関東大震災の復興を支えた多摩川「砂利鉄道」と今も残る「砂利穴」とは

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関東大震災の復興を支えた多摩川「砂利鉄道」と今も残る「砂利穴」とは

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県庁坂のぼる

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かつての多摩川流域で巨大産業だった砂利採取。この砂利の運搬に使われたのが鉄道路線でした。その歴史について、フリーライターの県庁坂のぼるさんが解説します。

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    明治初期の宿河原砂利採取線付近(画像:国土地理院)
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    1930年頃の宿河原砂利採取線付近(画像:国土地理院)
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    1950年頃の宿河原砂利採取線付近(画像:国土地理院
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    1970年頃の宿河原砂利採取線付近(画像:国土地理院)
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    現在の宿河原砂利採取線付近(画像:国土地理院)
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    1947年頃の南武鉄道・宿河原砂利採取線跡(画像:国土地理院)
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    川の砂利(画像:写真AC)
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    コンクリートに混ぜる砂利(画像:写真AC)
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    1947年頃の現・等々力緑地の航空写真(画像:国土地理院)
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