東京を癒す――港区「お寺ヨガ」に込められた、インド人女性講師の想いと数奇なヒストリー

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東京を癒す――港区「お寺ヨガ」に込められた、インド人女性講師の想いと数奇なヒストリー

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室橋裕和

アジア専門ライター

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港区の神谷町光明寺で日曜朝に開かれている「お寺ヨガ」が人気です。開催しているのはインド人女性のヌプル・テワリさん。会を開くことになったきっかけは、2016年に発生した熊本地震だったといいます。

体も、心もほぐれていく

 さわやかな日曜日の朝。東京タワーがよく見える神谷町光明寺(港区虎ノ門)に、さまざまな顔立ちの人たちが集まってきます。

 欧米人、日本人、南米系の人々やアジア系……。輪の中心にいるのは、インド人女性のヌプル・テワリさん。流暢な日本語と英語でみんなに声をかけ、今朝も「お寺ヨガ」が始まります。

 お寺の澄んだ空気の中でゆったりと呼吸をし、手足を伸ばしてポーズを取って、瞑想をする。ほぐれていくのは体だけではありません。なんだか心も落ち着いてきて、リラックスしてくるのを感じます。

 朝の1時間たっぷりと体を動かし、目を閉じて心をクリアにすることで、だんだん今日がいい1日になるような気がしてくるのです。

 そんなことを言うとヌプルさんは「違うの。気がする、じゃないの。本当にいい1日になるの!」なんて優しく笑うのでした。

 彼女はヨガの間中ずっと、気持ちがやわらかくなるよう、ゆるやかになれるように静かに声をかけてくれます。その声のもと、いろいろな国の人たちがのびやかなポーズを決めて、呼吸をひとつにしていきます。

「Heal Tokyo」の活動を行っているヌプル・テワリさん。日本語も堪能(画像:室橋裕和)



 ヨガはブームを越えて日本に定着し、さまざまな教室が開かれるようになりました。けれど本場インドの人が教えてくれて、しかもお寺で体験できるというのは、この「Heal Tokyo(ヒール トウキョウ)」だけかもしれません。

 それに何といっても参加者の国際的な顔ぶれ。国を越えて友達をつくるのにぴったりの場所でしょう。

 参加者はみんなフェイスブックなどで「Heal Tokyo」のことを知り集まってくるのだそう。日本に暮らしている外国人、旅行者、それにもちろん日本人も大勢やってきて、ヨガのあとは一緒にお茶を楽しむこともあります。

きっかけとなった、2016年熊本地震

 インド東部の大都市コルカタ出身のヌプルさんが日本に住み始めたのは、2003(平成15)年のこと。夫の仕事の関係で四国・松山に赴任することになったのです。

「その頃、四国にはインド人なんて誰もいなくてね。インドのイメージといえばカレーとナンくらい(笑)。だから少しでも私の国のことを知ってもらおうと、地域センターのようなところでボランティアを始めたんです」

 カレーだけではないインドの幅広い料理、ダンス、お祭り。そしてヨガ。インドの豊かな文化を伝えたいという一心でした。

「ヨガは4歳のころから、家族みんなで親しんでいました。生活の一部なんです」

 同じ活動は、その後転勤によって移り変わった北九州や福岡でも続けました。英語教師としても働きながら自宅や公民館でインド文化の教室を開くうちに、いつの間にか九州では「unofficial ambassador of india(インドの非公式大使)」と呼ばれるほど有名な存在に。

畳の上で行うヨガもなんだか新鮮で楽しい(画像:室橋裕和)



 そんなときに起きたのが、2016年4月の熊本地震です。多くの人が被災する様子を目の当たりにしたヌプルさん。同じ九州に住む者として、熊本のために何かできないだろうか……そう考えて開いたのが、チャリティー・ヨガでした。

「つらいことはたくさんあるけれど、それでもポジティブになってほしい。元気を取り戻してほしい」

 しかし、その次に住むようになった東京は、「九州と比較にならないほどのストレス社会だ」と感じたといいます。誰もが苦しさを抱え、生きづらそうに見える。自殺する人も多い……。

「ひとつでも間違ってはいけない、完璧でなくてはならない――。東京は、そんな思いにとらわれて疲れ果てている人ばかりに見えます。だから、ヨガで少しでもストレスをやわらげてほしい」

 2017年に「Heal Tokyo」を立ち上げ、知人に紹介してもらった神谷町光明寺で「お寺ヨガ」を始めました。

 だから一般的なヨガとはちょっと違うところも。「Heal Tokyo」では体を動かしながら、ヌプルさんが落ち着いた声でリラックスできる言葉をかけてくれるのです。

「大丈夫。きっといいことがある。なりたい自分になれる……」そのささやきの中で瞑想していると、確かにストレスは溶けて消えていくようです。Heal(癒す)という意味を実感する、朝のお寺での1時間。

「もっと自分を肯定してね」

「日本人にはもっとね、人生を肯定して、自分を愛してほしい。人生の美しさを感じてほしい」

 そうヌプルさんは言います。単なるエクササイズではない、心からも体からも、悪いものを取り除いていくヨガの神髄。ひとつ深い呼吸をするたびに、心は軽くなっていく。

 ヨガとはもともと「つながり」を意味するサンスクリット語です。心身のつながりを正しくし、安定させてくれるものです。

 それに、「ヒンドゥー語の『ナマステ』という挨拶は、『私の心とあなたの心はつながっています、あなたを尊敬しています』という共感の言葉でもあるんです」

 自分の心身だけでなく周りにも癒しの気持ちがつながって、生きやすい日本になったら。
そんな活動は少しずつ評判を呼び、日本人だけでなく、在住外国人や旅行者も集まってくるようになりました。

 ヨガが初体験でも、日曜の朝イチにお寺まで足を運んで、いろいろな国の人たちとしっかり運動してみる。目を閉じて無心になってみる。難しいことはわからなくても、それだけでけっこう前向きになれるものです。

 いいことがあるかもね、と思えるようになる。そんな心になるだけで「お寺ヨガ」の習慣はなかなかすてきなのではないでしょうか。

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