2013年解体「同潤会 上野下アパートメント」から感じた、「メモ写真」の重み
2019年11月5日
お出かけフリーライターの下関マグロさんが、解体されてしまった「同潤会 上野下アパートメント」をとおして、「メモ写真」の魅力を解説します。
散歩記事を書き始めてわかったこと
筆者(下関マグロ)の本業はライターで、カメラマンではありません。ですが仕事を始めた1980年代の半ばから、ちょっとした写真は自分で撮影しています。当時はフィルムのカメラの時代でした。
その後1996(平成8)年に、富士写真フイルム(現富士フイルムホールディングス)の「DS-7」というデジタルカメラを購入。当時は前年に発売されたカシオ計算機の「QV-10」が話題になっていたのですが、画質がいまひとつでスルーしていました。「DS-7」なら仕事にギリギリ使えそうだと購入したのです。
すぐに雑誌で連載していたコラムの写真などに使いました。今から考えるとスマートフォンのカメラより画質は劣りますが、それまでのフィルムカメラに比べ、手間や経費は少なくなり、ずいぶん助かった記憶があります。

仕事で使うほかに撮っていたのが、料理写真です。今でこそ増ましたが、筆者がデジカメで撮影し始めた頃はまだ珍しく、撮影していると「なにやってんだ、やめてくれ」と店のオヤジさんから怒鳴られることもありました。
2005(平成17)年の秋ごろからから散歩記事を書くようになって、デジカメで撮影するものががらりと変わってきました。それまで、インターネットや雑誌で書いていたのはアンダーグラウンドなクラブシーンやフェティッシュな人たちのパーティ記事が多かったので、画像もそれらに関連するものばかりでしたが、以後散歩の写真が増えていきます。
本来の散歩記事に使用する写真とは別に街並みや面白い建物、気になった飲食店をなどをメモ代わりに撮影していました。そのようなメモから新しい記事が生まれたりするものです。たとえば2009年の夏、浅草から上野へ散歩しているときにメモ的に撮影したのが、これからご紹介する「上野下アパート」です。
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