歌舞伎劇場がないのになぜ「歌舞伎町」? その成立から現在までを振り返る
2019年5月10日
お出かけ世界有数の歓楽街・新宿歌舞伎町。その成り立ちと変貌を遂げる様子を、まち探訪家の鳴海行人さんが解説します。
日本を代表する繁華街・歌舞伎町
新宿・歌舞伎町は東京、そして日本を代表する繁華街のひとつです。とりわけ金曜日の夜になると多くの人でにぎわいます。そんな歌舞伎町はどのように生まれ、これからどのように変わっていくのでしょうか。

みなさん、「歌舞伎町」というと、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。例えば新宿東宝ビルの「ゴジラヘッド」や「歌舞伎町一番街」とかかれたアーチ、多くの飲食店の看板群、ライブハウス「LOFT」……といった、さまざまなものが集積している「にぎやかで楽しげな場所」というイメージがひとつあると思います。
そしてもうひとつ、建ち並ぶ雑居ビルがつくりだす景観の猥雑さ、しつこいキャッチやヤクザの存在といったイメージから、「治安が悪い場所」という印象もあると思います。こうした歌舞伎町のイメージの形成はどのようにされてきたのでしょうか。実は歴史をひもとくとわかってきます。
歌舞伎町はもともと、健全な歓楽街を志向して作られた街でした。歌舞伎町近辺は新宿の外れで、どちらかというと貧しい人が暮らしている地域でした。それが第二次世界大戦中の空襲で焼け野原になりました。そのとき、この地域で最も多くの土地を借りていた食料品製造業者の鈴木喜兵衛(すずき きへい)がにぎやかな街にしようと立ち上がったのです。

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