コロナ禍で外国人減少も「新大久保」に新規出店が止まないワケ
コロナ禍で新大久保の外国人人口が減少しています。一方、これをチャンスととらえビジネスに乗りだす彼らの姿も。最新の現状について、アジア専門ライターの室橋裕和さんが解説します。新宿区では5000人以上の外国人が減少 新型コロナウイルスは、外国人コミュニティーにも大きな影響を与えています。新大久保ではこの2020年、外国人人口の減少が進んでいるのです。 このエリアで外国人がとりわけ多い大久保1丁目と2丁目、それに百人町1丁目と2丁目に住む外国人は、2020年1月1日の時点では計「8501人」でした。ところが2020年12月1日の統計では、「7207人」まで減っています。1年間で1000人以上が、この地域から転出していったことになります。 同エリア・同じ時期の日本人人口は「1万3201人 → 1万3187人」とほぼ横ばいなので、外国人だけが際立って減少したことになります。 新大久保のある新宿区全体でも、外国人は「4万2598人 → 3万6959人」と大きく減っています(日本人は「30万5854人 → 30万7857人」とむしろ増えています)。 この「減少分」は、留学生が大半を占めているようです(※数字は新宿区の統計より)。 留学生へのダメージが最も大きい 2020年は、コロナ禍によって全世界的に出入国がストップしました。そのため留学生が入ってこられない状態がしばらく続きました。 新大久保を行きかう外国人もマスク姿(画像:室橋裕和) 新大久保も含めた新宿区は、日本語学校や外国人を受け入れている専門学校が非常に多いことでも知られています。そこに行き来する留学生が街に「若さ」を与えてもいました。そして彼らはまた「週28時間」という制限がありながらも、コンビニや飲食店で働く貴重な労働力として街を支えてきた存在です。 しかし入国制限によって、2020年度の新入生は入ってこられなくなりました。オンライン化が進んではいますが、それではなんのための留学か、と取りやめる人もいます。 すでに日本に滞在していた留学生の中には、母国の両親がコロナのために失業し、仕送りをもらえなくなった人もいます。彼らがアルバイトしていた飲食業界はコロナの直撃を受けて人減らしが進んでいます。 そして卒業した留学生たちはコロナ不況を受けて就職先がない――こうした理由で、減便された飛行機に乗り、厳しい検疫の中、帰国する若者が増えているのです。 失われつつある新大久保の「新陳代謝」失われつつある新大久保の「新陳代謝」 2020年10月から、日本も入国制限の解除が始まりました。 留学生もその対象ではあるのですが、やはり渡航を見合わせる人は多いようです。それに入国後14か日間の隔離については、受け入れる学校側がホテルなどを用意しなくてはならないこともあって、思うように留学生は入ってきていません。 それでも、緊急事態宣言下ではほとんど見かけることもなかった留学生たちが、少しずつ戻ってきています。 新宿区に暮らす4万人前後の外国人のおよそ半数は留学生なのです。毎年、新しい留学生が入ってきて、新大久保の街にも流動性や活気をもたらしてくれたことに間違いはありません。コロナ禍が収束しないと、その新陳代謝も失われてしまうかもしれません。 あえて攻勢をかける外国人の商売人たち 一方でコロナ禍を「チャンス」と捉える外国人もまた、新大久保にはたくさんいます。飲食店の中には撤退する店も出てきているのですが、そこにすかさず新しく入居していくのはこの街ではほとんどが外国人です。 2020年8月には老舗だったチュニジア料理店がなくなってしまったのですが、そのあとにすかさずネパール料理店が入りました。新規オープンのベトナム料理店もあれば、中華系の魚屋、ハラルフードショップなども、このコロナ禍で開店しています。 営業は続けていても、コロナ禍のため売りに出ている物件や経営が譲渡された物件も多いと言う(画像:室橋裕和) 商売人のひとりは「いまなら安く借りられるから」と言います。新大久保・大久保エリアは韓流エリアに代表されるように商売の激戦区です。オフィスや店舗物件の賃料は高く、また空きもあまり出ないと聞きます。いまがそんな場所に店を構えるチャンスと見る外国人もいるのです。 彼らは、 「駅から近い物件をいまのうちに抑えたい。いずれコロナは収まるし、そのときは人の流れも戻ってくる」 と自信満々に語ったりもします。 その言葉通りになるかどうかはわかりませんが、思いついたことはまず実行してみる。リスクを恐れず、というよりあまり深く考えず、取りあえずやってみようという外国人が新大久保には次々とやってきます。この街は彼らのビジネスの場でもあるのです。 外国人人口の減少が生み出すもの外国人人口の減少が生み出すもの「コロナが収束すれば外国人はまた増加していくはず」 と新大久保の人々は言います。 新大久保では東日本大震災のときも、外国人が帰国する現象が起きました。当時は外国人と言えば中国人や韓国人が主力でしたが、彼らの一部が街を去り、いくらか寂しさが漂ったと言います。 しかしそこを埋めるように、ネパール人やベトナム人が急増していったのです。日本の少子高齢化対策のため、東南アジアや南アジアからの入国のハードルを下げたのです。結果として新大久保は、震災以前よりもはるかに国際化が進みました。 大人気のケバブ屋。業態は小さくても繁盛している店が新大久保には多い(画像:室橋裕和) 今回のコロナ禍による外国人人口の減少もまた、街が次の段階へと進んでいくひとつのステップなのかもしれません。
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