昭和7年創業 両国「下総屋食堂」 かつては都内に500軒、現存わずかな都指定「民生食堂」の面影を訪ねる
2019年9月6日
お出かけかつて都内に多く存在していた「民生食堂」。その役割と現在もわずかに残る同食堂のひとつ「下総屋食堂」の歴史について、都市探検家で軍艦島伝道の黒沢永紀さんが解説します。
年季を偲ばせる、藍色に染め抜かれたのれん
JR両国駅から北へ3分ほど歩いた安田庭園沿いに、味のある店構えの民生食堂「下総屋食堂」(墨田区横網)があります。今では都内に数少ない「民生食堂」とは何か。今回は戦前から食堂を営む下総屋さんの2代目女将に、お話をうかがいました。

JR両国駅の北口は、今では両国国技館と江戸東京博物館がランドマークとして知られますが、それ以前は国鉄の車両基地とやっちゃ場(東京の野菜市場)があり、さらに明治時代には陸軍施設があった、少し変わった「磁場」を持つエリアでした。
その一角に店を構える「下総屋食堂」は、広島出身の先々代が1932(昭和7)年に開店した老舗の大衆食堂。この一帯だけ、かろうじて戦禍を免れているので、店構えは戦後の看板建築ですが、建屋自体は1923(大正12)年9月に発生した関東大震災後に建てられたままだとか。藍色に染め抜かれた屋号ののれんが、年季を偲ばせます。
そして、店内にあるおかずの陳列棚の上には「東京都指定民生食堂」のプレートがしっかりと貼られています。民生食堂……ご存知ない人もいらっしゃると思うので、少し民生食堂のお話を。
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