広がる認知度、われわれはLGBTとどのように接すればいいのか?

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広がる認知度、われわれはLGBTとどのように接すればいいのか?

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冨田格

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近年認知度を増しているLGBT(性的少数者)。その一方で、いまだステレオタイプな見方やイメージが独り歩きしている部分が散見されます。彼らに対して社会はどのように向き合えばいいのでしょうか。ライターで編集者の冨田格さんが解説します。

LGBTという名称が使われるようになったのは、2010年代から

 皆さんは毎年ゴールデンウィークに、代々木公園 イベント広場(渋谷区神南)を中心に開催される、「東京レインボープライド(TRP)」をご存知ですか?

「東京レインボープライド」開催の様子(画像:冨田格)



 日本国内のLGBT関連のイベントとしては最大規模で、2019年は4月28日(日)と29日(月)に開催。20万人が参加しました(主催者発表)。ステージイベントと渋谷~原宿にかけてのパレード、そして広場にはさまざまな企業や大使館、自治体による工夫を凝らしたブースが立ち並び、LGBT当事者だけではなく、年代も性別も多様な人が集まる、いわばLGBTのお祭りです。

 2012年から続いているTRPですが、2000年代には現在よりも遥かに規模は小さいものの、異なる団体が主催する「東京レズビアン&ゲイパレード(TLGP)」が真夏に開催されていました。なお、LGBTという名称を当事者が使うようになったのは、2010年代からでした。

 LGBTは「レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとった言葉で、性的マイノリティの総称」であることをご存知の方は少なくないでしょう。この数年、メディアが積極的に取り上げているので「LGBT」という言葉の認知度は確実に高まっています。

企業のLGBT研修に覚える「違和感」

 2000年代のTLGPと2010年代のTRPの大きな違いは、「LGBT」という言葉を使うようになっただけではなく、「ストレートアライ(もしくはアライ)」という言葉を使う人が増えてきたことです。

「東京レインボープライド」開催の様子(画像:冨田格)



 私はゲイ雑誌編集の仕事を長年しておりましたが、2013年に取材のために訪れたTRPの会場で初めて「ストレートアライ」という言葉を耳にしました。その当時、当事者の間でも決して一般的に認知されている言葉ではなかったのです。

「アライ(ALLY)」とは元々は「同盟する、結び付ける」という意味ですが、「LGBTの支援者・理解者」を示す言葉として広まっていき、現在は、LGBT施策に積極的な企業を「アライ企業」と呼ぶようにもなりました。

「LGBT」「アライ」という言葉が広まるにつれ、当事者、特に男性同性愛者の中には「違和感」を覚える人が増えてきました。

 日本には同性婚というシステムがありません。法的に同性カップルの権利を保障するものは何もないわけですから、同性婚が必要だと考える人たちは法整備を求める運動をしています。その運動を支援する人(アライ)がいることには違和感は覚えません。

 しかし、一部のアライ企業が社内向けにLGBT研修を行ったり、LGBTに対応する福利厚生制度を整えたりなど、積極的にLGBT施策を打ち出し始めるにつれて、「自分たち同性愛者は、特別な支援を必要としていないんだけどね」という、居心地の悪さを覚えるを抱く当事者が目立ってきました。

 LGBTやアライという言葉は新しいですが、同性愛者は最近になって現れたわけではありません。ずっと昔から、普通に生まれて、普通に学校に通い、普通に就職して、普通に生活しています。

 家族や友人、同僚など、周囲の人に同性愛者であることをカミングアウトしている人もいれば、まったくしていない人もいます。本当はカミングアウトしたいけどできないと悩む人もいれば、カミングアウトする必要性を感じていない人もいます。

カミングアウト、「ああ、そうなんだ」でOK

 確かに、同性愛者を嫌って酷いことを言ったり、「自分の周りに同性愛者はいないはず」と思って、冗談の種にしたりする人もいます。そういう言葉に深く傷ついてしまう当事者もいますが、「世の中、いろいろな人がいるよね」と軽く受け流している当事者もいるのです。

「東京レインボープライド」開催の様子(画像:冨田格)



 好きになる性別は違うけれど、同性愛者は特別変わった存在ではないし、普通に生きている人なんだということを理解する人が増えれば、酷いことを言われたり、揶揄されることも自然に減っていくと思います。

「もし自分がゲイだと周囲の人が気づいたり、もしくはカミングアウトしたとしても、過剰に反応したり、『信頼して告白してくれて、ありがとう』なんて、かしこまって言われたりすることもなく、『ああ、そうなんだ』と自然に思われるような社会になるといいのに」と思っている当事者は、実はとても多いのです。

 あまり表に出てくることはない当事者のこんな声が実は少なくないということを、LGBTに関心を持つ方に知ってほしいと考えています。大げさに考えず、少し肩の力を抜いて向き合う方がうまく回る場合が、案外多いものです。

 この記事は、男性同性愛者の立場で考えを書いたものです。性的マイノリティにはさまざまな方がいますので、全体の意見を反映しているものではないことはご理解ください。

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