迷路のように入り組んだ路地 85年前の名著に描かれた私娼街「玉の井」の残像を追って【連載】東京色街探訪(2)

墨田区東向島5~6丁目、墨田3丁目にかつて「玉の井」という私娼街がありました。その痕跡を紀行ライターのカベルナリア吉田さんがたどります。

押上駅から2駅目

 夏の日暮れ。突然の夕立が降り出し、小説家の「わたくし」は、路地端のたばこ屋の前に立つ郵便ポストのあたりで、傘を差しました。

 すると「檀那(だんな)、そこまで入れてってよ」と言い、若い女が首を突っ込んできました。それが「わたくし」と、その若い女「お雪」の出会いでした。

※ ※ ※

 東京スカイツリーの最寄り駅、押上から東武スカイツリーラインで北千住方面に向かうと、2駅目が東向島です。

 駅入り口にいくつか掲示される駅名標のひとつに「東向島駅(旧玉ノ井」と書かれています。ここは1987(昭和62)年まで「玉ノ井駅」で、駅前の街も長い間「玉の井」と呼ばれていました。

かいわいでは数少ない「玉の井」の表示(画像:カベルナリア吉田)



 そして戦前の玉の井は銘酒屋街――飲み屋の看板を掲げつつ、私娼(ししょう)が売春する店が並ぶ街でした。

『ぼく東綺譚』の舞台になった私娼街

 もともとは浅草に「凌雲閣(りょううんかく)」という12階建ての建物があり、ここに銘酒屋街がありました。しかし関東大震災で壊滅。多くの銘酒屋とそこで働く大勢の女性が玉の井に流れてきて、一大私娼(ししょう)街が形成されました。

 ちなみに「玉の井」は俗称で、当時の住所は「寺島町」。全盛期には数百軒の店が並び、1000人以上もの女性がいたそうです。

『ぼく東綺譚』(画像:岩波書店)

 そんな玉の井の私娼街を舞台に、1936(昭和11)年に書かれた永井荷風の代表作が『ぼく東綺譚(「ぼく」はさんずいに「墨」)』です。小説の形をとりながら、主人公の「わたくし」はほぼ荷風さんそのもので、限りなく実体験に沿った私小説的な作品とされています。

複雑に入り組んでいた路地

 そして当時の荷風さんは56歳。戦前の50代は「老人」の部類に入りますが、それで20代の私娼「お雪」さんと、ひと夏の恋物語を紡いだとは恐れ入ります。僕(カベルナリア吉田。紀行ライター)も50代半ばにさしかかった中年男ですが、色気を失わず快楽に生きた荷風さんの生きざまが、なんだかまぶしく見えます。

駅名標に「旧玉ノ井」の表示(画像:カベルナリア吉田)



『ぼく東綺譚』では「わたくし」とお雪さんの、ひと夏の恋がみずみずしく描かれると同時に、当時の玉の井の様子が細かく描写されています。

 極細の路地が複雑に入り組む様子を、荷風さんは「ラビラント(迷宮)」と書きました。迷い込むと出口がない路地も多く、向こう側に出られる路地の入り口には「ぬけられます」と書かれていたそうです。

 また当時の玉の井は数本の溝(どぶ)が流れ、夏は蚊が多かった様子。「わたくし」の額にとまる蚊を、お雪さんがピシャリとたたく下りは、名場面として語り継がれています。

永井荷風の残像を追いかけて……

 そんなロマンスの舞台になった玉の井も、第2次大戦の空襲で焼失します。

 戦後は復興した街の一角に再び私娼宿が並び、「新玉の井」と呼ばれる赤線が形成され「カフェー」が並んだそうです。しかし1958(昭和33)年の売春防止法施行後は普通の住宅街になり、今に至っています。

 街景色が変わるなか、東武線の「玉ノ井」の駅名が、私娼街の歴史を紡ぎました。しかし風俗街のイメージが強い「玉ノ井」駅名を嫌う人もいたようで、昭和の終わりに「東向島駅」に変更。今では周辺に「玉の井」時代の面影を感じるものは、ほとんどありません。

1986(昭和61)年発行の地図。「たまのい」の記載がある。「東向島」への改称は翌年1987年(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕)

 それでも、この街を歩いた荷風さんの残像を追い、今も多くの人が散策に訪れます。

 戦前の細かい道筋は変わりましたが「年老いた男と若い女の、ひと夏の恋」のロマンスが、旅情をかきたてるのでしょうか。僕も荷風さんの色気にあやかるべく、かつての玉の井を東向島駅から歩いてみました。

小説の場面の残像をたどり、そぞろ歩き

 夏の気配が残る9月頭、東向島駅前に降り立ちました。ちなみに『ぼく東綺譚』の中で「わたくし」は、街に溶け込むためシャツの襟元のボタンを外し、すり切れた古いズボンにげたというファッションで玉の井に出掛けます。僕もげたとはいいませんが、履き古したチノパンにビーチサンダル履きで散策スタート。

 平日16時、普通のサラリーマンなら、この時間をこの服装で歩きはしません。浮き上がるかなと思ったら――。

 同じような格好のオジさんが多く、違和感はありません。シャツの襟元を第2ボタンまで開け、素足にサンダルや雪駄(せった)履き、げた履きの人もいます。僕もビーサンをペタペタいわせ、お雪さんの残像を探して歩き出しました。

 東武線高架に沿い、駅前を南北に通る道は「東向島粋いき通り」。「博物館通り」の別称がつき、南に進むと東武博物館(墨田区東向島)があり、昔の日光軌道線や特急「けごん」の古い車両が屋外展示されています。

東武博物館の脇に展示される、昭和を駆け抜けた特急「けごん」(画像:カベルナリア吉田)



 そばのテーブル付きベンチで、サキイカをつまみに缶チューハイを飲むオジさんの姿も。そして店がゴチャゴチャひしめく向こうに、スカイツリーがそびえています。玉の井私娼街のもとになった浅草の凌雲閣も、当時としては破格の高さを誇る「タワー」でした。色街とタワーは縁があるのかなと、ふと思ったりします。

かつて走っていた成白鬚線

「粋いき通り」を北へ進むと、道沿いにもんじゃ焼き屋、年季の入った中華食堂。チノパン姿のオジさんが、自転車で走り抜けます。その足元は、やはり雪駄履き。

 歩道沿いの花壇に草が茂り、その中にツヤツヤとした紫色の……おおっ、ナスが実っています。ここが「寺島町」だったころ、周辺の畑でナスを育てていたそうです。この「寺島なす」を復活させる動きがあり、道ばたで育てているわけです。

ご当地江戸野菜「寺島なす」が、道ばたに実る(画像:カベルナリア吉田)

 カラオケショップのビルに、明かりがともっています。隣に居酒屋、英会話教室、歯科医院――昭和の初めごろ、この辺りを京成白鬚線が横切っていました。といっても1928(昭和3)年から1936年までの8年間だけ。『ぼく東綺譚』が書かれた頃には、もう廃線になっていて、劇中には「線路跡の土手」が登場します。

 その土手を越えた向こうに、玉の井私娼街の明かりがきらめいていたそうです。戦前の玉の井の、明かりの残像を探し、さらに北へ進みます。

かつての私娼街を通る「玉の井いろは通り」

 小さな十字路に出ました。東武線の高架下をくぐり、西に続く道は「大正通り」。『ぼく東綺譚』にしばしば登場する「大正道路」も、この方向に延びていたのでしょうか。今回はこの大正通りは進まず、右手北東に延びる道を進みます。道の南東にかつて、劇中に登場した「向島劇場」があったはずですが、今はその痕跡はありません。

 五差路を越えると、その先に延びる道は「玉の井いろは通り」。玉ノ井駅が改称したあとも「玉の井」名義を受け継ぐ貴重な道で、道の南東側に戦前は、私娼街が広がっていました。

いろは通り(画像:(C)Google)



 いろは通りを進みます。右斜め前方に、かつて「伏見稲荷」ののぼりが立ち、すぐ脇を溝(どぶ)が流れていました。その溝沿いに立つ家に――お雪さんがいました。今はその残像の跡形もなく、3~4階建ての中規模マンションが、ただ普通に立ち並んでいます。溝はもちろんないし、蚊も飛んでいません。

 ガタンゴトン、背後の高架を東武線の列車が通過します。子どもが5人、自転車で列をなし「待てーっ!」と叫びながら走り抜けていきます。どこかの家からか漂うカレーの香りと、タマネギを炒める香り。

 17時前にして、早くも明かりをともす居酒屋に「昼飲みやってます」の貼り紙。すでに客がいるようで、オジさん数人の笑い声が聞こえてきます。

 民家の塀の上に猫の置物? と思ったら本物です。微動だにせず僕をじっと見て、ふわーっとアクビをします。

 昼飲み居酒屋から、ジャージー履きのオジさんが出てきました。足元は僕と同じ、ビーチサンダル。開いた扉の向こうから漂う、焼き鳥の香り。自転車に乗って初老の婦人が現れ、反対方向から歩いてきた婦人に「あらー、昨日はありがとう」と声をかけます。歩いてきた婦人が「昨日はお疲れさま」と答えて、ふたりとも笑顔。

 玉の井の私娼街が全盛だった頃に比べれば、たぶん街の明かりも、にぎわいも少ないでしょう。それでも素朴な下町の光景が、目に優しく映ります。暮れなずみ、セピア色に染まっていく風景。時が一緒にさかのぼっていくような、錯覚を感じます。

2013年まで残されていた当時の建物

 いろは通りを進みます。左前方の交番の先に、昔は劇中にも登場する寄席「玉の井館」がありました。

 寄席の建物は戦禍を免れ、戦後は映画館を経てスーパーマーケットになり平成まで営業しましたが、2013年に取り壊されました。『ぼく東綺譚』の風景を伝える貴重な建物だっただけに、何とももったいない話です。

「玉の井館」の建物を使っていた、在りし日のスーパーマーケット。2013年撮影(画像:(C)Google)



 小さな和菓子屋の店先に、小豆色のノボリがはためき「おはぎ」の3文字。入り口のボードに「秋のお彼岸は9月19日から25日です」の手書き文字も。時計店の店内に、猫がドンと座り店番中。年季の入った中華食堂の品書きに、チャーハンではなく「焼飯」の文字。

 ここで17時半、『夕焼け小焼け』のメロディーで、街を包むようにチャイムが流れます。猫がノンビリと、道を横切っていきます。

今も残る「ラビラント」

 いろは通りの左右に、極細の路地が何本も分かれています。分かれた先にも、店の明かり。焼き肉屋、居酒屋、すし屋。昔はこんな路地端にも私娼宿が並び、そして路地の入り口に「ぬけられます」と書かれていたのでしょう。道筋こそ違うでしょうけど、今もこのかいわいには「ラビラント」があります。

「玉ノ井」名義の金魚屋(!)とお茶屋、レディースショップの前を通り過ぎ、トランクルームの角を右に曲がります。『ぼく東綺譚』劇中では、この角に「水菓子屋」がありました。

 住宅に挟まれた路地を進みます。どうということのない路地ですが、かつてはこの道筋を溝(どぶ)が流れていました。途中で溝は西に分かれ、その溝沿いに――お雪さんの家がありました。

 南へ進む途中、劇中では「中島湯」がありました。さらに中華食堂「九州亭」が立つ角を西に曲がると、道は「賑(にぎわい)本通」。その名の通り、私娼街時代はにぎわっていたのでしょうが、今は歩く人も少なく閑散としています。

現在の賑本通(画像:(C)Google)

 賑本通の途中「玉ノ井町会掲示板」が立つ辺りに――たばこ屋がありポストが立っていました。ここで「わたくし」が差した傘に、お雪さんが首を突っ込んできました。

 そのまま賑本通を進むと――あれ? 五差路に戻りました。途中で角を2回しか曲がっていないのに、なぜ戻ったのでしょうか。どうも四角い道を進んでいるつもりが、三角形に進んでいたようです。

戦後の赤線「新玉の井」も歩く

 五差路を渡り、いろは通りの北西側に出ます。戦後の1958(昭和33)年まで、この北西部分に「新玉の井」がありました。『ぼく東綺譚』の頃の玉の井私娼街とは別物ですが、せっかくなので歩きます。

 東武線の高架に沿い、路地を北へ進みます。住宅が連なる、何の変哲もない風景。高架を東武線特急「スペーシア」が疾走していきます。

 五差路に出ます。五差路が多い街です。右に曲がり、極細の路地を進むと――点々とともるスナックの看板、赤ちょうちん。さびついたトタン塀の古い家、その2階で揺れる洗濯物。

 2階建ての古い建物の1階に、長屋のようにスナックが3軒が並んでいます。1階はモダンなれんが塀ですが、2階はあとから継ぎ足したようなトタン塀。もしかして、戦後の赤線時代の「カフェー」の名残でしょうか。

旧・新玉の井の、かつてのカフェー街を思わせる一角(画像:カベルナリア吉田)



 そのまま極細の路地を進むと――あれ、さっき見たすし屋? いろは通りから分かれる路地に見えたすし屋が、なぜここに? あれ?

 僕はいったいどの道を、どういう風に進んできたのでしょうか? なぜこの道を進んで、さっき見たすし屋の前に出たのでしょうか?

 キツネにつままれた気分で、そのまま道を進むと、いろは通りに出ました。

 ぬけられました。ラビラントです。

夜の散歩も楽しみましょう

『ぼく東綺譚』に登場する場所や建物の遺構が、そのまま残っているわけではありません。でも歩くほどに、どっちに進んでいるのかわからなくなる「ラビラント」の感覚は、たぶん変わっていないでしょう。老年にさしかかりなお、ひと夏の恋に心を焦がした、荷風さんの残像が見えてくる気がします。

 できればげた履きで歩いてみると、よりいっそう『ぼく東綺譚』の世界に浸れるでしょう。

 辺りが暗くなり、いろは通りに居酒屋の明かりがポツポツとともります。たぶんかつてのにぎわいには程遠いであろう、ささやかな夜の明かり。でも静けさに、不思議な懐かしさを感じます。

夜の玉の井いろは通りに、店の明かりがともる(画像:カベルナリア吉田)

 数軒ある居酒屋の1軒に入ってみると、初老のご主人が、

「あれ、さっきもそこ歩いてたよね?」

と言って、迎えてくれました。

【タイムスリップ】明治初期の「玉の井」にはいったい何があった?(11枚)

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