昭和レトロな街並みが高架化事業でパワーアップ 大田区・雑色エリアを知っていますか
2020年5月21日
知る!TOKYO大田区の端に位置する雑色駅。その駅周辺の魅力について、ルポライターの昼間たかしさんが解説します。
10年間で大きくイメチェンした大田区
東京23区の中でも、近年著しく変化しているのが大田区です。
区内を走るJR京浜東北線と京急線を使えば、都心に一直線。それなのに、昭和の風景が広がっている――そのような大田区のイメージは、この10年間で大きく変わりました。
銀座や有楽町という一大繁華街へ乗り換えなしで行ける点が注目され、急速にベッドタウンとして変貌を遂げています。

中でもおどろくほど変化したのは、京急蒲田駅(大田区蒲田)と雑色駅(同区仲六郷)の周辺です。
かつて京急蒲田駅からは羽田空港と横浜方面へ向かう線路は幹線道路の第一京浜を横切っており、巨大な踏切が街のシンボルになっていました。
駅の周辺には昭和からそのまま変わらない風景が広がり、せわしない都会に疲れたときにブラブラと歩いて心を癒やすことができました。
それも今では過去の話。京急蒲田駅の高架化とともに、駅前にはマンションが誕生。ロータリーも完成し、新たなベッドタウンの玄関として、変貌を遂げました。
「雑色」という地名の由来
京急蒲田駅よりもさらに変化が著しいのが、横浜方面にひと駅行った雑色駅です。雑色(ぞうしき)という少し変わった駅名は、この辺りがもともと雑色村と呼ばれていたことに由来するものです。
現在の地名は仲六郷2丁目であるため、雑色の地名は駅名だけに残っていることになります。雑色とは、平安~鎌倉時代に宮中の雑役の役目を担っていた下級役人のことを指す言葉です。
平安~鎌倉時代、この地域は宮中のある京都からは遠く離れた、ほぼ別の国のような地域。それにもかかわらず、なぜこのような地名がついたのでしょうか。
調べてみると、地域にある雑色八幡神社に奉公していた人たちが住んでいたことに由来するようです。

雑色八幡神社は、江戸時代後期に編さんされた『新編武蔵風土記稿』にも記されている神社ですが、そのときすでに「勧請(かんじょう。神仏の分霊をほかの場所に移し祭ること)の年代詳ならず」すなわち、神社の創建された年代や由緒がわからないものになっていました。
ただ、神社とともに古くから人が住んでいた土地であることは間違いないようで、環境のよい土地であったことは間違いないようです。

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