東京からワンコインで行ける異空間、「鶴見線」沿線に秘められた近代日本の熱き歴史とその情景

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東京からワンコインで行ける異空間、「鶴見線」沿線に秘められた近代日本の熱き歴史とその情景

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黒沢永紀(都市探検家・軍艦島伝道師)

コンクリートジャングルの東京圏からたった2駅の場所に、「異空間」への入口があります。JR鶴見駅です。同駅を始点とする鶴見線沿線にはどのような歴史や風景があるのでしょうか。都市探検家・軍艦島伝道師の黒沢永紀さんが解説します。

東京・蒲田から2駅の場所が始発

 JR鶴見線。東京の最南端・蒲田から2駅のJR鶴見駅(横浜市鶴見区)を始発にした、終点までわずか15分という鶴見線は、ロケ場所としてしばしば使われる国道駅や、ホームの真下まで波が打ち寄せる海芝浦駅などでご存知の方も多いと思います。

 しかし、この路線が、ニッポンを創った男たちの夢と野望を乗せて走った電車だったことを知る人は少ないのではないでしょうか。今回は、そんな鶴見線のお話です。

暗闇のアーチが別世界へと誘う国道駅の高架下(画像:黒沢永紀)



 現在、JR東日本が運行する鶴見線は、もともと私鉄としてスタートした路線でした。浅野総一郎をはじめ、近代の日本を創り上げた錚々(そうそう)たる財閥軍団によって、1926(大正15)年に開通した貨物線「鶴見臨港鉄道」がその前身。加えて、鉄道の走る埋立地も、この財閥軍団で造ってしまったというから驚きです。

 鶴見駅と扇町駅(川崎市川崎区)を結ぶ本線、それに海芝浦線、石油線(廃線)、大川線の3つの支線は、すべて財閥軍団が造成した埋立地へと通じ、平日の乗降客のほとんどが、埋立地に林立する企業の関係者。

 もちろんそれらの企業の多くは財閥軍団がらみ。京浜コンビナートを縦走する鶴見線は、近代日本を創った男たちの飽くなき野望を乗せて走った電車だったのです。

 貨物線でスタートした鶴見線は、1930(昭和5)年に人員輸送も開始します。その際、従業員の輸送はもとより、一般客の誘致も大々的に行なっていたというからまたビックリ。

 鶴見線が走る埋立地のさらに沖にある扇島は、現在は完全な埋立地ですが、約100年前はまだ砂洲の状態。なんとそこに海水浴場を造り、海水浴前という名の駅(現存せず)から渡船を往復させ、夏場は海水浴客がごった返したといいます。

 海水浴場と工業地帯……文字通り水と油のような取り合わせですが、1935(昭和10)年の『沿線案内』にはこんなことが書かれています。

「淺野翁の独創になる鶴見埋立地は常に工業港の先驅で、(中略)日々の活動の有様は、近代工業のパノラマであり、工場のスカイラインと機械のジャズとは、近代人をもって任ずる人々の見逃してはならなぬ場所であります」

など、この埋立地がいかに最先端かを強調する文句の数々。無機質な工場群を見ながらの海水浴は、プロレタリア的でもありアール・デコ的でもあり……。

 時代の最先端を走った鶴見線と京浜工業地帯は、戦後復興と朝鮮特需でも大いに賑わいますが、やがて公害問題と重厚長大産業の空洞化で徐々に衰退。貨物線は暫時(ざんじ)トラック輸送にとって代わられ、乗降客は年々減少の一途を辿っています。国内初のコンビナートは今、高度経済成長という最も歴史の浅い時代の遺跡になりつつあるのかもしれません。

終点にはインスタ映え必至のスポットも

 そんな特殊な背景を持つ鶴見線ですが、その歴史に負けず劣らず、実際に訪れても、さまざまな驚きと感動があります。

 始発駅のJR鶴見駅の西口駅舎は、ホームも含めて1934(昭和9)年築のモダン建築。ヨーロッパの終着駅を連想させる美しい鉄骨アーチが、私鉄時代の面影を今に伝えています。なお、鶴見駅以外の駅はすべて無人駅で、改札は、「道徳心」を持ってタッチする自動改札。近年は、首都圏でも時間帯無人を導入しはじめた駅がちらほら。すべての鉄道の駅が無人化する日も、そう遠くないことなのかもしれません。

 鶴見駅の次は、国道15号(第一京浜)が隣接することからその名がついた国道駅。暗闇のアーチが別世界へと誘う魅惑的な高架下は、ロケ場所として使われることが多く、ご存知の方もいらっしゃると思います。

 1930(昭和5)年の建設当時の姿を今に伝える貴重な駅で、設計は日本のコンクリート工学の父といわれる阿部美樹志(みきし)。アーチ状の天井や窓など、当時の建築様式のひとつだった表現派のデザインが散りばめられているのは、阿部が土木家のみならず建築家でもあった証拠です。国道側の壁面には、生々しい機銃掃射の跡も遺る国道駅は、戦跡という意味も含め、1日も早い遺産登録が望まれます。

 鶴見から4つめの浅野駅は、鶴見線の生みの親であり、ひいては京浜工業地帯の生みの親でもある浅野財閥の初代総帥・浅野総一郎の名前から命名されたもの。しかし、その歴史ある駅名とは裏腹に、廃駅とも見紛う姿はまさに「夏草や ツワモノ達の 夢の跡」。

 浅野駅から分かれる支線の終点が、メディアでも度々取り上げられる海芝浦駅です。真下まで波が打ち寄せるホームは、いわゆるインスタ映え必至のスポット。しかし、駅前に建つ東芝の関係者しか構外へ出ることができず、一般客はホームか構内併設の公園で時間を潰し、再び上り電車に乗らなくてはならないという、極めて特殊な駅でもあります。

鶴見線沿線は「生命の根源」?

 浅野駅の次は、浅野総一郎とともに鶴見線と埋立地の造成に大いに貢献した安田財閥の初代総帥、安田善次郎の名前から付けられた安善(あんぜん)駅。駅前には、鉄筋造ゆえに戦禍を乗り越えた、かつての浅野セメントの社宅や従業員用の銭湯が今でも遺っています。

工場群に囲まれて佇む大川駅は、土日ともなると3本しか運行しないサイハテの駅(画像:黒沢永紀)



 安善駅からは、石油支線というちょっと変わった名前の支線が走っていました。その名の通り、埋立地に建ち並ぶ油槽所(ゆそうじょ)から石油を運び出していた線路です。国鉄の時代に廃線となりながら、ほかの線路より綺麗な状態なのは、現在も米軍の油槽所の専用線として使われているため。特に9.11の時には、大量のタンク車が横田を目指して出動していました。

 かつては、石油線以外にも無数の専用線が敷かれ、埋立地にひしめく大工場から生産された物資を運び出していました。一見、とても無機質な光景に思えますが、海に張り出した埋立地を樹木の葉、工場での生産を光合成、無数の線路を葉脈と思えば、「生命の根源」的な営の形なのかもしれないしれないと思います。

 安善駅から分岐するもうひとつの支線の終点、大川駅も、鶴見線と埋立地の創設に貢献し、数々の製紙会社を創った製紙王こと大川平三郎の名前から付けられたもの。巨大な工場群に囲まれた朽ちゆく木造駅舎は、最もタイムスリップを感じる光景です。

 旅とは、非日常体験の愉しみ。高いお金を払って遠くまで行かずとも、東京圏からわずかワンコインでいける異空間。それが鶴見線の魅力だと思います。どこかに行きたいけど、時間も余裕もない、という方は、ぜひ鶴見線を訪れてみてはいかがでしょうか。

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