少数精鋭で独自路線 ミッション系最難関「上智大学」とはどのような大学なのか

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少数精鋭で独自路線 ミッション系最難関「上智大学」とはどのような大学なのか

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中山まち子

教育ジャーナリスト

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ミッション系大学の中で最難関とされる上智大学。その歴史は意外にも苦難との戦いでした。教育ジャーナリストの中山まち子さんが解説します。

ミッション系の雄だが最古参ではない

 上智大学(千代田区紀尾井町)は、ミッション系大学の中で最難関大学とされています。そのため、創立も古く歴史ある大学と思われがちです。

上智大学の外観(画像:写真AC)



 しかしその誕生は、同じくミッション系大学である1874(明治7)年創立の青山学院大学(渋谷区渋谷)と立教大学(豊島区西池袋)の約40年後で、最古参ではありません。

 それではなぜ、上智大学は現在のような総合大学に成長していったのでしょうか。

イエズス会が立てたカトリック大学

 日本のミッション系大学は、プロテスタント系とカトリック系の大きくふたつに分けられ、上智大学は後者です。

 聖心女子大学(渋谷区広尾)や白百合女子大学(調布市緑ヶ丘)など、都内にあるカトリック系の他4大学は全て女子修道会が創立した教育機関ですが、上智大学はイエズス会が創立しました。

 イエズス会は日本で初めてキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルも所属した、カトリック組織のひとつです。

 ローマ教皇ピオ10世(1914年没)が「日本に大学を創立したい」とイエズス会に要請し、3人の会士を日本へ派遣。それから5年の月日をかけ、1913(大正2)年に専門学校として創立されました。本部は当時と同じく、千代田区紀尾井町に置かれています。

左は1909(明治42)年測図の、右は1916(大正5)年測図の千代田区紀尾井町周辺の地図。右の地図中央には「文」の地図記号が見える(画像:時系列地形図閲覧ソフト「今昔マップ3」〔(C)谷 謙二〕).

 しかし創立直後に第1次世界大戦が始まり、イエズス会などからの支援は望めず、追い打ちをかけるように1923年、関東大震災が発生。建物が崩壊するなど、学校を取り巻く環境は次第に悪化していきます。

 1928(昭和3)年、大学令による大学となって文学部と商学部を開設したものの、第2次世界大戦の発生で、キリスト教は敵国の宗教とみなされ圧力をかけられるなど、その困難はさらに深刻なものへとなっていったのです。

 そうした状況が一変したのは、戦後からでした。

アメリカやヨーロッパからの支援が背景に

 戦後、上智大学はアメリカやヨーロッパなどからの寄付で新たな敷地を取得。キャンパスを拡大し校舎の建て替えなどを推進していきました。

 連合国軍総司令部(GHQ)の本部が置かれた有楽町からほど近い千代田区紀尾井町にあるという立地条件から、子息の高等教育機関に指定されたことも大きな転機となりました。

旧GHQ本部と上智大学の位置関係(画像:写真AC)



 駐留兵士やその子息向けに、アメリカの複数大学で単位として認定される講義が行われるなど、海外の教育機関の代わりとなる役割を果たしていったのです。

 1957(昭和32)年に法学部を開設。5年後の1962年には理工学部を開設し、理系学部を含む総合大学として変貌を遂げ、今日の発展につながっています。

9学部11研究科を有する

 戦後、総合大学として生まれ変わった上智大学ですが、少人数教育を大切にし、大学進学者数や入学希望者が増えても拡大路線にひた走ることはありませんでした。

 9学部11研究科を抱えているにも関わらず、学生数は学部生や大学院生を合わせても1万3000人程度です。

 13学部25研究科の早稲田大学(新宿区戸塚町)約4万8000人、10学部14研究科の慶応義塾大学(港区三田)約3万3000人を考えると、上智大学は学部当たりの学生数が抑えられており、「少数精鋭」であることがわかります。

上智大学のウェブサイト(画像:上智大学)

 学部を増やしてきたにも関わらず、ほとんどの学部が全学年を通じて四谷キャンパスで授業を受けることができるのも、都内にある有名総合大学の中では少数派です。

 上智大学の他大学とは異なる学校運営は、少子化の時代になった今、学生の質の低下を防ぐ役割も担っています。

 2000年代以降は学部学科、研究科の統廃合や新設が相次いで行われ、2014年には国際社会の一線で活躍できる人材育成を目指す総合グローバル学部の新設や看護科の設置、聖マリアンナ医科大学(川崎市)との提携など、意欲的に大学改革に取り組んでいます。

就職にも強い

 なお2018年度卒業生の中で就職希望者の就職率は97.7%と、極めて高い数値を出しています。

 インターンシップ支援では、参加者の中に別途「上智枠」を設けている企業もあり、大学のブランド力やこれまでのOB、OGの実績が後輩へと受け継がれています。就職先の上位には、アクセンチュアや全日空、日本航空、三菱UFJといった大企業が名を連ねています。

 また、入学したばかりで将来へのビジョンがまだ見えない新入生向けに、キャリアセンター制作の冊子「SOPHIA STYLE」が毎年配布されています。その中では卒業生の4年間や就職活動のリアルな声を伝える取り組みを行っており、先輩たちに重ねて新入生自身が4年後を見据えることができます。

冊子「SOPHIA STYLE」の表紙(画像:上智大学)



 前述のように、上智大学は創立当初から苦難の道を歩みましたが、戦後は周囲からの支援によって着実に発展しました。

 現在の人気も、国際的な雰囲気の中で切磋琢磨(せっさたくま)してきたたまものと言えるでしょう。

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