目白駅の「目白」って何? 有名「不動尊」説も、調べてみたら大いに疑問が残った
目白不動はもっと遠くにあった?「高輪ゲートウェイ駅」が話題になったとき、山手線の駅名をチェックしたんですよ。「え、なぜその駅名?」ってのが他にないかなと思って。品川駅が品川区じゃなくて港区にあるとか、目黒駅が目黒区じゃなくて品川区にある、というのは有名ですが、それら以上に気になる駅があったのです。それは…… 「目白駅」。 目白不動が近くにあるから目白駅と名づけられた、といわれてます。確かに目白駅があるのは豊島区目白ですし、目白駅から徒歩10分ちょっとで目白不動があります。 目白駅前を東西に貫く目白通りを東に、右手に学習院大学を見ながらまっすぐ歩き、都電荒川線を高架で越えると、高田一丁目という交差点に至ります。 ここを左折すると鬼子母神で有名な雑司ヶ谷。右折して急坂(宿坂)を降りると坂下に金乗院(豊島区高田)というお寺があり。そこに目白不動堂があるのです。いくらか歩きはしますが、目白駅からはそう遠くありません。 現在の目白不動堂。豊島区高田の金乗院の境内にある(画像:荻窪圭) 金乗院は戦国時代に創建されたという非常に古いお寺で、門前の宿坂は鎌倉街道の宿だか関だかがあったのがその名の由来。中世の頃、この坂道が奥州へ続く街道だったのですね。 でも金乗院にある目白不動へ行って驚きました。妙に新しい。調べてみると、ここに目白不動がやってきたのはなんと戦後のことなのです。目白駅ができたのは1885(明治18)年ですから、当時はそこになかったのです。 となると、「もともとの目白不動はどこにあったの?」と思いますよね。戦前の地図や江戸時代の地図を見ると一目瞭然でした。行ってみましょう。 「目白不動跡」の碑すら見当たらず「目白不動跡」の碑すら見当たらず 目白通りから宿坂へ降りず、さらにまっすぐ東へ進みます。しばらく歩くと、やがて左手に東京カテドラル大聖堂(文京区関口)、右手に椿山荘(同)が見えてきます。ここまでくればもうすぐ。 この椿山荘前の三叉路は、旧目白通りと新目白通りが合流するところ。椿山荘に沿っている狭い通りが旧道です。 椿山荘あたりから旧道はぐぐっと下り坂になります。この坂が「目白坂」。なぜ目白坂かというと、坂の途中に「目白不動」があったから。 目白不動があったので目白坂になり、その道が目白通りになったと思うとわかりやすいですね。つまり、目白不動はもともと椿山荘前の坂にあったのです。 何か名残がないかと思って訪れてみましたが、面白いくらい何もありません。ただ豪華なマンションが建っているだけ。「目白不動跡」の碑でもないかと探しましたが見つからず、ただ目白坂という名前に名残があるだけです。あれだけ有名な不動なのに旧地に何も案内がないのはびっくりです。 目白不動の旧地を訪れると、瀟洒な低層マンションに。おそらくこのあたり(画像:荻窪圭) さて目白不動があったのは新長谷寺というお寺。江戸時代初期の1618(元和4)年に創建されたお寺で、そこの不動明王像を三代将軍徳川家光が目黒不動に対して目白と名づけたのがはじまりといわれてます。 それ以来、目白不動として有名になったのですが、戦災で焼けて廃寺となり、目白不動堂は金乗院に移されたのです。 その目白不動がかつてあった坂道は、古い八幡神社や江戸時代のお寺が今でも残っていますし、椿山荘の庭園にも江戸時代からの古い庚申塔が、崖下の神田川沿いには水神様や松尾芭蕉ゆかりの芭蕉庵、細川家の永青文庫(文京区目白台)などなかなかの歴史散策スポットとなってます。 目白駅は目白不動から離れすぎの過去目白駅は目白不動から離れすぎの過去 目白不動旧地の最寄り駅は、目白駅ではなく東京メトロ有楽町線の江戸川橋駅で駅から約8分。ちなみに目白駅から歩くと約30分。なんと高田馬場駅からでも約30分です。 昭和22年の文京区の地図。このときはまだ目白不動が旧地に書かれている。江戸川橋のすぐ近く、目白坂の途中(画像:荻窪圭) 話を戻すと、目白駅の由来が目白不動だとすると、いくらなんでも離れすぎじゃないかなと思うわけです。よほど近くに駅名にできるような地名やスポットがなくて駅名に困ったのでしょうか。もしかしたら目白不動ではなく、目白通り沿いの駅だから道路の名前からとったのかもしれません。 今は目白不動の最寄り駅が目白駅なので「結果オーライ」的な面もありますが、調べてみると駅名というのはなかなか面白いので、時間がある人は山手線全駅で駅名由来の地を訪ねるなんてのもよいかもしれません。
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