体重120kgから70kgに大変身 男性ライター減量成功の理由は「散歩」だった

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体重120kgから70kgに大変身 男性ライター減量成功の理由は「散歩」だった

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下関マグロ

サンポマスター、食べ歩き評論家

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自他ともに認める「サンポマスター」の下関マグロさん。そもそもなぜ散歩を好むようになったのでしょうか。そして、大規模ダイエット成功の経緯とは? 外出自粛の今、散歩の原点を見つめ直します。

地方から上京。散歩に魅了される

 筆者(下関マグロ。サンポマスター)が東京を散歩することの面白さを知ったのは1980年代半ば、上京してすぐのことでした。

 最初に住んだのは杉並区の本天沼というところで、最寄り駅はJR中央線・東京メトロ丸の内線の荻窪駅でした。

体重100kgを超えていた頃の筆者。笑顔がまぶしい(画像:下関マグロ)



 仕事は港区・乃木坂にある小さな出版社のサラリーマン。書店をまわるのが仕事でした。東京にほとんど知り合いはいなくて、休日は天気がよければ住んでいるアパートの近所を散歩しました。もともと人ごみが苦手なので、駅方向とは反対側の住宅街を歩くことが多かったように思います。

 散歩に持っていくなら今ではスマートフォンですが、当時そんなものはありません。代わりに持って出掛けたのは、文庫本サイズの東京23区の地図でした。

 この地図で今いる自分の場所をチェックしたり、目的地への道順を探したりしていました。今でも筆者が散歩の途中に住居表示をチェックするのはこのときの名残です。

 また、この小さな地図には電車の路線図も乗っていたので、電車の乗り継ぎなどもこれで調べていました。とにかく外出するときは必携でした。

歩くことで見つかる出会いや発見

 ある時、散歩に出掛けようと歩き始めると、「阿佐ヶ谷北」という住居表示を見つけました。

 阿佐ヶ谷って中央線の阿佐ヶ谷駅が近いのかなと、持っていた東京23区の地図を見ながら阿佐ヶ谷駅を探して歩きました。

当時、住んでいたアパートから住宅街を歩く散歩を楽しんでいた(画像:下関マグロ)

 駅前の飲食店は普段行く荻窪とはまた違った雰囲気のお店があり、駅近くの定食屋に入って、中央線で荻窪駅まで帰ってきました。

散歩をやめたら……糖尿病で入院

 さらに別の休日、同じように阿佐ヶ谷駅から青梅街道へ行くと、南阿佐ヶ谷という駅がありました。

 通勤で丸の内線を使っていたので、南阿佐ヶ谷という駅は知っていましたが、ここに駅があったのか、などと感激しながら、近くの書店へ寄ったり、レコード屋へ寄ったりして、最後は良さげな定食屋で食事をして地下鉄で帰ってきました。

 こうして、荻窪から阿佐ヶ谷、高円寺、中野、新宿くらいまで歩いては、電車で帰ってくるという散歩をしていました。

 サラリーマン生活は1年で終えて、フリーライターになると会社に行く必要がなくなり、平日の昼間からぶらぶらと町を歩きました。

 荻窪から引っ越しをし、都内の東中野、高円寺、明大前、原宿、四谷といった町に住みました。同じように自宅から駅とは反対の住宅街を散歩していました。

 しかし、四谷に引っ越してしばらくすると散歩をしなくなりました。仕事が忙しくなり、目が覚めたら、パソコンの前に座って原稿を書き、食事は出前やデリバリー、外出するにしても近所のコンビニといった生活をしていました。

 徹夜で原稿を書き、また眠るという生活を数年続けていると、筆者の体重はマックスで120kgにも達していました。体重が増えると、少し歩くだけでも息切れするような感じで、歩くことがおっくうになってきました。

マックスで120kg、糖尿病と告げられ入院することに……(画像:写真AC)



 そして、45歳のときに大きな転機が訪れます。

 住んでいた新宿区から、45歳になった人は無料で健康診断を受けられますよというハガキがきたので、無料ならいいかと健康診断に行きました。その結果、なんと「糖尿病にかかっている」と言われたのです。

 しかも、かなり数値が悪いらしく、すぐに入院が必要だとのこと。自覚症状のようなものがまったくなかったので、とても驚きました。

退院後に散歩を再開、体重も減少

 それが2003(平成15)年の秋。筆者は糖尿病で10日間ほど入院しました。

 お医者さんから散歩やウオーキングがいいということを聞き、退院したあとで、すぐに始めてみることにしました。最初は四谷にある自宅から市ヶ谷駅まで歩いてみました。市ヶ谷駅まで歩くだけでへとへとになって、帰りは電車で戻ってきました。

 毎日歩くことで、少しずつ距離が伸びて、ついに四谷から新宿まで歩くことができました。このときはうれしかったですねぇ。でも、靴ずれになってしまいました。見れば履いているスニーカーはボロボロです。

 そういえば、この時期、何冊かウオーキングの本を読んだのですが、どの本にも、ウオーキングを始めるなら、まずは、いいシューズを購入しなさい、と書かれていました。

 それまで筆者が履いていたのは数千円の安いスニーカーでした。目についた靴屋さんに入って、靴ずれができないウオーキングシューズってありますかと聞いてみると、ありますよとのこと。

 店員さんが見せてくれたのが1万円を少し超えるようなウオーキングシューズでした。履いてみると、足全体がグリップされて、靴ずれの痛みも感じないのです。早速これを購入しました。

 たぶん、この瞬間、筆者の新たな散歩人生が始まったと言えるでしょう。皆さんに言いたいのは、散歩で長い距離を歩くのならいいシューズは必要です。

 その後、少なくとも1日1時間は歩きました。体重もそれまであった120kgからはかなり減少し、70kgあたりで安定しましたし、糖尿病の数値もよくなり、薬を飲まなくてもよくなってきました。

懐かしの荻窪をもう一度歩いたら

 四谷という場所はどこへ歩いて行くにも便利な場所で、山手線内にはたいてい歩いて出掛けるようにしていました。

 それまでウオーキングということで、歩くことが主体でしたが、そのうち町そのものを見ながらぶらぶら歩くという散歩スタイルに変わってきました。

 そんな日々を送っていると、「オールアバウト」という専門家のウェブサイトで散歩ガイドをやらないかと言われました。2005(平成17)年のことです。もちろん喜んでお引き受けしました。以来、本名で散歩の記事を書くようになったのです。

 いざ散歩の記事を書くといっても、最初はどういうものを書けばいいのかよくわかりませんでした。わからないまま、取りあえず人気エリアを歩いてみました。浅草、神楽坂、谷根千などへ行き、写真を撮影し、食事をしたり、お土産を買ったりするという記事を書きました。

 これまで気ままに歩いていたので、通りの名前などはまったく意識していませんでしたが、いざ記事を書こうとすると、通りの名前や距離などもわかっていないとダメなんだなということに気が付きました。そういうふうに試行錯誤しながら記事を書いていきました。

阿佐ヶ谷の散歩道。住宅地の中に見つけた、魅惑のY字路(画像:下関マグロ)



 東京の人気エリアを記事にしながらも、そういえば、東京に住み始めてすぐの頃に歩いた荻窪から中野の道はどうなっているのだろうか、ちょっと気になって荻窪まで行ってみました。かつて自分が住んでいたアパートは、マンションに建て替わっていました。

 筆者が歩いていたころは、金太郎が熊にまたがるイラストが描かれている車止めがあったのですが、今は普通に銀色のアーチ型のものになっていました。

二十数年越しの新しい発見もあった

 あらためて歩いてみるとこの道が「桃園川緑道」だということがわかりました。説明板などが建っていたからわかったのですが、80年代、気ままに歩いていた頃はまったく気が付きませんでしたが、かつて川だった場所が地下水路になり、緑道になっているんですね。

 探してみれば、そんな緑道が東京にはたくさんありました。また、緑道として整備されてはいませんが、かつて川だったところが地下水路になっているところもありました。

 例えば、新宿御苑(ぎょえん)から渋谷に向かって流れる渋谷川(隠田川)が地下水路になり、道になっています。こういった場所を歩くのが好きで、記事にもしました。

かつて筆者が気ままに歩いていた散歩コースは桃園川緑道だった(画像:下関マグロ)



 東京には、人が集まる人気の散歩エリアがいくつもありますが、誰も知らない、住宅街を抜けて歩ける緑道や川の地下水路なども存在します。

 人ごみを避けて、こんな場所をちょっとだけ歩いてみるのも、今のご時世、いいかもしれませんね。ひとりで出掛けてみましょう。

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