川を越えればすぐ川崎 東京23区の端っこ「六郷土手」には一体何があるのか

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川を越えればすぐ川崎 東京23区の端っこ「六郷土手」には一体何があるのか

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カベルナリア吉田

紀行ライター、ビジネスホテル朝食評論家

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東京都の端っこ、多摩川沿いの大田区・六郷土手駅とその周辺には一体何があるのでしょうか。紀行ライターのカベルナリア吉田さんが解説します。

駅前は土手

 本当に土手だ――。

 京浜急行の六郷土手駅ホームに降り立ち、しばし絶句しました。高架上にあるホームの端っこに立つと、目の前に多摩川の土手が広がっています。駅名に「土手」ってどういうこと? と思ったら、その名の通り駅前は土手なんです。

 ちなみに多摩川の向こうは、神奈川県の川崎市。六郷土手駅は、東京23区の端っこの駅でもあるわけです。取りあえず階段を下り、高架下の薄暗く狭い改札を抜け、駅を出ます。

六郷土手駅の入口は高架下(画像:カベルナリア吉田)



 小さなワッフルカフェがポツンとあるだけの、ガード下の駅出入り口。駅前ロータリーはありません。そしてガード出口を歩道のない道路が横切り、車が途切れずに走り抜けていきます。

 道沿いには居酒屋が数軒と、雑居ビルの2階に年季の入ったカフェの看板、小さな和菓子屋もあります。「六郷チャーハン」のメニューを出すラーメン屋も。「六郷土手商店街」の看板も一応連なりますが、歩道なしの狭い道なのに交通量が多いので、落ち着いて歩けません。

 道は東に進んだすぐ先で、第一京浜と交差しています。それで交通量が多いのです。とにかく「土手」駅前で下りたのだから、取りあえず土手に出ましょう。多摩川方面に延びる、ガード下の脇道へ。

たび重なる氾濫にブチ切れ(?)架橋断念

「宮本台緑地」という名の公園に出ると、古いけど立派な「旧六郷橋」の橋門と親柱が残っています。ちなみに江戸時代には「六郷大橋」が架かっていて、江戸の三大橋のひとつだったそうです。

旧六郷橋の橋門と親柱が残る(画像:カベルナリア吉田)



 しかし付近は洪水が頻発し、水があふれるたびに橋が流出してしまい、なんと5回も架け替えました。そして1688(貞享〈じょうきょ〉5)年の流出を最後に架橋をやめ、渡し船で行き来するようになったそうです。

 緑地を経由して土手に向かうと、梅の花が咲き乱れる一角に(訪ねたのは2月)神社の鳥居が見えます。北野天神なのですが「止め天神」と刻んだ石柱も立っています。止め天神?

 江戸時代、8代将軍徳川吉宗がこの地を馬で訪れました。そのとき落馬しかけましたが危機一髪で難を逃れ、それはこの神社の神意が「止めた」からだということで、落馬止めのご利益があると信仰を集めたそうです。転じて「悪いことを一切止める」神社として名が広まり、今も参拝者が後を絶ちません。

 境内には学成就塚、平癒塚などが立ち、願い事を書いた絵馬がたくさん納められています。そして片隅には「六郷の渡し」の歴史を伝える案内板も。六郷~川崎間に再び橋が架かるのは1874(明治7)年。なんと186年もの長きにわたり、渡し船が往来していたそうです。

県境にある関東最大の「集落」

 土手に出ます。広い多摩川河川敷にはゴルフ練習場「六郷ゴルフ倶楽部」があり、オジさんを中心に大勢の人が練習中。いっぽうで土手の上を通る京浜急行の高架下をくぐると――妙な光景に出くわします。

休日の多摩川河川敷は、ゴルフ練習の人でにぎわう(画像:カベルナリア吉田)

 高架下のわずかなスペースに、ベニヤ板やブルーシートで囲まれた「家」を思わせるものがいくつもあります。

 六郷土手には多くのホームレスが住み、関東最大の「集落」を作っているそうです。県境にあるため役所の規制を受けにくく、広大な河川敷には水道もあるため、自然と人が集まったとか。

 形容しがたい複雑な思いも抱きつつ、とにかく土手を東に向かい、歩いてみました。

1931年に造られたハイカラな水門

 普通列車しか止まらず、駅前ロータリーもない六郷土手駅ですが、歴史は古く誕生は100年以上前。1906(明治39)年に、京浜急行の前身・京浜電気鉄道の「六郷堤」駅として開業したのが始まりです。

 また多摩川の川岸沿いに六つの村があり、合わせて「六郷」と呼んだとも伝えられています。今は駅の周辺に東六郷と南六郷、仲六郷に西六郷、四つの六郷名義の街があります。

 多摩川の向こうに川崎の工場街を見つつ、土手をしばらく進むと、前方に六郷水門が見えてきます。1931(昭和6)年に造られた水門は、ハイカラな西洋風建築物。

ハイカラな六郷水門(画像:カベルナリア吉田)



 そして水門が立つ場所から、多摩川を背にして住宅街へ進むと、程なく水門通り商店街に出ます。昭和の香り漂う、どこか懐かしい商店街です。

 ちなみに六郷土手駅からかなり歩きましたが、周辺の住所は大田区南六郷。そしてまっすぐ進むと六郷土手駅の一駅隣、京浜急行の雑色駅に出るのですが――駅には向かわず途中の交差点を右折します。

水門からゴジラまで名所がめじろ押し

 しばらく普通の住宅街が続きますが、やがて見えてくる信号に「七辻入口」の表示。そしてその先になんと、7方向に分かれる七差路が! 三差路や五差路は、たまに見ますが、七差路は初めてです。

 大正時代の耕地整理で出現した7方向に分かれる交差点には、驚いたことに信号がありません。

 交通量も多くないので、逆に信号があったら、待ちが長くて混乱するかもしれませんね。地元ドライバーの皆さんも、ほどよくゆずり合って、七差路を上手に利用しているようです。そしてこれまたけっこう歩きましたが、交差点がある場所の住所は大田区東六郷です。

 七差路の1本を西へ進みます。京浜急行の高架をくぐり、雑色駅に続く「仲六郷一丁目商店会」と、さらに東海道線の踏切を渡ると、見えてくるのが西六郷公園(大田区西六郷)。別名「タイヤ公園」。

タイヤ公園の巨大ゴジラ(画像:カベルナリア吉田)



 すごいですここ! タイヤで作った高さ8メートルのゴジラがドーンと立ち、そして園内の遊具はどれもタイヤ製で、大小3000個ものタイヤが使われているそうです。もともとは区の職員が、地元の工場から廃材として出るタイヤを、子どもの遊具にしたらどうかと思いついたのが始まりとか。

 しばしタイヤの大群に見とれたあと、京浜急行の高架方面に戻ります。途中に立つ「ヌーランドさがみ湯」(同区仲六郷)は、なんと天然温泉。大田区は黒い温泉「黒湯」が湧く温泉天国で、区内には10軒以上の温泉施設があるそうです。

 仲六郷一丁目商店会に戻り、道に沿って雑色駅方面に進みます。商店街は途中から「雑色商店街」に変わり、程なく雑色駅に到着。とにかく商店街の店舗数が多くて驚きます。そして駅は「雑色」ですが、住所は仲六郷。本当に広いんですね六郷は。

 これまた黒湯の温泉「照の湯」(同)を横目に進み、徐々に六郷土手駅に近づきます。ここで何気ない路地に「旅館」の看板が並び、ちょっとビックリ。川向こうの川崎は、工場で働く人などのための簡易宿泊所が多いのですが、泊まりきれない人が六郷にも泊まるのでしょうか。

 ちなみに数軒の旅館が、ホームページで宿泊情報を公開しています。3畳間に1泊素泊まり2000円以下が相場で、「完全個室/ゲストハウスなど相部屋よりも落ち着けます/安いだけが取り柄です」などなど誘い文句も。近くに黒湯の温泉はあるし、なかなか便利かもしれませんね。

夜は季節のツマミで一杯

 というわけで、隣の雑色駅辺りまで股(また)にかけて、六郷を大きく回りました。

 日が暮れてお待ちかねの第2部は、居酒屋3軒とラーメン屋にも突入。ラーメン屋、よかったですよ。お客は僕以外全員地元の人のようで、皆さん「元気?」「お疲れ」とか言葉をかわして。かといってヨソ者を疎外する雰囲気もなく、ご主人は「すみませんね、お待たせして」「もうすぐできますからね」と何度も声をかけてくれました。

 居酒屋は個人的に、ガード下の1軒がよかったです。タケノコの土佐煮、菜の花の辛し和えなど季節感が漂うツマミも多くて、気に入りました。再訪したいですね。

夜の六郷土手駅前に、居酒屋の明かりがポツポツ灯る(画像:カベルナリア吉田)



 回りきれませんでしたが、ほかにも雑居ビル2階のカフェや「駅前卓球」の看板も気になりました。駅前ワッフルも食べそびれたし、寄り道所が多い土手駅前です。

 23区の端っこにあり、しかも「土手」名義の駅前だから殺風景かと思ったら、意外に見どころが多く歩きがいがありました。コロナ禍が収まったら久々に出掛けてみようかな。

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