日本初の「カレーレシピ」出版から150年! 明治時代の日本人は“新味”をどう味わったのか【連載】アタマで食べる東京フード(19)

味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードの今と歴史を巡ります。


明治5年、日本初のカレーレシピ刊行

「ネギ2本の薄切りをバター150グラムできつね色に炒め、カレー粉と小麦粉各匙(さじ)1杯、塩適量をよくかき混ぜたものと合わせる。刻んだ羊肉、水またはスープ1合を加えて10分弱火で煮込む」(『西洋料理通』)

「ネギ1本、ショウガ半かけ、ニンニク少々を細かく刻んでバター大さじ1で炒める。水1.5合と具(鶏肉、エビ、タイ、カキ、カエルなど)を加え、途中でカレー粉をふり入れて1時間煮込み、塩で味を調(ととの)え、水溶き小麦粉でとろみをつける」(『西洋料理指南』)

 以上は、料理書に掲載された日本初のカレーレシピ(現代語に要約)。原文ではバターは「ボートル」、分は「ミニュート」になっており、本来はタマネギを使うところを、まだ栽培されていなかったためネギで代用しています。

新宿中村屋ビル8階「グランナ」の純印度式カリーはア・ラ・カルトで1925円。ご飯は江戸時代に徳川将軍家に上納された希少な白目米を使用している(画像:畑中三応子)



『西洋料理通』『西洋料理指南』ともに1872(明治5)年の刊行。この2冊は題名に「西洋料理」の語を冠した最初の料理書としても有名です。男子結髪廃止の布令(断髪令)がその前年に出されるなど、生活全般の西洋化が急がれた時代でした。

 こうして純然たる西洋料理のひとつとして、カレーが導入されてから今日まで約150年。

 とろみのあるソースをご飯にかけた保守本流のカレーライス(もしくはライスカレー)のほかに、現在はスパイスカレーとキーマカレー、少し前まではバターチキンカレー、その前はグリーンカレーがブームだったように、さまざまな新しいトレンドが生まれ、あるものは定着し、あるものは消え去っていきました。

インドカレーのレシピは四半世紀後

 日本のカレー史上、空前の大ブームとして記録に残るのが、新宿中村屋(新宿区新宿3)が1927(昭和2)年に売り出した「純印度式カリー」です。

 これが外食で初めて提供された本格インドカレーですが、その30年以上前の1896(明治29)年に、早くもカレーは西洋料理ではなくインド生まれの料理であることと、その製法を解説したレシピ本が刊行されています。

『日用西洋料理法』(杉本新蔵 著、大倉書店)。ごく初期の主婦向け家庭料理書で、出したのは夏目漱石の『吾輩は猫である』と同じ出版社。

1896(明治29)年5月刊行『日用西洋料理法』(画像:国立国会図書館デジタルコレクション)



「カレー料理の部」に10ページも割いているのが画期的で、鶏兒(チキン)カレー、鶏卵カレー、魚類カレー、蝦(えび)カレー、牡蠣カレー、印度製のカレー、兎カレー、野菜カレーと、レシピの種類も豊富です。

「カレー」は元来熱帯地方に産する二三の植物の種子(たね)に胡椒又は蕃椒(とうがらし)などを加えて之れを炒り製したる粉の名称にして、印度人は常に之れを食物に和して用ふといふ。蓋(けだ)し之れを食物に和するに、其量度に適し調理宜しきを得ば、辛味あり香気ありて随分旨き食物となるべし(句読点筆者)

 これが本書に書かれたカレーの概要。文章全体から、熱帯の気候が育んだカレーのエキゾティックな魅力が漂ってくるよう。深き皿に飯7、カレー3の割合でと、盛り方のベストバランスが説明されているのも親切です。

新宿中村屋の印度カリーが大反響

 さて、骨つき鶏肉の大きなかたまりがゴロゴロ入り、インドから取り寄せたスパイス14種が香り立って刺激的に辛い中村屋純印度式カリー。

 その登場は、一大センセーションだったようです。一般的な洋食屋の8倍という値段もかかわらず大勢の客がつめかけ、ついに「新宿名物」と呼ばれるまでになりました。

 現在でも、純印度式カリーは新宿中村屋の8階「グランナ」と地下2階「マンナ」で食べられます。

新宿区新宿3の「新宿中村屋ビル」(画像:(C)Google)



『新撰組始末記』などで知られる小説家の子母澤寛(しもざわ かん)が、新聞記者だった昭和初期、中村屋カリーのレシピを創案した亡命インド人、独立運動家のラス・ビハリー・ボースにインタビューしています。そこでボースは、本当のカレーは「食べる時にすうーっと甘くて、後から少しずつ辛味が舌に湧いて来る」と語っていますが、まさにその通り。

 100年近く前の人々が熱狂しただけのことはある味です。

 同じインタビューでボースは、シンガポールなどに行って「本場でもっと辛いカレーを食べた」と威張る人が多いことに対し、むやみに辛ければよいものではないと、苦言を呈しています。

 明治後半から戦前期は、東南アジア中心に南洋進出がブームになり、貿易や農林水産業、製造業、天然資源開発などに携わる日本人が増えました。南洋とのつながりが強まっていく社会情勢とぴったりマッチしたのが、この印度式カリーだったのかもしれません。

大正創業、都内に残る老舗を訪ねて

 現在の東京で食べられる最古のカレーのひとつ、千代田区神田神保町「共栄堂」のカレーは、インドネシアのスマトラ島風です。

「共栄堂」のポークカレー980円。色の濃さが特徴で、なかには肉がたっぷり隠れている。全品サービスでコーンポタージュつき(画像:畑中三応子)



 1924(大正13)年の創業時から提供されるスマトラカレーのレシピは、初代が中央区京橋で「カフェ南国」というカレーとコーヒーの店を営んでいた伊藤友次郎から受け継ぎ、進化させたもの。

 伊藤は南洋向けの人材育成に尽くした人物だったそうです。

 ポーク、ビーフ、チキン、シュリンプ、タンと5種類あるスマトラカレーは、すべてスパイスを1時間かけて炒め、小麦粉はいっさい使わないのが特徴。色はダークで味はビター、きわめて濃厚なこのカレーを食べて、当時の人々は南洋への憧れを募らせたのかもしれません。


【貴重画像】明治29年の「カレーレシピ」(6枚)

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