近年はアニソンや洋楽も――東京都内で「盆踊り」が広まったワケ
地域の盆踊りから近年増加する「ニュータイプ盆踊り」のイベントまで、東京には昔から盆踊りが盛んなイメージがありますが、ライター・エディターの大石始さんによると、決してそうではなかったようです。「東京音頭」を手掛かりに、その歴史をひも解きます。かつての東京「盆に踊る習慣なかった」 東京では毎年夏になるとあちこちに盆踊りの櫓(やぐら)が立ち、「東京音頭」や「炭坑節」に合わせて大小の踊りの輪が作られます。そうした光景に見慣れていると、東京は古くから盆踊りが盛んな土地だと錯覚しがちですが、決してそんなことはないようです。 2018年開催「東京丸の内盆踊り」の様子(画像:グライダーアソシエイツ) 小説家・永井荷風は1937(昭和12)年に発表した『濹東綺譚』のなかで、こんな一文を残しています。 「東京では江戸のむかし山の手の屋敷町に限って、田舎から出て来た奉行人が盆踊をする事が許されていたが、町民一般は氏神の祭礼に狂奔するばかりで盆に踊る習慣はなかったのである」 民謡研究家の竹内勉によると、明治以前の時代には千葉にも近い現在の江戸川区や葛飾区にあたる地域や板橋区の一部で盆踊りが行われていたほか、正徳(1711~1716年)から享保(1716~1736年)の一時期、現在の日本橋と京橋の境にあたる中橋でも盆踊りが行われていたといいます。 ただし、そうした例はあくまでも江戸のごく一部。大阪の漁師たちが最初に住み始め、江戸由来の古風な盆踊りが現在も続けられている中央区の佃のような例外を除くと、荷風の言うように「(かつての東京において)町民一般は盆に踊る習慣はなかった」ようです。 盆踊り大会を一般化した「東京音頭」盆踊り大会を一般化した「東京音頭」 明治に入ってからもわずかに残っていた東京の盆踊り文化も、日露戦争あたりを境に衰退。昭和に入ると、その名残りさえも吹き飛ばす盆踊り唄の大ヒット曲が飛び出します。それが1933(昭和8)年にレコードとして発売された「東京音頭」でした。 永井荷風『ぼく東綺譚』の表紙(画像:岩波書店) この曲は東京という限られた地域のみならず、全国的な人気を獲得します。また、この「東京音頭」にはその前年に発売された「丸の内音頭」という原曲がありました。 この「丸の内音頭」は、東京・丸の内~有楽町の飲食店関係者が不況を吹き飛ばすために考案した盆踊り大会をきっかけに制作されたものです。その盆踊り大会が盛況だったことから、「丸の内音頭」の歌詞を変えた「東京音頭」のレコードが翌年発売。さらなる人気を獲得することになります。 「東京音頭」は各地で伝承されている盆踊り唄のように土地の信仰や伝統的な風習に根付いたものでもなければ、地域コミュニティーのなかで代々受け継がれてきたわけでもなく、中山晋平というプロフェッショナルな作曲家が手がけた流行歌の一種でした。 そうした「東京音頭」がかかる盆踊り大会が一般化するなかで、やがて盆踊りは「継承するもの」であると同時に、「新たに始められるもの」ともなっていったわけです。 近年ではアニソン盆踊りも 高度経済成長期に入り、地域コミュニティーが再編されるなかで、そうした「非伝統的」な盆踊り大会が各地で始められるようになります。 郊外には団地や新興住宅地が築き上げられ、都市には地方や海外からの労働者が移り住むなかで、多種多様なルーツを持つ人々を繋げるものとして盆踊りが必要とされるようにもなります(そのあたりは、2020年初夏の刊行を目標としている次の著作で掘り下げる予定です)。 アニソン盆踊りが行われる「神田明神納涼祭り」のフライヤー(画像:Cool Japan TV) 盆踊りは、常に地域社会の変化と共にあります。コミュニティーが力を持てば盆踊りは活性化し、力を失えば衰弱していくものですが、その一方で、近年の都市部では地縁に囚われない新しい盆踊り大会も始まっています。 太鼓の代わりにターンテーブルとミキサーをセッティングしたDJ盆踊りが浸透しつつあるほか、盆踊り唄の種類も多様化。ボン・ジョヴィやクイーンで踊る「中野駅前大盆踊り大会」やアニソン盆踊りが行われる「神田明神納涼祭り」も人気を集めています。 イベントと盆踊りの「違い」とはイベントと盆踊りの「違い」とは 冒頭で触れたように、「東京音頭」以前の東京とは、決して盆踊りが盛んな土地ではありませんでした。盆踊り文化の伝統が希薄な場所だったこともあって、戦後になって新たな盆踊り文化が花開いたとも言えるでしょう。 盆踊り愛好家の視点からすると、近年東京を中心に巻き起こっている「ニュータイプ盆踊り」の波は、必ずしもすべて肯定できるものではなく、なかには違和感を感じるものもあります。 イベントと盆踊りの違いとは、ひと夏の盛り上がりを目的としているか、もしくは長く続けていくことを目的としているか、その違いであるとも言えます。先に挙げた「中野駅前大盆踊り大会」や、DJ盆踊りの元祖といえる「大和町八幡神社大盆踊り会」(中野区)はまさに後者。彼らは現代的なフォーマットを用いて「新しい伝統」を作ろうとしています。 過去の「中野駅前大盆踊り大会」の様子(画像:リンクバル)「東京音頭」ブームの時代に無数の盆踊り唄が作られながらもそのほとんどが消えていったように、東京オリンピック開催を前にして雨後の筍のように立ち上がった盆踊りの一部も、今後淘汰されていくのではないでしょうか。
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