「天国で皆を笑わせて」東村山市民15人が志村けんさんに送った熱き「心の声」とは

3月29日に亡くなったコメディアン・志村けんさんへの深い愛を、志村さんの出身地である東京都東村山市在住のイベントプロデューサー・テリー植田さんと地元の人たちが語ってくれました。


死後、改めて感じる偉大さ

 イベントプロデューサーのテリー植田です。新型コロナウイルス感染による肺炎のためお亡くなりになった、東京都東村山市出身である志村けんさんの追悼文をここに記したいと思います。

コイケヤ「わさムーチョ発売記念&新キャラクター就任記念発表会」に出席した志村けんさん=2016年9月15日、東京都内(画像:時事)

 私は東村山在住です。

 訃報は、3月30日(月)朝のニュースで知りました。その日は、あまりのショックの大きさに動くことができませんでした。東村山中が泣いていたことでしょう。

 新型コロナウイルス感染拡大の影響は私の仕事にも甚大な被害を及ぼし、私の4月の担当イベントはすべて中止となりました。この影響はいつまで続くのかーー。この原稿を書いている段階でも見通しはたっていません。

 仕事を失ったショックと、東村山市民として志村けんさんの喪失感が同時にのしかかってきます。居ても立ってもいられず、報道陣であふれ返る東村山駅前の「志村けんの木」にお別れのあいさつに行きました。

 今はテレビの追悼番組やネットニュースを見て、志村けんさんの偉大さを改めて感じる日々を過ごしています。

志村さんと言えば「東村山音頭」

 初対面の人に「東村山に住んでいる」と言うと、たいてい「東村山1丁目なの?」と冗談で返される経験を東村山市民はしています。東村山の話をして、志村けんさんが話題にならないことはないのです。

 志村けんさんと言えば、やはり「東村山音頭」です。

1976年9月に発売された「東村山音頭」(画像:(P)(C)Watanabe Music Publishing、東芝EMI)

「東村山音頭」は元々、地元の農協で作られたご当地ソング。発売当時、私は奈良県桜井市と言う田舎に住んでいた小学生で、「8時だョ!全員集合」を見ていましたが、東村山が東京で実在する街とは知らず、志村けんさんが考えた「架空の街」だと思い込んでいました。

 しかし、大人になってから東村山に長く住むようになりました。私の仕事であるイベントプロデューサーの原点は、「8時だョ!全員集合」の志村けんさんに行き当たります。

「笑ってもらってなんぼ」の精神


【画像】あなたは、東村山駅すぐそばの「志村けんの木」を知っていますか?

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