迷路のように入り組んだ路地 85年前の名著に描かれた私娼街「玉の井」の残像を追って【連載】東京色街探訪(2)
2020年10月18日
お出かけ墨田区東向島5~6丁目、墨田3丁目にかつて「玉の井」という私娼街がありました。その痕跡を紀行ライターのカベルナリア吉田さんがたどります。
押上駅から2駅目
夏の日暮れ。突然の夕立が降り出し、小説家の「わたくし」は、路地端のたばこ屋の前に立つ郵便ポストのあたりで、傘を差しました。
すると「檀那(だんな)、そこまで入れてってよ」と言い、若い女が首を突っ込んできました。それが「わたくし」と、その若い女「お雪」の出会いでした。
※ ※ ※
東京スカイツリーの最寄り駅、押上から東武スカイツリーラインで北千住方面に向かうと、2駅目が東向島です。
駅入り口にいくつか掲示される駅名標のひとつに「東向島駅(旧玉ノ井」と書かれています。ここは1987(昭和62)年まで「玉ノ井駅」で、駅前の街も長い間「玉の井」と呼ばれていました。

そして戦前の玉の井は銘酒屋街――飲み屋の看板を掲げつつ、私娼(ししょう)が売春する店が並ぶ街でした。
『ぼく東綺譚』の舞台になった私娼街
もともとは浅草に「凌雲閣(りょううんかく)」という12階建ての建物があり、ここに銘酒屋街がありました。しかし関東大震災で壊滅。多くの銘酒屋とそこで働く大勢の女性が玉の井に流れてきて、一大私娼(ししょう)街が形成されました。
ちなみに「玉の井」は俗称で、当時の住所は「寺島町」。全盛期には数百軒の店が並び、1000人以上もの女性がいたそうです。

そんな玉の井の私娼街を舞台に、1936(昭和11)年に書かれた永井荷風の代表作が『ぼく東綺譚(「ぼく」はさんずいに「墨」)』です。小説の形をとりながら、主人公の「わたくし」はほぼ荷風さんそのもので、限りなく実体験に沿った私小説的な作品とされています。

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