知っていたら、真のカレー通? 「辛さマシマシ」を生み出した元祖のお店はどこなのか【連載】アタマで食べる東京フード(17)
2021年6月26日
ライフ味ではなく「情報」として、モノではなく「物語」として、ハラではなくアタマで食べる物として――そう、まるでファッションのように次々と消費される流行の食べ物「ファッションフード」。その言葉の提唱者である食文化研究家の畑中三応子さんが、東京ファッションフードが持つ、懐かしい味の今を巡ります。
70年代、辛さレベルを導入して話題騒然
「神田をぶらついていたら、ボルツを発見!」という報告を友人がくれて、あまりの懐かしさに見に行ってきました。
「ボルツ」は、日本ではじめて「〇倍」と、カレーの辛さを数値化した激辛カレー元祖の店です。

現在「洋麺屋五右衛門」などを経営する日本レストランシステム(渋谷区猿楽町、旧ショウサンレストラン企画)が渋谷宇田川町に1号店を開店したのは、第1次石油ショックで高度経済成長が終焉(しゅうえん)を迎えた1974(昭和49)年のこと。
暗い世相の最中でしたが、カレーの辛さを表示するのに「甘口、中辛、辛口」くらいしかなかった当時、辛さのレベルを数字で表して倍増できるシステムが若者のチャレンジ精神を刺激し、話題騒然に。全盛期の80年代にはチェーン店が全国約50店に達する人気店になりました。なお、「激辛」は1986年に新語・流行語大賞の新語部門・銀賞を獲得した新しい言葉です。
一世を風靡(ふうび)したボルツですが、現在残っているのは神田と栃木県宇都宮の2店のみ。神田店(千代田区神田錦町)のオープンは1980年、店長の倉田茂樹さんがボルツならではの味とスタイルを守っています。
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