「商売するなら日本が一番」 来日30年のインド人社長がコロナ禍真っただ中に新店オープンを決めたワケ

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「商売するなら日本が一番」 来日30年のインド人社長がコロナ禍真っただ中に新店オープンを決めたワケ

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室橋裕和

アジア専門ライター

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知る人ぞ知るエスニック食材店「アンビカ」が2月22日、新大久保に支店をオープンしました。コロナ禍の真っただ中にも関わらずいったいなぜ? アジア専門ライターの室橋裕和さんが取材しました。

まるでインドのスーパーマーケット

 多国籍タウン・新大久保に2021年2月22日(月)、またひとつエスニック食材店がオープンしました。インドのスパイスや調味料などを専門に扱う「アンビカショップ」(新宿区百人町)です。蔵前店、西葛西店に続き、新大久保で3店目となります。

 新大久保駅のすぐ西、さまざまな国のレストランや食材店が並ぶ通りの一角にできたお店をのぞいてみると、まるでインドのスーパーマーケット。

 バスマティライス(インドの長粒米)、多種多様なスパイス、インドの豆やアタ(小麦の全粒粉)、ギー(バターオイル)、紅茶にスナックなどなど、数多くの品が並び、目移りします。甘さで知られるグラブジャムンなどのスイーツも人気になっているそうです。

 新大久保のエスニック食材店の中ではとりわけ広々としていて、日本人にもわかりやすい表示なども豊富です。

「南アジアの市場」となった新大久保

 いまや「エスニック激戦区」である新大久保に出店した理由について、社長のヒンガル・ニッティンさんが語ってくれました。

品質の良い商品を提供したいと語るヒンガル・ニッティンさん。写真は蔵前店(画像:室橋裕和)



「もともとこのあたりにたくさんあるネパール料理などのレストランに、食材やスパイスなどを卸していたんです。さらにこの街で私たちが小売店も開いて、高品質で安心できるものを提供することで、地域のマーケット全体のクオリティーが上がればと思ってオープンしました」

 コリアンタウンというイメージが強い新大久保ですが、現在はさまざまな民族・文化の人たちが行き交うインターナショナルタウンになっています。

 とりわけ多いのがネパールやバングラデシュ、パキスタン、インドといった南アジア勢。彼らが利用し、日本人も本場の味や雰囲気を楽しむ食材店やレストランが新大久保にはいくつもあるのですが、アンビカショップはそんなかいわいの指標となるような店を目指しているそうです。

 また新大久保は、いまでは日本各地で暮らす南アジア系の人たちにとっても大事な街になってきていると言います。

「例えば福岡や名古屋など、日本の地方でレストランや食材など食べ物に関わる仕事をしようと考えた南アジアの人は、まず新大久保に来るんです」

 この街で何が売られていて、どんなメニューや商品に需要があるのか。仕入れ先や価格はどうなっているのか。そんなことをリサーチする街となっているそうです。だからここで出店すれば、日本各地の南アジアの人たちにアピールできるというわけです。

「新大久保店は、ディスプレーのような存在になればと思っています」

巣ごもり傾向が小売り需要を後押し

 しかし店のオープン時は、新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の真っ最中。この状況下で新しく出店するのはなかなかに冒険のようにも思うのですが、その背景のひとつには「巣ごもり需要」があったと言います。

「テレワークが増えたし、夜はレストランが早く閉まってしまう。だから自宅で料理をする人が多くなりましたよね」

インド産の米だけでも多種多様。日本に暮らす南アジア系の人たちの食卓やレストランを支えている(画像:室橋裕和)



 せっかくだからちょっと凝った料理を、いつもとは違うものをと、スパイスを使ってみたり、インド料理に挑戦したりする人もけっこういるのです。スパイスカレーを自作するブームも後押ししているでしょう。そこをカバーするような小売店展開は、

「もっと大きなマーケットになる可能性もあると思っています」

とヒンガルさんは語ります。

 コロナ禍によって飲食店が苦境にあるぶん、食材の卸業も売り上げは下がっているのですが、その代わりに小売りの需要が上がっていると言います。

「コロナ禍はむしろチャンス」

 とはいえ、誰もが身を守るのに精いっぱいのコロナ禍です。そのなかで新しくビジネスを展開させていくのは、何ごとも慎重な日本人ならためらうところでしょう。しかし、そんな状況だからこそ、打って出ようという外国人もいるのです。

「新大久保はいま外国人の商売人には人気の街になっています。南アジアの店は新大久保駅から大久保駅のわずか数百mの間に密集していますが、なかなか店舗に空きが出ない。すぐに埋まってしまうんです」

 それがコロナ禍によって、撤退する店も一部で出てきているし、オフィスの賃料も上がらない。だからいまのうちに場所を押さえておこうという動きが起きています。

 コロナ禍はやがて収まるだろう。そうすれば利益は見込める。そのためにいまから物件を押さえて投資しよう……そう考える外国人が積極的に動いています。

「ある意味でチャンスかもしれないですね。でもこれは新大久保だけでなく、日本のどこでも同じようなチャンスはあると思いますよ」

とヒンガルさんは言います。

「世界一甘い」とも言われるグラブジャムン(真中右)などインドのスイーツもたくさん(画像:室橋裕和)

 それにしても、コロナでも勝負に出て行く、どんどん動く姿勢はなかなか日本人には難しいかも……そんなことをヒンガルさんに話すと、笑って答えてくれました。

「私たちのように商売に来た外国人はね、とにかく仕事しなくちゃならないってプレッシャーがけっこう強いんです。異国で稼いで生活していかなくちゃならないですから。コロナであれがだめならこれをやってみよう、こんな展開はどうだろうって、とにかくいつも考えて、動いていないとって思っている。そういう外国人は多いと思います」

「まじめに商売するなら、日本は一番」

 そんなヒンガルさんが故郷のラジャスタン州ジョードプルを出て、来日したのは1994(平成6)年のこと。もともとは宝飾関係の仕事で来た駐在員だったそうです。

「その頃の日本はインド料理店も少なかったし、食べるものには本当に苦労しました。そこで、親戚がインドで食材の仕事をしていたこともあって、思い切って日本で会社を立ち上げることにしたんです」

 こうして1998年に開業。その頃は日本に100軒ほどしかなかったインド料理レストランに商品を納入するようになりましたが、アタやギーをインドから輸入した最初の業者でもあったそうです。

 現在、インド・ネパール料理店は5000店にまで増えましたが、そこには食材やスパイスの面で支え続けてきたアンビカの存在があったからとも言われます。

食材だけでなく、歯磨き粉やヘアオイル、ヘナ、食器などインドの生活用品も(画像:室橋裕和)



 20年以上も日本でビジネスを続けてきたヒンガルさんですが、その理由をこう語ります。

「まじめに商売するなら、日本は世界でも環境の一番整った国です。例えばこういう商売をやっていますが、私たちはトラックの1台も持っていない。それは日本のインフラが信頼できて、配送を任せられるからです。ちゃんとしたビジネスをしていれば銀行もサポートしてくれる。天然資源の少ない日本がどうして経済大国になったのか、そこには日本の文化や考え方、システムのすばらしさがあるからなんです」

 まじめにやれば、ちゃんと「結果がついてくる国」なのだとヒンガルさんは力を込めます。

 こんな言葉は、ヒンガルさんだけでなく、日本で商売をする多くの外国人が強調することでもあります。そんな異国の商売人たちが、しのぎを削る街。それがいまの新大久保の姿です。

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