駒沢を「スケボーの聖地」に押し上げた地元スケーターたちの熱き歴史をご存じか

世田谷区「駒沢スケートパーク」はスケーターの聖地です。利用は無料で、家族連れから女性まで多くの人たちが利用。しかしここまで来るには多くの困難がありました。文教大学国際学部准教授の清水麻帆さんが解説します。


盛り上がりは2010年代から

 東京2020オリンピック競技大会から新種目となったスケートボードは、昨年特に注目されたスポーツです。そんなスケートボードが以前から盛り上がっている場所が、都内にあります。それは駒沢オリンピック公園(世田谷区駒沢公園)にある、ストリートスポーツ広場(以下、駒沢スケートパーク)です。

 駒沢スケートパークは、スケーターの「聖地」のひとつ。利用は無料で、プロスケーターはもとより、家族連れから女性まで、初心者から上級者まで多くの人たちが利用しています。週末ともなると、1日100~200人が訪れるほどです。

スケートボードのイメージ(画像:写真AC)



 しかし、以前は違っていました。

 約35年前の中学生頃から駒沢公園でスケートボードをしている、「URA3(ウラさん)」こと浦本譲さんによると、1990年代に子どもの姿はなく、多様な人たちが来るようになったのは2010年代に入ってからだといいます。

 駒沢スケートパーク元々、現在のような公式スケートパークではありませんでした。1980年代後半から2008年頃までは、浦本さんや彼の先輩たちなどを始めとするスケーターや、BMXに興じる人たちが10~30人ほど集まり、手作りの木製ランプやバンク、ボックス、レールなどを設置して遊んでいました。なお、これらの道具はセクションと呼ばれます。

粘り強い都との交渉

 木製のセクションは劣化しやすく出火の恐れがあるため、2000(平成12)年頃から浦本さんたちは鉄製のものを設置し始めました。

 しかし、落書きや騒音などの苦情が発生したため、スケーター仲間のアーティストがそれらをきれいにペイント。結果、落書きを抑制し、日暮れにはセクションに施錠をすることで対策を講じました。苦情の解消は、自分たちが自由に使える場所を確保することでもあったのです。

 しかし残念ながら苦情は減らず、都からセクションの完全撤去を命じられます。それを契機に、浦本さんら数名がイニシアチブを取り、多目的スペース確保の署名活動を行いました。2005年から2009年にかけて東京都と粘り強く交渉を続け、石原慎太郎都知事(当時)に要望書を提出し続けました。

駒沢オリンピック公園のストリートスポーツ広場(画像:(C)Google)



 苦労のかいあって、東京都が2010年に現在の駒沢スケートパークの場所に柵を設置。スケートパークとしての試行期間が1年与えられました。その期間はセクションが設置されず、フラットなスペースだけに。

 その結果、子どもたちが当時はやっていたキャスターボード(プレイボードやくねくねボードとも)を持って遊びに来るようになりました。この頃から駒沢スケートパークには、子どもたちだけでなく女性の姿も見られるようになりました。そして2011年、晴れて都公認の施設となったのです。

 それまでは、浦本さんたちと都の間では「どんなパークにしていくのか」「どのようなコンセプトのスケートパークにするのか」などの話し合いが重ねられました。

 以前の駒沢公園は、浦本さんのようなスケート技術の高い人たちが集まる空間だったため、駒沢スケートパークも

「プロ仕様の空間にしよう」
「初心者も滑れる空間にしよう」

と、さまざまな意見が出ました。

 最終的に浦本さんたちは、公園は公共空間であるため、初心者からプロまで利用できる空間にすると決定。それに東京都も賛同し、現在のようなスケートパークが形成されたのです。

 浦本さんたちはコンセプトだけでなく、スケートパークの空間作りについても関わっています。例えば、多くの人が安全に利用できるよう、平らな部分を広く取ったセクションの配置など提示。話し合いを重ねて、現在の形になっています。

自由なスケートパークを存続するために

 スケートパークの利用ルールについても、浦本さんたちの意見が反映されています。

 当時、ほとんどのスケートパークではヘルメットの着用が義務付けられていましたが、駒沢スケートパークではそれを無くすかわりに、下地はコンクリートより柔らかいアスファルトにしました。

 このほかにも「利用規約の承諾」「登録手続きの義務」など、スケートパークではよくあるルールは採用せず、できるだけ気軽に利用できるよう、最低限のルールで運用していきたいと都に提案しました。

 そして、トラブルが増えるようであれば改めてルール設置する――という条件で合意に至ったのです。

 現在、設置された看板には

・スケートパーク内での飲酒や喫煙の禁止
・パーク外での滑走禁止
・無断商用撮影行為禁止
・譲り合いの利用

などが掲げられていますが、罰則などは定められていません。浦本さんいわく、

「ローカルスケーターたちが啓発活動を行い、ルールの認識が利用者に共有され続ければ、自由度の高いスケートパークを存続できるはず」

とのことです。

駒沢オリンピック公園のストリートスポーツ広場(画像:(C)Google)



 駒沢スケートパークの原型はこうして作られ、2016年にはリニューアル工事が完了。その機能はさらに進化しています。防音とケガ軽減のため、路面を円滑にする特殊な塗装が施され、全てのセクションが新設されました。

 それを機に、東京都からの要請で年に2回、キッズスクールを開催。毎年50人の定員はすぐに埋まってしまうほどの人気となりました。

 駒沢のローカルスケーターたちによってスケートパークが作られ、そしてスケートボード文化が根付き、今の状態に。浦本さんたちは現在でもスケートパークを見回り、パークが安心安全で円滑に使われるよう、啓発活動を続けています。

 こうした草の根の活動は若者たちにも引き継がれています。まさに「ローカルカルチャーとしてのスケートボード」を体現しているといえるでしょう。

今後ますます重要になる事項

 1990(平成2)年頃、新宿中央公園(新宿区西新宿)に集まっていたスケーターたちが結成した「Newtype(ニュータイプ)」というチームがあります。浦本さんはその初期メンバーのひとりでした。Newtypeは、自分たちのパフォーマンスを撮影・編集したビデオを販売。当時、日本の先駆的なスケーターチームとなっていました。

 現在、スケーターたちが自分たちのパフォーマンスをYouTubeなどに公開するのは一般的ですが、当時はインターネットが普及しておらず、かなり珍しい存在だったといいます。浦本さんいわく、

「おそらく、日本で初めて長編ビデオを作ったスケートチームではないか」

とのこと。その後、スケーターたちによる映像配信は日本各地に普及していきました。

※ ※ ※

 ローカルスケーターによるこうした地域への取り組みは、今後ますます重要になるでしょう。これらを継承するためには、

・若者スケーターへの意思の伝達
・世代間のつながりの維持

が鍵になるのかもしれません。

 ということで、コロナ禍が明けたら、皆さんもぜひ駒沢スケートパークをのぞいてみてください。


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