かつて歌舞伎町を流れていた謎の「蟹川」 水源は一体どこにある?【連載】東京うしろ髪ひかれ地帯(11)

前回の記事では、新宿区「大久保」の地名の由来とされた窪地を調べましたが、今回はこの窪地をつくったと言われる川・蟹川の謎について迫ります。都内探検家の業平橋渉さんが解説します。


窪地をつくった蟹川

 新宿駅周辺は普段歩いていて、土地の高低差をあまり感じませんが、実は台地の上にあります。駅周辺の標高がいかに高いかは、銀座方面から皇居のお堀をぐるっと巡って、四谷方面に向かうとよくわかります。

 皇居ランナーでもない限り、あまり足を運ぶ機会のないエリアですが、桜田濠に沿った三宅坂(みやけざか)周辺から四谷方面を見るとかなりの急坂になっています。

 さて、そんな新宿の街の始まりは江戸時代の宿場町・内藤新宿で、甲州街道沿いに開かれました。甲州街道は当時の幹線道路で、尾根筋のもっとも土地のしっかりした部分を通っていることが現在の地図からもよくわかります。

 そんな台地の周辺にはいくつもの川筋があり、そのなかでも現在の歌舞伎町を突き抜ける形で流れていたのが蟹川(かにがわ)です。

 連載10回目となった前回の記事「新宿区『大久保』の名前の由来を知ってる? 駅周辺は平地なのに、なぜ『くぼ』なのか」で、大久保の地名の由来とされた窪地を調べましたが、この窪地をつくった川が蟹川なのです。

尾州藩の下屋敷から流れていた蟹川

 戸塚町誌刊行会が編さんした『戸塚町誌』(1931年発行)に、蟹川に関する記載があります。

「太田道灌の狩に出でし地として人口に膾炙(かいしゃ。広く知れわたること)す。金川、加奈川、加二川ともかかれている、下戸塚尾州藩戸山の池より発し馬場下を過ぎ、早稲田村中村郷を経て、牛込山吹町小日向松ヶ枝町を経て江戸川に入る。一名戸山山落ともいう」(一部現代語に修正)

「尾州藩戸山の池」とは江戸時代にあった尾張藩の下屋敷で、その土地は北は現在の新宿区西早稲田1丁目から2丁目まで、南は新宿7丁目から若松町までかかる広大なものでした。

赤枠が新宿区「西早稲田」。新宿駅は赤線部分、歌舞伎町は紫色の丸部分(画像:(C)Google)

『戸塚町誌』の記述に基づけば、屋敷内にある池から流れ出た川がいったん南に下り、そこから東へ。再び方角を変えて北へ。そして最後は神田川(江戸川)に流れ込んでいたということになります。

 そんな蟹川ですが、果たして現代に痕跡を見つけることができるのでしょうか。

地図をよく見ると……


【画像】明治初期「歌舞伎町」周辺の様子

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