改めて学ぶ鉄道遺構「高輪築堤」の歴史的価値 日本が誇る近代化遺産の行方とは

2020年に出土した鉄道遺構「高輪築堤」。その保存の必要性について、フリーライターのの弘中新一さんが解説します。


高輪ゲートウェイ駅近くで2020年に出土

 2020年、高輪ゲートウェイ駅(港区港南)近くから鉄道遺構「高輪築堤(ちくてい)」が出土し、保存か、予定通りに再開発を進めるのかさまざまな議論が交わされました。

 2021年4月の報道では、再開発を行っているJR東日本の深澤祐二社長が記者会見で「一部については現地保存をベースに検討を進め、開発と保存の両立を図る取り組みをできるだけ早く結論を出して進めたい」と述べるに至っています。

 そんな高輪築堤ですが、鉄道を愛する人にとってその歴史的価値は一目瞭然です。一方、鉄道にあまり興味のない人には価値が伝わりづらいのも事実。そこで今回は改めて、東京の歴史を語る上で欠かせない高輪築堤の歴史的価値について記します。

高輪築堤の歴史的価値とは

 日本で初めて鉄道が開通したのは1872(明治5)年です。最初の区間は東京(新橋)~横浜間に決定。しかし、明治政府の中には紆余(うよ)曲折がありました。

高輪築堤(画像:港区)

 なぜなら、明治政府はとにかくお金がなかったからです。財政難の原因は、

・版籍奉還(1869年)
・廃藩置県(1871年)

のふたつです。版籍奉還とは、全国の各藩主が朝廷に土地(版)と人民(籍)を返還したことで、廃藩置県とは、明治政府が中央集権化を図るために全国261の藩を廃して府県を置いたことです。

 廃藩置県後は当然、藩の支出や負債を政府がすべて背負うことになります。ただでさえ行政機関や軍隊を整備する予算や、華族や士族に与える家禄(かろく)なども支払わなくてはならないのです。

 鉄道開通後、こうした財政問題は家禄を全廃する秩禄(ちつろく)処分などで負債を返済しつつ、ようやく安定していきます。

 つまり、鉄道建設の案が出た頃の明治政府は明日にも倒産しそうだったにもかかわらず、さらに事業を拡大するという状況だったわけです。

東京の新名所となった高輪築堤


【貴重画像】134年前の「高輪築堤」を見る

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