御年90歳、幻の江戸郷土玩具「麦わら細工の角兵衛獅子」を復元した人に会いに行った
江戸時代、雑司ヶ谷鬼子母神堂の参詣土産には「麦わら細工の角兵衛獅子」と「風車」がありました。明治初期で途絶えてしまいましたが、その存在を知った豊島区の郷土史研究家・矢島勝昭さんが試行錯誤を重ねて復元。90歳となった矢島さんに当時の話を聞きました。
風車の絵を発見、復元に「胸が躍った」
1838(天保9)年に刊行された『東都歳時記』に、雑司ヶ谷鬼子母神堂(豊島区雑司が谷)の境内で、「川口屋の飴」「麦わら細工の角兵衛獅子(かくべえじし)」「風車」が土産物として売られていたことが記されています。それらがこの地域の名産物であったことは、『江戸名所図絵』など他の文献にも記述がありますが、麦わら細工の角兵衛獅子と風車は明治初期に途絶えてしまいました。

『江戸名所図絵』には、同境内の茶屋の店先に置かれた俵に、麦わら細工の角兵衛獅子と風車とともに、「すすきみみずく(ススキでミミズクを形作ったもの)」が売り物として挿さっている様子が描かれています。
すすきみみずくは鬼子母神堂の参詣土産として今も販売されていますが、他のふたつが途絶えてしまった理由は定かではありません。すすきみみずくは職人が手仕事で作り上げる品質の確かなものだったのに対し、平易な作りのものであったことが廃れた要因とする文献もありました。
25年前にこのふたつの郷土玩具の復元に挑んだのが、豊島区の郷土史研究家・矢島勝昭さんでした。矢島さんは1929(昭和4)年生まれで、現在90歳。どのように復元を試みたのか、話を聞きにご自宅を訪れました。
ご自宅の2階は矢島さんの描いた風景画やコレクション、写真が所狭しと展示されていて、郷土資料の記念館としても公開されています。もともと手先が器用で、若い頃から絵や影絵の制作に親しみ、なかでも影絵は雑誌の挿絵に連載で使われるほどの腕前。その作品の数々は、かなりハイレベルでした。
矢島さんは日本電信電話公社(現NTT)を定年退職した後、豊島区の郷土史を勉強するなかで、麦わら細工の角兵衛獅子と風車の存在を知ったそうです。幼い頃、「8」のつく日に開かれる縁日に、楽しみに訪れたという鬼子母神堂。そこに、「欲しいけれど高くて子供には買えなかった」というすすきみみずく以外に、名物土産が存在していたことに、新鮮な驚きを持ったといいます。
このふたつを復元してみたいとの想いにかられるなか、喜多川歌麿の「雑司が谷詣で」を描いた浮世絵に、風車が描かれているのを発見。これならば復元できると、「胸が躍った」といいます。

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