本当に時代遅れのオワコンか? 「としまえん閉園」で考える遊園地の現代的価値とは
2020年8月22日
お出かけ2020年8月末、94年の歴史を持つ遊園地「としまえん」が閉園します。2000年前後から相次いだ、老舗遊園地の閉園。令和の時代に生き残るヒントは何なのでしょうか。文殊リサーチワークス・リサーチャー&プランナーの中村圭さんが解説します。
94年の歴史に幕、やまぬ惜しむ声
2020年8月31日(月)をもって「としまえん」(練馬区向山)が営業を終了します。
日本を代表する有名レジャー施設のひとつで、約22万平方メートル広大な敷地を持つ都市立地の遊園地。首都圏居住者であれば、遊びに行ったことのある人も少なくないでしょう。

としまえんは1926年(大正15年)9月15日の開業で、100年近くの歴史を持ちます。
樺太工業(王子製紙の前身)の専務だった藤田好三郎氏の静養地である石神井川周辺の景勝地を一般に公開したことが起源で、その後、経営者が次々に代わり、第二次世界大戦を経て、1963(昭和38)年には西武鉄道が事業主体となりました。
元々は室町時代に豊島氏が築城した練馬城のあった土地であり、当初は「練馬城址 豊島園」として開業していました。調査が済んだ城の遺跡は現ハイドロポリスの下に位置しています。
園内には「サイクロン」「コークスクリュー」「フライングパイレーツ」などの大型スリルライドのほか、「カルーセルエルドラド」「スカイトレイン」といった遊園地らしい大型遊戯機器もあり、同園の人気を支えました。
プールも夏場の大きな目玉で、1929年(昭和4年)にはすでにプールを開業しており、現在はウオータースライダーの「ハイドロポリス」や、世界初の流れるプール、波のプールなど七種類ものプールがあります。
近年はペアフロートやプロジェクションマッピングが楽しめるナイトプールが人気で、その他にもナイトエンターテインメントが充実していました。
また春は桜の名所でもあり、場所取りと宴会メニューがセットになった「お花見プラン」が好評を博しました。
そのほかにも「バーデと天然温泉 豊島園 庭の湯」や「ユナイテッド・シネマとしまえん」「トイザらス」もあり、2018年11月にはおもちゃ会社・ボーネルンド(渋谷区神宮前)がプロデュースした子ども向け室内パーク「ASOBRAVO!(アソブラボー)」もオープン。まさに一日中遊べる一大エンターテインメントエリアとなっていました。
としまえんは広告のキャッチコピーでもたびたび話題をさらいました。
としまえんといえば「自虐」広告
例えば、1986(昭和61)年の「プール冷えてます」、1990(平成2)年4月1日の「史上最低の遊園地。TOSHIMAEN」(エープリルフールの新聞一面広告)、同年夏の「暑中御見舞い申し上げます。」(鍋がぐつぐつ煮えている映像のアップに上記テロップが出るテレビCM)。

1992年には、女優・宮沢りえの写真集『Santa Fe』の表紙に使用した扉を取り寄せて「豊島園に、サンタフェの扉が、やって来た!!!」、1996年の夏に行われるはずだった世界都市博覧会(都市博)をもじった「とし博 開催決定!」……など。
当時まだ珍しかった「自虐ネタ」は、30歳代以上の人ならば何かしら記憶に残っているのではないでしょうか。
さて、閉園後は一部敷地を使用して、「ワーナー ブラザース スタジオツアー東京 メイキング・オブ ハリー・ポッター」が2023年開業予定となっています。
英国ロンドンに次ぐ世界で2番目の施設となり、映画『ハリー・ポッター』シリーズの映画セット内のシーンを実際に体験できるエンターテインメント施設とのことです。
高度成長期を支えた大衆向け娯楽
としまえんなどの遊園地は、テーマパークや動物園、水族館などと並ぶ国内の定番レジャー施設です。
明治時代から開業が見られ、特に鉄道事業者が沿線の宅地開発に伴い、都市機能の充実、鉄道利用の促進のため、開発を促進した経緯があります。まだ大衆の娯楽が少なかった戦後から高度経済成長期にかけ、レジャーの受け皿として機能してきました。
しかし、1983(昭和58)年に「東京ディズニーランド」(千葉県浦安市)がオープンし、その後のバブル期にさまざまなレジャーの選択肢が増えてくると、消費者の余暇志向も成熟し始めます。
有名な老舗遊園地が相次いで閉園
当時の遊園地は「大型遊戯機器を置いているだけの設置産業」と言われ、環境やスタッフの立ち振る舞いまで演出しているテーマパークと比べると「見劣りする」との指摘もありました。
また、バブル崩壊後の長引く景気低迷期にはレジャーへの支出が抑制され、遊園地の存続意義が問われるようになりました。
この時期に多くの老舗遊園地が閉園しています。例えば
・御殿場ファミリーランド(静岡県御殿場市。1999年)
・向ヶ丘遊園(川崎市。2002年)
・横浜ドリームランド(横浜市。2002年)
・小山ゆうえんち(栃木県小山市。2005年)
・多摩テック(日野市平山。2009年)
など。
筆者(中村圭。文殊リサーチワークス・リサーチャー&プランナー)が特に衝撃を受けたのは、1910(明治43)年に開業した阪急電鉄が運営する「宝塚ファミリーランド」の閉園です。何とか存続させるよう訴える運動も起きましたが、残念ながら2003(平成15)年に閉園しました。

都内の老舗遊園地である「後楽園ゆうえんち」も、2003年に「東京ドームシティ アトラクションズ」と「天然温泉スパラクーア」や商業施設に分かれてリニューアルしました。遊園地機能は継承したものの、施設名から「ゆうえんち」が消えたことから、業界では「脱・遊園地」とも言われました。
都市に立地する遊園地は、開業当初と比べて土地の価値が大きく上昇しています。広大な土地を使用していることからも、より収益性の高い事業を検討するのは事業効率の観点から当然といえば当然です。閉園が多くなったのは、動物園や水族館と比べて民間施設が多いことも影響しているでしょう。
では、果たして遊園地は時代遅れなのでしょうか。
令和時代に生き残る遊園地の展望
しかし、都内の遊園地「よみうりランド」(稲城市矢野口)は2019年までおおむね右肩上がりに成長しており、年間入場者数は200万人に近づく勢いです。

レジャー施設のイルミネーションブームの先駆けとなったイルミネーションイベントが成長のけん引役になり、そのほかにも次々に時代性に応じたアトラクションを導入、手作り感のあるエンターテインメントを提供しています。
そもそも遊園地とは、ジェットコースターや観覧車、メリーゴーラウンド、お化け屋敷、夏のプール、イルミネーション、ヒーローショーなど、さまざまなシチュエーションで幅広い層が楽しめる娯楽を一堂に集めた施設です。
テーマパークのようにテーマが固定されてない分、多彩なコンテンツを柔軟に取り入れることができ、今はリアル脱出ゲームやリアル謎解きゲームとのコラボも活発です。
新しい施設が次々とできることは楽しみですが、長い時間をかけて親しまれてきた環境は簡単に作ることはできません。独特な雰囲気の遊園地を舞台にして、さまざまなコラボが行われることは、むしろ新しい感覚を覚えます。
ぜひ、お近くの遊園地にも足を運んでみてください。
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