中村一義『犬と猫』――小岩近辺から生まれた「江戸川系」音楽の金字塔 江戸川区【連載】ベストヒット23区(17)
面積・人口ともに、23区内で4位「ベストヒット23区」もいつのまにか17区目。あと7区、スパートしていきます。今回は23区の中で、最も東の端、千葉県に近いところにある江戸川区。 改めて地図で見てみると、荒川と江戸川に囲まれて、縦に細長いひょうたんのような形をしています。北の端には小岩駅、そして南の海っぺりには葛西臨海公園(江戸川区臨海町)。面積・人口ともに、23区内で4位というあたりが渋い。 小岩駅前にある「昭和通り商店街」の様子(画像:(C)Google) 今回は、江戸川区出身のミュージシャンをご紹介していきます。まずは松崎しげる。毎日新聞の「私だけの東京・2020に語り継ぐ 歌手・松崎しげるさん 聖火と走った東京五輪」(2018年9月19日)という記事には「江戸川っ子」だった松崎少年の、当時の思い出がリアルに書かれています。 1949(昭和24)年生まれの松崎しげるは、実は前回(1964年)の東京五輪で「聖火ランナーの伴走者」を務めたらしく、「当時は東京もまだ高い建物がなかったのです。江戸川からも東京タワー、富士山がくっきりと見えて。まるで、東京を独り占めしているような景色でした」という発言からは、当時の江戸川区の光景が、リアルに想像できます。 松崎しげるをスカウトした宇崎竜童 転機となるのは、その2年後に行われたビートルズの武道館公演。 高校からは、「公演に行ったら退学」と言われていたのに見に行くのです。それも2回も。そして感化されて、歌手を目指すことになります。ちなみに、松崎しげるを「ミルク」というバンドにスカウトしたのが、当時芸能プロのマネジャーをしていた宇崎竜童。 世に知られるようになったキッカケは、1975(昭和50)年11月のヤマハ主催「世界歌謡祭」。 会場は、あのビートルズが歌った武道館。松崎しげるは、音楽活動に反対していたお父さんを晴れ舞台に呼びます。そして「歌唱賞」を受賞し、武道館で堂々と歌う息子を見てお父さんは、「よし、20代はお前が好きなようにやれ」と、音楽活動を認めたといいます。 2012年に発売された、松崎しげるの『愛のメモリー(発売35周年 アニバーサリーエディション)』(画像:エイベックス・エンタテインメント) 江戸川区から武道館のある九段下までは、すでに東西線が通じていました(ただし西葛西駅の開業は1979年)。東西線に乗って「江戸川っ子」松崎しげるは世にはばかり、大ヒット曲『愛のメモリー』は1977年8月の発売。64万枚を売り上げます。 女性代表は大竹しのぶ女性代表は大竹しのぶ 松崎しげるを江戸川区音楽界の男性代表とすれば、女性代表は大竹しのぶではないでしょうか。 大竹しのぶの著書『私一人』(幻冬舎)によれば、品川区に生まれ、埼玉に引っ越して、そして都立高校に進学するのですが、その都立高校が江戸川区にある小岩高校(江戸川区本一色)。卒業生に大竹しのぶと吉田照美ですから、なかなかに個性的です。 大竹しのぶの著書『私一人』(画像:幻冬舎) 高校時代から女優として活躍、その流れで1976(昭和51)年には『みかん』という曲でレコードデビュー。しかし本人、まったく乗り気ではなく、「『みかん』を出した頃は、何もかもが嫌だった。どんどん普通じゃなくなっていく生活から抜け出したくてしょうがなかった」と、とてもネガティブな状態だったよう。 紅白で『愛の讃歌』を熱唱 しかしその40年後、大竹しのぶは歌姫として、聴衆を圧倒します。2016年の「第67回NHK紅白歌合戦」、すっかり大女優になっていた大竹しのぶが初出場を果たし、フランスのシャンソン歌手エディット・ピアフの代表曲『愛の讃歌』を、目に涙をためながら熱唱。 大竹しのぶと吉田照美を輩出した小岩高校の外観(画像:(C)Google)「女優の歌だ」と私(スージー鈴木。音楽評論家)は感じました。歌唱力もさることながら、エディット・ピアフが魂に乗り移ったような気迫、女優にしか醸し出せない強烈な世界観が表現されている。2012年紅白の美輪明宏『ヨイトマケの唄』などと並ぶ、2010年代紅白屈指の名場面のひとつに数えられるでしょう。 実は大竹しのぶと結婚した明石家さんまも、ブレーク前の一時期、小岩で住んでいたらしく、2015年に日本テレビで放送されたドラマ『小岩青春物語~きみといた街角~』は、その頃のことを描いていました。明石家さんまを演じたのは菅田将暉。ただし同じ小岩でも、厳密には新小岩駅周辺だったようで、新小岩駅は江戸川区ではなく葛飾区になります。 「小室系」でも、「渋谷系」でもない「江戸川系」「小室系」でも、「渋谷系」でもない「江戸川系」 松崎しげると大竹しのぶより若い世代から「ベストヒット江戸川区」を決めたいと思います。今回選んだのは、江戸川区が生んだ名曲――中村一義『犬と猫』。 1997年に発売された中村一義の『犬と猫』(画像:(P)A USM JAPAN release; 1997 UNIVERSAL MUSIC LLC(C) 1997 UNIVERSAL MUSIC LLC)「♪どう?どう?」――中村一義、1997(平成9)年のデビュー曲を初めて聴いたときの衝撃は忘れられません。歌詞を読んでも意味が全く分からないのです。『魂の本 中村全録』(太田出版)によれば、「ハッキリ歌っているんだけど歌詞がわからない歌を歌おう」と考えたらしい。 そんな中村一義も「江戸川っ子」で、自宅録音を始めた通称「状況が裂いた部屋」も小岩近辺で、先の「♪どう?どう?」という『犬と猫』の歌い出しを思い付いたのも「小岩フラワーロード商店街」を自転車で走っているとき。そして、『犬と猫』が収録されたファーストアルバム『金字塔』のジャケットにそびえ立つのは江戸川清掃工場の煙突。 1997年、音楽シーンは「小室系」や「渋谷系」で湧いていました。でも、それら港区・渋谷区発の音楽とはまったく異質な「江戸川系」音楽が、23区の東の端から生まれて来ていて、「こういう音楽も、どう?どう?」と、私に迫って来たのです。
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