サッカーと傘(カサ)の不思議な関係?昔は「カサ」で今は「サッカー」の街 御茶ノ水・湯島エリアの坂道話
日本サッカー協会のあるサッカー通り。この場所は江戸の昔、傘づくり職人の住まう地でした。カサとサッカー、不思議な歴史のご縁を旅行ジャーナリストのシカマアキさんが解説します。江戸時代は史跡や神社、藩邸などがあった界隈 日本のサッカーファンが足しげく通う“聖地”と言える場所は、JR東日本および東京メトロの御茶ノ水駅から少し歩いた場所にあります。「サッカー通り」と名付けられた通りを歩いた先にある大きな建物が、通称「JFAハウス」です。ここは、公益財団法人である日本サッカー協会(JFA)のビル。一般向けに公開されている「日本サッカーミュージアム」も、JFAハウスにあります。 御茶ノ水駅近くにある「サッカー通り」(画像:シカマアキ) この界隈は江戸時代、史跡・湯島聖堂をはじめ、神田明神、湯島天満宮、少し離れた場所に、加賀百万石で知られる加賀藩邸などがありました。当時はもちろんサッカー通りという名称ではなく、後年に名が付きました。なぜサッカーファンの聖地となったのか、江戸時代にはとある職人たちが集う場所だった逸話などをご紹介します。 文京区は「谷」「坂」が多いエリア、中山道も通っていた 御茶ノ水駅から、神田川に沿って外堀通りを西に進み、順天堂大学の間にある通りを入ります。この通りが「サッカー通り」です。立派な看板もあります。 さらに先に進むと、本郷通りと蔵前橋通りが接する湯島1丁目の交差点、通称「サッカーミュージアム入口」に当たります。本郷通りは旧「中山道」です。そして、サッカー通りをさらに春日通り方面へと進んでいくと、大きなビルやサッカーが描かれた壁などが見えてきます。ここが「JFAハウス」です。 「江戸切絵図 本郷湯島絵図」より。左に神田川や水道橋、湯島聖堂がある。水戸殿は今の後楽園、加賀宰相殿は今の東京大学にあたる(国立国会図書館デジタルコレクションより) サッカー通りは、なだらかな坂となっています。この坂こそ、かつては「傘谷坂」(かさだにざか)との名称だった場所です。文京区は台地と谷が多い地形であり、そのために坂が今も多くあります。 この名称がつけられた由来はずばり「傘」(カサ)です。JFAハウスの近くにある立て看板によると「傘づくりの職人が多く住んでいた窪地である。それで傘谷、傘坂の名がついた」とあります。傘谷は旧町名である金助町の北方にあった場所。当時その窪地に多くの傘づくり職人が住んでいたと、今に伝わる場所です。ただ、現在は傘の店舗は一軒も見かけず、当時の面影は残念ながらありません。 昔は「カサ」の街、今は「サッカー」の街。よく見てほしいのが、語呂合わせです。カサとサッカー、まるで逆にしたような言葉。もちろん偶然ではあるものの、歴史の面白さがちょっと感じられませんか。 江戸時代は「傘」づくりの職人が集まる場所だった この界隈は、金助町という町名でした。文京区のホームページによると、江戸時代、徳川家の旗本小人頭だった牧野金助政成の所領地3700坪の跡地だったことに由来します。そして約400年前の元禄9年(1696年)に御家人たちの組屋敷となり、本郷金助町と命名されました。現在の本郷三丁目で、ビルなどにも当時の名称が使われていることも。 「江都名所 湯しま天満宮 広重」より、湯島天満宮(国立国会図書館デジタルコレクションより) また、傘づくりの職人といえば、江戸時代の浪人が有名です。そんな光景を時代劇などで見たことがある人もいるでしょう。当時、旗本や御家人たちの暮らしは決して豊かとはいえず、内職として傘づくりをしていたとも伝わります。 JFA、2022年の日韓ワールドカップを機に移転してきた ところで、JFAハウスはいつごろからここにあるのでしょうか。 もともとは三洋電機が所有するビルでした。これを日本サッカー協会が、2002年に開催された日韓ワールドカップの翌年2003年に購入。同年にJFAの事務局も移転されました。それ以前は、他の多くのスポーツ競技団体が2019年の取り壊しまで入居していた東京五輪当時からあった「岸記念体育会館」などにありました。 実は現在も、スポーツ競技団体が自社ビルを所有することは稀です。JFAは1994年に50年以上入居していた岸記念体育会館から渋谷区の道玄坂に移転しています。1993年にJリーグが開幕し、ブームを巻き起こしたことで手狭になったことが移転理由です。 日本サッカーミュージアム入口。2022年5月撮影(画像:シカマアキ) JFAハウスに、2002年のワールドカップ開催を記念した「日本サッカーミュージアム」も、2003年末にオープン。そして、JFAハウスが面した通りが文京区との交渉によってサッカー通りと改名されました。 日本サッカーミュージアムは、地上1階と地下2階の3フロアあり、有料および無料のゾーンがあります。館内には、日本サッカーの歴史や2002年のワールドカップ関連資料の展示、日本サッカー殿堂の表彰者モニュメント、サッカーショップも。時期ごとに企画展示の入れ替えも。日本のサッカーに関する資料が展示されている唯一無二の場所であり、都心の便利な場所にあるため、フラっと立ち寄って見学するサッカーファンも多くいます。 2022年3月にビル売却を発表、サッカーの街どうなる? しかし、このJFAハウスは実は今、存続の危機にさらされています。自社ビルの所有は莫大な費用がかかります。昨今さらに、新型コロナウイルス禍によるテレワークの導入により、職員の出勤率やオフィスの所有率が低下。2022年3月、JFAによって「売却」が発表されました。 今後の移転先や、日本サッカーミュージアムなどについては検討中とのこと。サッカー通りの名称はどうなるかなど、気になる点は多々あります。 現在の湯島天満宮(画像:photoAC) くしくも今年2022年は、ワールドカップイヤー。今秋にカタールで開催され、日本代表も出場が決まっています。JFAハウスがまだ確実に今の場所にあるうちに、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょうか。 【参考】 次の100年に向け、新たなレガシーを創造~三井不動産レジデンシャル株式会社と「JFAハウスの土地建物に関する売買契約」を締結~(日本サッカー協会) ■日本サッカーミュージアム 住所:東京都文京区サッカー通り(本郷3-10-15)JFAハウス アクセス:JR中央線および中央・総武線、東京メトロ丸ノ内線「御茶ノ水駅」より徒歩約7分ほか 営業時間:平日12:00~17:00、土日祝および特別開館日10:00~17:00(いずれも最終入場16:30) 定休日:月曜日(祝日の場合は翌火曜日) 入場料:大人550円、小中学生300円(各種割引あり)
- おでかけ
- 御茶ノ水駅