江戸時代の吉原名物だった焼きトウモロコシ。浅草の雷おこしも、もともとはトウモロコシ製だった?

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江戸時代の吉原名物だった焼きトウモロコシ。浅草の雷おこしも、もともとはトウモロコシ製だった?

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16世紀に日本に渡来したトウモロコシ。幹が太くて風にも倒れず、寒さに強いトウモロコシは、山間部における貴重な食料となりました。一方、江戸などの都市部ではもっぱらおやつとして食べられていたようです。食文化史研究家の近代食文化研究会さんが解説します。

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    江戸~明治時代の焼きトウモロコシ屋台 清水晴風 『世渡風俗圖會』(刊行年不詳)より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)
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    吉原の花魁 『東錦絵』(刊年不詳)より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)
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    おこし(画像:近代食文化研究会)
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    赤いトウモロコシ(画像:photoAC)
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    寺島良安編『和漢三才図会 巻之四十』1890年刊より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)
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    江戸東京のはぜうり=ポップコーン売り 伊藤晴雨『江戸と東京風俗野史 四』1930年刊より(画像:国立国会図書館ウェブサイト)
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