産廃・ラブホテル・マリンクラブの奇妙な共存 旧江戸川の中州「妙見島」を歩く
浦安駅から徒歩約10分の場所に、都内の河川にある数少ない中州「妙見島」があります。島の内部はいったいどのようになっているのでしょうか。都市探検家の黒沢永紀さんが解説します。かつての呼称は「移動する島」 旧江戸川の河口から約3km、東京メトロの浦安駅から西へ徒歩で約10分にある「妙見島(みょうけんじま)」(江戸川区東葛西)は、都内の河川にある数少ない中州島のひとつ。今回は、産廃(産業廃棄物)・マリーナ・ラブホテルというミスマッチな取り合わせが奇妙な中州島の話です。 渡橋から見る島の南端部。左に写る鉄橋は東京メトロ東西線(画像:黒沢永紀) 東京の河川にある、元来の中洲を人工的に改築した島といえば、隅田川の佃島や石川島がよく知られるものでしょう。隅田川の河口には、公園となっている島もあります。また、二子玉川からほど近い多摩川にも、兵庫島という公園がありますが、もともと中州島だったものの、現在では地続きになっているので、これは島とは呼べません。 そんな東京の中州島で最も大きな島が妙見島です。南北約700m、東西約200mの細長い形の島で、その面積約8万平方メートルは、サッカーコート約10面分くらいでしょうか。世界遺産軍艦島の約1.2倍の大きさです。 その昔は、江戸川を少し遡った川岸一帯に広がる欠真間(かけまま)と呼ばれた土地の飛び地でした。中洲の時代は、砂洲(さす)の堆積具合によって東西や南北に位置を変えることから「移動する島」と呼ばれていたようです。 さらにその前は西岸側が陸続きで、岸にできた砂洲の西側に川が流れ込み、やがて中洲として独立した島でした。 産廃島となった現在産廃島となった現在 その変遷を地図で見ると、文明開花の時期にはすでに、現在の島とほぼ同じ状態に定着しているようです。ただし、島内は全て荒地で、まだ島を利用する様子はうかがえません。 明治時代の終わり頃になると、北部に石灰工場が建ち、島の中央には水田があるので、人が介入し始めたことがわかります。昭和の初めごろは、西側から水田に向かっていく筋もの水路があるので、おそらく水田耕作が盛んになったのでしょう。島の南端に橋が架かったのもこの頃のようです。 そして戦前から高度経済成長期の頃までは、石灰工場があった北部一帯に針葉樹林があるので、この時期は、樹木が鬱蒼と茂る印象だったと思います。高度経済成長期に、東京油脂の大規模な工場が建設され、それ以降バブル期にかけて、島内はほぼ全域にわたって工場が建ち並ぶ工場島へと変貌しました。 大きくカーブする自動車道は、妙見島への唯一の出入口(画像:黒沢永紀) そして現在、それらの工場のほとんどは大小さまざまな産業廃棄物の処理、および中間処理の会社となり、いわば産廃島となっています。 そんな妙見島へは、南端に架かる橋を渡るのが唯一の手段。階段もあるので徒歩での上陸も可能です。階段を降りて上陸すると、最初に目に入るのがハッピーホテル「ルナ」。島の玄関にラブホというのも、いささか面食らいます。 5階建てで30室弱、長時間ステイで平日8000円前後というリーズナブルさは、やはり不便な場所がらゆえでしょうか。産廃島にハッピーホテル。このミスマッチな取り合わせが、逆にデリヘルをはじめとした身を忍ぶ利用者にとっては好都合なのかもしれません。 無彩色の島内にあるマリンクラブ無彩色の島内にあるマリンクラブ ホテルの隣には、2000年代の初頭に閉業した島内唯一の大衆食堂「太田屋」の建屋がありましたが、どうやら解体されてしまったようです。その隣の釣り船・屋形船「西野屋」は現在でも営業中。 ホテル「ルナ」や釣り船「西野屋」が並ぶ一般利用エリア。中央はかつての大衆食堂「大野屋」(画像:黒沢永紀) そして一般利用の施設はここまで。それ以外のエリアは、連日ひっきりなしにトラックが出入るする産廃関連の工場で、敷地内に出入るする人も、当然関係者に限られます。 島内の一般道は、東側護岸沿いの縦走路だけで、その道沿いに産廃関連の会社がずらっと並びます。途中、崩壊の進む観音様の祠(ほこら)があり、花が手向けられているので、お参りする方もいるのかと思いきや、近づいてみると造花。そのビビッドな発色は、無彩色の島内で唯一の色彩のようにもみえます。 しばらく進むと道がクランクになり、その一角にマリンクラブ「ニューポート江戸川」があります。数十艇のボートから自由に選べる会員制のマリンクラブで、併設レストランのウッドデッキにはヤシの木が生えるなど、産廃の島に忽然と現れたリゾート感溢れる空間ですが、一番高い入会金が数百万というから、一般利用とはいえないでしょう。 島に漂う妙見菩薩の残り香と食品工場島に漂う妙見菩薩の残り香と食品工場 産廃の島にマリンクラブというのも、これまたミスマッチですが、川を下ればその先は葛西臨海公園と東京ディズニーリゾート。ボートで東京湾クルーズをする際の拠点としては、格好な場所なのかもしれません。 マリーナを横目にクランクを進むと、道の片隅に現れる神社が、この島の名称の由来にもなる「妙見神社」です。かつては妙見菩薩を祀る妙見堂があったといわれますが、現在は北方約3kmにある妙覚寺(江戸川区一之江)へ遷座され、島には鳥居と小さな祠があるばかりです。 工場群の狭間にひっそりと佇む妙見神社(画像:黒沢永紀) 妙見菩薩はインドの菩薩信仰と道教の北極星信仰が習合して日本に伝来し、特に軍神として崇められた天神といわれます。のちに戦国大名となる下総の豪族だった千葉氏の守護神で、この島に妙見菩薩を祀った経緯や目的ははっきりしないようですが、移動する島の地鎮を目的として祀ったことは想像にかたくありません。 そして島の北端には唯一産廃でない会社、マーガリンなどの乳製品を製造する「月島食品工業」の工場。一般道はほどなく食品メーカーの敷地となって関係者以外は入れないため、堤防の階段を昇ると、外側にも階段があり、島の外周へ降り立つことができます。 堤防の外周には幅およそ2mの平場が施工されていて、島の外側を歩くことができます。島の北東から南西まで半周余りの通路から見える光景には、特にこれといって特徴的なものがあるわけでもなく、浦安と葛西の無個性な住宅街が広がるばかりです。 文字通りの「陸の孤島」文字通りの「陸の孤島」 堤防の外側を歩くこと10分余り。やがて橋の西側のたもとにたどり着き、そこで平場は終わっているので、階段を上り再び島内へ。ちょうどラブホや釣り船屋のあるエリアへと戻って来ます。 屋形船が係留する堤防の外側(画像:黒沢永紀) 中洲の島といえば、博多の中洲がすぐに思いつきます。ご存知の様に、河岸屋台から風俗店までさまざまな飲食店が密集する博多最大の歓楽街です。また大阪の中之島も大きな中州の島。こちらは公会堂やダイビルなどが建ち並び、大阪の文化と経済に大きく貢献する島と言えるでしょう。 島の大きさや地の利もあるでしょうが、東京で最大の中州島には、ネオン街もなければ、文化的な香りも一切ありません。無装飾なコンクリートの堤防と産廃工場に囲まれた島内を歩いていると、文字通り陸の孤島へ足を踏み入れた錯覚に襲われる島でした。
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