思わずコ~フン? 高級住宅街「田園調布」に全長100m超の古墳があった!

歴史ライターの永嶋信晴さんが、田園調布の古墳群と埼玉県行田市のさきたま古墳群の関係を考察します。

古代から都内の一等地だった田園調布

 筆者(永嶋信晴、歴史ライター)は以前、「全長100m超! 都内有数の「巨大古墳」が東京タワー付近にあるのをご存じか」(2021年10月24日配信)の記事で、都内には芝丸山古墳と同じく、大田区田園調布にも全長100mを超える巨大古墳があると書きました。

 そのとき、田園調布の古墳と埼玉県行田市のさきたま古墳群との関係から導き出した「リアル・翔んで埼玉」仮説について触れた記憶があります。そこで今回は、田園調布をテーマに古代の武蔵国を考えてみます。

 そのためには、まず田園調布古墳群が含まれる荏原台古墳群について説明する必要があります。荏原台古墳群は50基あまりの古墳から構成され、

・大田区田園調布を中心とする「田園調布古墳群」
・世田谷区野毛を中心とする「野毛古墳群」

に分けられます。どちらも多摩川下流の左岸に位置し、周辺には多摩川の水資源を生かした肥沃(ひよく)な田園が広がっていました。生産性の高い農耕社会を背景に、強力な首長が治めていたのでしょう。

田園調布にある全長が107mの亀甲山古墳(画像:永嶋信晴)



 田園調布古墳群へ行くための最寄り駅は、東急線の多摩川駅です。ただ今回は都内屈指の高級住宅地のセレブなたたずまいに浸ろうと、田園調布駅から向かうことにしました。

 駅の西側に放射状に伸びるイチョウの並木道を歩き宝来公園へ。池で泳ぐカモもセレブに見えてしまう公園を抜け、さらに坂道を登ると、多摩川台公園に着きます。この公園のなかにあるのが、田園調布古墳群です。

4世紀に造られたふたつの前方後円墳

 都内にある古墳の全長ランキング第1位は、港区にある芝丸山古墳。しかし、2位と3位の古墳は田園調布にあります。

田園調布にある宝莱山古墳(画像:永嶋信晴)



 多摩川台公園の西北端にある3位の宝莱山(ほうらいさん)古墳は、多摩川流域最古の前方後円墳。荏原古墳群の最初の首長墓だと言われています。最近の発掘調査から、全長は約97mで、4世紀前半の築造と推定されているそうです。

 残念ながら後円部の3分の2が失われていますが、それ以外は比較的当時の形態をとどめています。

 都内2位の亀甲山古墳は、多摩川台公園の中を多摩川駅方面に歩いた場所にありました。全長が107m、後円部の高さが10mもあり、宝莱山古墳に比べて保存状態は良好です。この古墳は、南武蔵を代表する多摩川流域最大の前方後円墳で、近年の研究から、4世紀後半の築造と推定されているのだとか。

 ただ、国の史跡ということで周囲に柵があり、全体の形を把握しづらいのが少し残念。宝莱山古墳と亀甲山古墳は、出土品や古墳の形態から、初期大和政権と強い関係にあったと考えられているそうです。

5世紀初頭、野毛に造られた大型古墳

 5世紀初頭になると、世田谷の野毛地域に、野毛大塚古墳が造られます。古墳があるのは、東急大井町線の等々力駅から徒歩10分くらいの場所にある玉川野毛町公園。

世田谷区野毛にある野毛大塚古墳(画像:永嶋信晴)

 野毛大塚古墳はしっかりと整備され、当時の姿が復元されています。古墳に上り、じっくり見学できるのもうれしいですね。全長は82m、周濠を含めた全長が104m、高さが11mもあり、帆立貝形(ほたてがいけい)古墳としては全国最大級の規模です。

 後円部の頂上には、遺体の埋葬施設が4か所設けられていました。そこから出土した副葬品は重要文化財になっているそうです。解説板には、鏡や武具、武器類の副葬品は畿内の古墳との共通性が強くあり、畿内王権と深く結びついた南武蔵地域の大首長の墓と推測できるとありました。

古墳と「リアル・翔んで埼玉」仮説

 さて、ここでなぜか埼玉県行田市のさきたま古墳群が登場します。

埼玉県行田市にあるさきたま古墳群(画像:永嶋信晴)



 こちらの古墳群は、古墳時代当時の中央の王権との関わりや地方支配の考え方を研究する上で、とても貴重な遺跡らしい。さきたま古墳群の中で1番大きな古墳は、長さ138mの二子山古墳。武蔵国でもっとも大きな前方後円墳です。

 ちなみに、武蔵国のエリアは埼玉県だけではありません。現在の埼玉県と東京都、神奈川県の一部まで含まれる広大な国でした。そのなかで、ナンバーワンとはすごいですね。先に述べましたが、東京都第2位の亀甲山古墳は全長107m。荏原台古墳群最大の古墳も、さきたま古墳群の中では4番目ですか。

 荏原台古墳群の野毛大塚古墳は、5世紀初頭に造られたと述べました。これに対して、さきたま古墳群は、5世紀の終わりから7世紀の初めに造られたので、若干後になるのですね。

 そのときふと思ったのは、なぜ同じ時期ではなかったかということ。もしやと思っていたら、その謎を解くカギがさきたま史跡の博物館で知ることができたのでした。

 さきたま史跡の博物館は、さきたま古墳公園のなかにあります。さきたま古墳群からの出土品やそれぞれの古墳の解説のパネル、模型が展示されていますが、出土品は皆、国宝。なかでも、稲荷山古墳出土の「金錯銘鉄剣(きんさくめいてっけん)」は超有名ですね。

 1978(昭和53)年、この古墳から発掘された鉄剣の保存処理中に金象嵌(きんぞうがん)銘文が検出されたことで、さきたま古墳群が日本国中に知れ渡りました。鉄剣に、115文字が書かれていたことが発見されたのです。文字の内容が、わが国の古代国家成立の謎を解く上で、貴重な資料になったといいます。

5世紀に武蔵国で埼玉化が……?

 さて、先ほどのさきたま古墳群古墳と荏原台古墳群の築造年代のタイムラグの問題。資料館のパネルには、さきたま古墳群に葬られた有力者の集団と荏原台古墳群に葬られた有力者の集団との間で、大きな戦が行われた可能性があると書かれていました。

埼玉県行田市にあるさきたま史跡の博物館(画像:永嶋信晴)

 日本書紀には、武蔵国の覇権をかけて、北武蔵と南武蔵との間で大規模な戦闘があったという記載があるとのこと。一般に、武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)の乱と呼ばれる戦いです。結果的に、さきたま軍団が、荏原台軍団を屈服させ、支配下に置いたとされています。

 さきたま軍団が勝利したのは、先ほどの稲荷山鉄剣に見られるように、大和の勢力との濃厚な関係が影響したと考えられているそうです。

 衰退した荏原台軍団は5世紀の前半で大規模古墳の築造がストップ。勢力を伸ばしたさきたま軍団が、引き続いてこの土地に巨大古墳を作り続けたらしい。古代、田園調布の一等地に暮らしていたブランド族が、さいたま県民に負けてしまったのですね。実写映画版の「翔んで埼玉」は、「日本埼玉化計画」を開始するそうですが、5世紀にはすでに武蔵国において埼玉化が実現していたのでしょうか。

 まさに、リアル・翔んで埼玉。もしかしたら、東京人は、そのときの悔しさがDNAに組み込まれているのかも……と、「翔んで埼玉」で描かれる東京人を見て思うのでした。

野毛で造られた多数の古墳

 さきたま軍団に負けてしまった荏原台軍団ですが、その後も世田谷区の野毛地区で古墳を造り続けます。ただこれまでのように、100m近くの巨大古墳ではなく、中型の円墳や帆立貝形古墳が主体。そして、この時期には田園調布地域では、古墳の築造が見られないのも特徴のひとつです。

 大和政権御用達の前方後円墳が造られなかったということは、さきたま軍団から造る権利をはく奪されてしまったのでしょうか。当時造られた中型の円墳は、世田谷区尾山台の宇佐神社の境内にある八幡塚古墳があります。

 全長が約33m、高さが約4mの古墳で、5世紀中頃に造られた当時の首長の墓であったと推定されているのだとか。

世田谷区等々力にある御岳山古墳(画像:永嶋信晴)



 続いて、5世紀後半から6世紀中頃の築造と考えられているのが、世田谷区等々力にある御岳山古墳。東京都の指定史跡になっており、古墳の前にある解説板によれば、全長54m、高さ7mの帆立貝形古墳とあります。

 残念なことに、どちらの古墳も、立ち入ることはできません。御岳山古墳は、木々も生い茂っていて古墳の詳しい形も確認することができませんでした。

5世紀末に再び造られ始めた前方後円墳

 野毛地域で中型の円墳や帆立貝形古墳を造っていた荏原台軍団は、5世紀末になると再び田園調布地域に古墳を造り始めます。しかも、大和政権御用達の前方後円墳が復活するのです。

 これら古墳築造の変遷について、詳しいことはわかっていません。ただ、田園調布の丘の上に墓所を作った氏族が野毛地区の開拓に伴い墓所を野毛に移動。その後、氏族の勢力が衰退し、田園調布に戻ったとも考えられているそうです。

 前方後円墳が復活したとすると、大和政権やさきたま軍団との関係は修復したのでしょうか。多摩川駅近くにある浅間神社古墳は、全長60mの立派な前方後円墳です。荏原台軍団が衰退したと書きましたが、それなりに力は維持していたのでしょう。

浅間神社(画像:永嶋信晴)

 古墳の上には、名前の由来になった浅間神社がありました。この神社は、北条政子が、信仰する富士浅間神社に、夫である源頼朝の武運長久を祈り、この地に持仏の観音像をまつったのが始まりとか。

 社殿までの参道は多数の溶岩が置かれ、富士塚を上っているような気分になります。浅間神社なので富士山との関わりがよくわかりますね。境内には多摩川を眺める絶好の展望所が作られ、多摩川をわたる東横線を眺めることができました。

6~7世紀に造られた小型円墳と前方後円墳

 6世紀後半から7世紀中頃にかけて、再び田園調布古墳群に多数の古墳が造られます。亀甲山古墳と宝来山古墳との間に、南東部から順に1号から8号までの番号のついた8基の小型古墳が造られるのです。

田園調布古墳群の小型古墳(画像:永嶋信晴)



 解説板には、1号墳と2号墳は小型前方後円墳と円墳とが複合したもので、他はすべて円墳だとありました。大きさは直径が18m前後で、高さが2m前後なのだとか。1号墳から7号墳までほぼ1列に連なっているのは興味深い。どのような法則で並んでいるのか興味がかき立てられます。

 亀甲山古墳と宝来山古墳のふたつの巨大古墳が築造されたのが古墳時代前期の4世紀頃だそうなので、築造時期が新しくなるにしたがって古墳は小型化していったのですね。そういえばエジプトのピラミッドも、だんだん小さくなっていったのを思い出します。

7世紀中頃以降、造営された横穴墓

 7世紀中頃になると、田園調布の周辺では古墳が造られなくなりました。それに代わり、舌状台地の斜面に横穴墓が群集して造営されるようになります。そのなかで有名なのは、等々力渓谷の近くに造られた横穴墓でしょう。

 等々力渓谷は、大量の湧水が武蔵野台地を侵食してできた渓谷。渓谷から10mも崖を登れば、普通の住宅街が広がっています。標高が少し違うだけで、都会と自然の景観が共存しているのが魅力ですね。等々力渓谷の横穴墓は、6基以上発見されているのだとか。中でも注目なのが、昭和48年に発見されたという3号横穴です。

 奥行きが13mもあり、入り口の小窓から内部を眺めることができます。以前、等々力渓谷へ行ったとき、墓の内部をのぞき込んだのです。すると、いきなり顔が目の前に……。一瞬、昔見た特撮ドラマ「ウルトラQ」のミイラ男を思い出してしまいました。

 腰を抜かす一歩手前で何とか体勢を整え、よく見ると、ふたりの人が横穴墓のなかで、何やら調査しています。「調査中とか、表示しておいてよ」と、冷や汗を拭きつつ、つぶやいたのを思い出しました。それにしても、よく叫び声を上げなかったと自分をほめてやりたくなりました。

等々力渓谷の2号横穴(画像:永嶋信晴)

 等々力渓谷には、ほかに1号横穴や2号横穴の跡があります。これらは埋められていて、人が中に入れないから安心です。これらの横穴墓に葬られた人たちは、副葬品が豊富なことから、等々力周辺を治めていた有力者であると推定されています。お墓の形態から、これまで紹介した巨大古墳よりも古いように思えますが、実は横穴墓のほうが新しいのですね。

 今の時代もそうですが、新しくなるに従ってエコになるのかもしれません。

【地図】全長107mの古墳がある場所

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