どの駅からも遠い 世田谷区の端っこ「喜多見」は江戸風情が残る穴場スポットだった

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どの駅からも遠い 世田谷区の端っこ「喜多見」は江戸風情が残る穴場スポットだった

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荻窪圭

フリーライター、古道研究家

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古き良き世田谷の原風景・田園風景を楽しめる場所として知られる喜多見。そんな喜多見は江戸の風情が残る穴場スポットでもあるのです。フリーライターで古道研究家の荻窪圭さんが解説します。

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    世田谷区喜多見の所在地(画像:(C)Google)
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    世田谷区喜多見の所在地(画像:(C)Google)
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    世田谷区喜多見の所在地(画像:(C)Google)
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    今回紹介した建物の位置(画像:(C)Google)
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    「目黒筋御場絵図」(国立公文書館デジタルアーカイブ)より、喜多見付近。氷川神社や慶元寺、さらにクランク状の道も表現されている。氷川神社の北にある寺は廃寺となった(画像:荻窪圭)(画像:荻窪圭)
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    須賀神社の少し南にある竹やぶにある第六天塚古墳(画像:荻窪圭)
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    稲荷塚古墳。古墳時代後期の円墳で、今はきれいに整備され、公園になっている(画像:荻窪圭)
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    須賀神社。社殿が少し高い位置にあるのは古墳の上にあるため。天神塚古墳の上に社殿が建てられた(画像:荻窪圭)
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    慶元寺の長い並木道の参道。江戸時代と変わらぬ長い参道が維持されていて、タイプスリップしたような感覚に(画像:荻窪圭)
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    慶元寺にある江戸氏の墓所。中央奥が初代江戸氏と二代目江戸太郎の宝篋印塔。その他は戦国時代から江戸時代のもの(画像:荻窪圭)
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    慶元寺にある江戸太郎重長の像。平安時代末期から鎌倉時代の武将だが、「大福長者」とも言われたという(画像:荻窪圭)
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    喜多見氷川神社の長い参道。途中に1654年に喜多見氏の兄弟が奉納した小ぶりな石鳥居が今でも残っている(画像:荻窪圭)
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    「カシミール3D+スーパー地形」より喜多見の拡大図。白い線が古道。色は高低差を表している。ほんの少し高い場所に集落があったことがわかる(画像:荻窪圭)
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