戦国武将などの「実在の偉人」がファンシーグッズの方法でファンシーイラストに仕立て上げられました。それがファンシー絵みやげです。 ファンシー絵みやげの数々(画像:山下メロ) こちらもタレントグッズと同じような利点がありながら、少し事情が異なります。観光地にまつわるキャラクターというのは、人気の戦国武将や昔話の主人公でない限り、テレビタレントほど子どもの人気がないこともしばしばです。 しかし当時は子どもの数が多いので、子どもが欲しがる商品を作りたい。そこで子どもが欲しがる存在に転換する方法が、ファンシーイラスト化だったのです。 原宿から地方への流れ原宿から地方への流れ 平成の初期、バブル絶頂のころ人気が過熱していったタレントショップは、原宿以外へも出店するようになります。そのターゲットになったのは、主な購買層である若者が集まる場所。ひとつはファッションビルなどのある地方都市、もうひとつは修学旅行の目的地です。つまり、確実に若者が集団で訪れる観光地だったのです。 地方のタレントグッズ。このように地名を入れてローカライズしている例もある(画像:山下メロ)「原宿でしか買えない商品」だったタレントグッズの一部は、京都の嵐山、広島の宮島、山梨の清里、長野の軽井沢など、ほかの有名観光地でも買えるようになりました。ちまたでは清里や軽井沢が「原宿化」したと言われますが、原宿では収まり切らないほどブームが過熱したのがタレントショップだったのです。 平成初期のタウンガイドなどを見ると竹下通り周辺の地図にタレントショップの場所が詳しく書かれていることがあります。懐かしく感じる方は、当時の地図を頼りに竹下通りを歩いてみてはどうでしょうか?
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