オリンピック選手を数多く輩出 日本初の女子体育教師養成学校「東京女子体育大学」とはどのような大学なのか

  • ライフ
オリンピック選手を数多く輩出 日本初の女子体育教師養成学校「東京女子体育大学」とはどのような大学なのか

\ この記事を書いた人 /

中山まち子のプロフィール画像

中山まち子

教育ジャーナリスト

ライターページへ

池江璃花子選手などの活躍で、さらなる注目が集まる女性アスリート。そんなアスリートたちの育成を長らく行ってきた東京女子体育大学について、教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。

オリンピックと女性アスリートの活躍

 競泳の日本選手権で池江璃花子選手(ルネサンス/日本大学)がリレー2種目のオリンピック代表に内定し、女子50m自由形でも優勝、大会4冠を達成しました。

 池江選手自身がかつて「目標は2024年のパリオリンピック」と話していたことを考えれば、ドラマのような奇跡が起きたといえるでしょう。

 2019年2月にTwitterで白血病を公表した池江選手が、退院後に初めてプールに入ったと報告したのは2020年3月17日。つまりわずか1年でオリンピック代表の座を勝ち取ったことになります。

 多くの人がこのカムバック劇を見て感動し、2020年から続くコロナ禍の重苦しい空気を見事打破してくれました。

女子体育教育の源流は明治時代

 これまでの歴史を振り返っても、1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックに出場した人見絹枝は初出場ながら銀メダルを獲得。日本人女性初のオリンピックメダリストとなりました。

 4年後に開催されたロサンゼルスオリンピックでは前畑秀子が競泳で銀メダル、そして1936年に開催されたベルリンオリンピックでは金メダルを獲得しました。「前畑がんばれ」というラジオ実況はあまりに有名です。

 また、1964年の東京オリンピックでは「東洋の魔女」と呼ばれた女子バレーボールチームが活躍し、親から子へ、祖父母から孫へと伝聞されています。

国立市富士見台にある東京女子体育大学(画像:(C)Google)



 このように、日本のオリンピックを語る上で女性アスリートの存在は欠かすことができませんが、その背後にある女子体育教育の源流は明治時代にまでさかのぼることができます。

日本初の女子体育教師養成学校

 1872(明治5)年の学制発布以降、日本では西洋の近代的な学校教育制度が取り入れられました。体育教員養成所として体操伝習所が1878年に設立されたものの、女性の体育教員養成所は1902年の私立東京女子体操学校の登場まで待たなければなりませんでした。

 今回紹介する東京女子体育大学と東京女子体育短期大学(ともに国立市富士見台)の源流は日本初の女子体育教師養成学校である、この私立東京女子体操学校です。

 現在、東京女子体育大学は体育学部体育学科を、東京女子体育短期大学は保健体育学科、児童教育学科を有しており、学生数は大学1458人、短期大学では208人です(2020年度)。

東京女子体育大学の周辺の様子(画像:(C)Google)



 そんな東京女子体育大学ですが、1956(昭和31)年のメルボルンオリンピックに体操代表を送り出して以降、夏季・冬季問わずオリンピック選手を輩出し続けています。選手の出場競技も体操からソフトボール、ショートトラックやリュージュと幅広いのが特徴的です。

 学内の陸上競技場は陸上競技連盟の「第4種公認競技場」に認定されており、バレーボールコート3面、バスケットボールコート2面を持つ体育館も。また2021年8月には、地下1階・地上5階の体育館が完成予定です。

 大学のスタートは体育教員養成学校ですが、それだけでなく、60年以上前から世界に通用するトップアスリートを育成しており、日本の女性アスリート誕生に大きく貢献しているのです。

女子体育の先覚者「藤村トヨ」

 前述の私立東京女子体操学校を創立したのは山崎周信ですが、学校の歴史で外すことができないのが、1944(昭和19)年に専門学校に昇格した東京女子体育専門学校校長に就任した藤村トヨの存在です。

東京女子体育大学の所在地(画像:(C)Google)



 トヨは文部省検定試験の体操科教員の試験に合格した1904年、同校での勤務を開始し、4年後の1908年には学校長に就任。その重責を負う傍ら、東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)に入学し、医学の勉学にも励みました。

 論文「女子体育の先覚者 藤村トヨについて」(宮崎美智恵著、天理大学学報通号131号、1981年)によると、トヨが医学を志したのは、東京女子医科大学創始者の吉岡彌生(やよい)が「体育の参考として医学を研究された」からとのこと。

背後にある先人たちの苦労

 男子の体育教育は兵役といった時代背景や軍人育成という現実的な面もあり、明治初期から国を挙げて取り組まれていきました。

 一方、女子の体育教育は理解されづらかったものの、藤村トヨを始めとする情熱を持った教育者の登場で、教育機関が設立されていきました。

東京女子体育大学のウェブサイト(画像:東京女子体育大学)

 どの世界でも先人たちの苦労は計り知れないものがあります。昭和初期から世界の舞台で日本の女性アスリートが活躍できたのも、100年以上前から女性教員から専門的な体育教育が行われてきたからにほかなりません。

 スポーツの歴史を振り返る際、アスリートにスポットライトが当たることがほとんどですが、東京女子体育大学のような教育機関の存在があってこそ、現在の女性アスリートの活躍があることを忘れてはなりません。

関連記事